RYUZYOnoWA!!

「知的財産」、「知的財産権」の意味・種類のご紹介
弁理士・林 實(高18回)

 

2020/02/10 掲載

 
http://www.nirako-dosokai.org/wa/hminoru.html
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妹の思い出を胸に龍城山に登る
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2020/02/10 掲載

 
2020年(令和2年)1月19日、韮山高校同窓会・令和元年度支部長会が有慶館で行われることになりました。
私は静岡地区の支部長ということで、10時開始に間に合うように清水区の三保を8時に経ちました。いつもならバイパスは交通渋滞しているのですが、日曜日で朝が早かったこともあり、有慶館に9時に到着しました。早い時間に到着した場合には、そのまま車の中で一眠りしてしまうのが、常でしたがこの度は違いました。
助手席には、2歳下の妹の遺影と遺言メッセージが載っていました。
妹は21期の韮高卒業生でした。昨年(2019年・令和元年)5月26日、妹は68歳の若さで「すい臓がん」により早逝しました。想えば、妹は、2018年の4月13日に体調がすぐれないとのことで、病院に行きましたところ、「膵臓癌」を宣告されました。それから約1年余、抗がん剤や放射線治療に頑張りましたが、2019年の5月25日に緊急入院し、翌日の26日未明に68歳の人生を閉じました。妹は、がんを宣告されてからは、今まで以上に、より人生を楽しくその生を全うしました。夫婦で大型客船のクルージングに出たり、韮高時代の友人との語らい、鎌倉彫など、中でも娘の結婚式は、生涯の思い出になったと思います。また、妹は、綿密に自分の最期を考えていました。葬儀は親族7人だけで行い、僧侶の読経も、戒名もなく、棺の前で愉しく会話を交わして、会食をしてから、火葬してほしいと望んでいました。埋葬は富士山が見える場所で、2019年9月29日に樹木葬をいたしました。
これも妹の希望でした。5月25日に緊急入院した妹を見舞って、帰り際に「お兄ちゃんは、また来るよ」と、大きな声で耳元で伝えたら、つないでいる手を強く握り返してきました。それが最期の会話となりました。
本当に可愛い妹でした。最高の妹でした。
そんな妹が、「私が死んだら、このメールを開いてください」と、題してメールボックスに入れてくれたので、葬儀が終わったところで開きました。そして今、韮高在校中に妹と一緒に何度か立った、龍城山の本丸に立っています。手には遺影と遺言を持っています。
凛として聳えたつ富士山に遺影を見せながら、「私は愉しかったよ」と、つぶやきました。
 
 
 

高54理数科OGタイムズ
~タイでのお仕事四方山話~

水口恵美子さん(高54回生)

2020/2/10 掲載

第4回 〜土屋春菜さん登場〜

 
 
【前回までのあらすじ】
タイでのWS開催までの経緯について水口視点で綴ってきましたが、本回ではついに土屋春菜さんが登場です。前回のメルマガ登場から早16年・・土屋さんは一体、今どうしているのか。インタビュー形式でお届けします。(水口)
 
Q1.前回メルマガに登場したあと(第8回:http://www.nirako-dosokai.org/melmaga-corner/wa/no8/haruna.html)、どのような経緯でタイに赴任となったのですか?
以前メルマガに登場させて頂いたのは、ニューヨーク州立大学フレドニアの舞台芸術学部に在学中の時でした。大学を卒業した後、プロの女優としての活動を開始し、アメリカ各地で舞台に立っていました。
その後、コロラド州の大学院で、コンテンポラリー・パフォーマンスを学び、前衛的な表現、舞台作品の創作をするようになりました。
修士課程を修了した翌年、学部時代の知人が、マヒドン大学音楽学部ミュージカル学科で教授を募集していることを知らせてくれ、応募したところ、トントン拍子に話が進み、応募してから約1か月半でタイに赴任しました。
タイで働くとは夢にも思っていなかったので、正に晴天の霹靂でした。
 

土屋春菜さん近影

土屋春菜さん近影

 
 
Q2.海外生活はここが大変&ここが素敵です。
 
本でしか見たことのなかったものを実際に見たり、体験したりできることは、海外で働くことの醍醐味だと思います。そして、全く知り合いのいない場所にポンと一人で飛び込んで、学んだり、働いたりすることで、裸の自分と向き合えることも面白いと思っています。海外で長期間生活するのと、海外を旅行で訪れるのとはずいぶん違うのではないかと思います。どちらも、その国において「外国人」になることには変わりがありませんが、生活していく場合は、その国での暮らしが自分にとっての日常になるために、日本で生まれ育った自分というものを保ちつつも、その国に馴染んでいく必要があるように感じます。
私は下田出身ですが、小さな街ということもあり、母のお腹の中にいる時から私のことを知っている人がたくさんいます。下田では、「○○さんの娘」「○○さんの孫」「○○さんの姉」「○○さんの姪」など、たくさんの肩書とともに生活していました。初めてお会いする方でも、私の家族や親戚を知っている方は、「私」という人間そのものと会う以前に、既に私に対するイメージが付随している場合が多かったのです。でも、海外では、最初は誰も私のことを知らないので、違う国で働く度に、新たな自分に生まれ変わるような気持ちになります。
音楽学部には、世界各国から教授が集まっています。朝、自分のオフィスに辿り着くまでに、すれ違う同僚達と挨拶しますが、一体何か国語で挨拶するのか、というほど。これはワクワクします。
 
挨拶は何とかなるものの、突然タイにやって来て、全く言葉の分からない国で暮らすということを初めて体験しました。タイ語は、文字も非常に複雑なので、看板を読むことすらできませんでした。
赴任当初、お芝居を観にバンコク市内に出掛け、看板がアルファベットで書かれているのを見て安心し、読もうとしたら、なんとドイツ語だった、という笑い話もありました。これは、無意識のうちにかなりのストレスになっていたようです。仕事でシンガポールや香港を訪れた時に、当たり前のように英語が通じたり、漢字の看板の意味が何となく分かった時には、本当にホッとしました。
 

タイ語の看板

タイ語の看板

 
 
Q3.ワークショップを同級生(水口)と企画してみてどうでしたか?
 
まず、2月に水口さんが演技の授業を見学してくれた際、ちょっと緊張した、と言うか、気が引き締まった感じがあったのを覚えています。高校3年間同じクラスだった水口さんとは、おそらく5、6年ぶりの再会でしたが、高校時代の同級生というのは何だか特別な存在です。高校を卒業してからこれまでに、自分が何を経験し、何を得てきたのかを「証明」する必要はないし、普段どおりに授業をすることしかできないけれども、同時に、「韮校の名に恥じないように」というプレッシャーが自分の中でうっすらと湧いてきたのを感じました(笑)。とても良い意味で、心に活を入れられました。
ワークショップの準備を進めていく中で、とにかく水口さんの仕事が早いのに驚きました。そして、科学の分野に携わっているからか、細かな点まできちんと配慮していることにも、何度も唸ってしまいました。もちろん、演劇も細やかな配慮は必要不可欠ですが、配慮の対象や矛先が違って、とても新鮮でした。
それから、水口さんがワークショップのポスターをデザインしてくれたのですが、流石美術部!プロ顔負けの仕事で、餅は餅屋だとしみじみ感じました。
 

水口さんが作成したWSポスター

水口さんが作成したWSポスター

 
 
ワークショップの準備のために、指尖脈波の器械(指先に装着すると、感情の動きがグラフとなってパソコンの画面上に現れます)を使って、水口さんと2人で実験したのが、私にとって一番楽しい時間でした。色々な想定で、ああでもない、こうでもない、とあれこれ試してみたこと、「感情の変化」という普段目に見えないものが、脈波という形でコンピューターの画面上に現れることに感激しました。
 

解析画面の一部

解析画面の一部

 

 
Q4.もしワークショップ裏話があれば教えてください。
 
ワークショップから約3か月後に、なんと、やはり3年間同じクラスだった落合秀也君(54回卒)が、ワークショップの翌日に、マヒドン大学を訪問していたことが判明しました!しかも、音楽学部のキャンパスも訪れたとのことで、写真まで添付してくれました。落合君は、現在、東京大学の大学院にて教員を務めているとのこと。共同研究のためにマヒドン大学を訪れていたということでした。そんなこととは露知らず。ワークショップ翌日のこの日は、水口さんと2人で引き続き実験をしていました。
しかし、考えれば考えるほど、落合君や彼を案内していたマヒドンの教授達とすれ違った気がしてなりません。おそらく高校卒業後は、大学学部生時代に一度会ったきりで、すれ違っても気づけなかったのは仕方ないかもしれませんが・・・。
水口さんと落合君は仕事を通して交流があるので、それがきっかけで、このことが分かりました。
高校時代机を並べていた3人が、お互いに全く知らずに、同じ日に、タイの片田舎の大学内の同じ道を歩いていた、という驚愕の事実!
実は、数年前に、フレドニアの恩師と音楽学部のキャンパス内でばったり再会するという驚くべき出来事がありましたが、またもや「世界は狭い」ということを身を持って体験しました。
 
1月に入って、再度リサーチのために来タイしていた落合君と、久々の再会を果たしました。
彼の研究、発明が世の中を変えていることを知り、驚き、感激しました。
 

左:落合秀也君(高54回)とタイで再会!3人で再会する日も近い?

左:落合秀也君(高54回)とタイで再会!3人で再会する日も近い?

 
 
Q5.最後に、読者の皆様へメッセージ♪
 
「ここは韮山高校演劇科じゃないんです!(だから、勉強にも力を入れなさい。)」と顧問の先生に言われ続けながらも、どっぷりと演劇漬けになっていた高校時代。
やはり、あの演劇部での日々があったからこそ、今、こうして演劇を仕事にしているのだと思います。
そして、世の中が機械化、デジタル化されていく中で、人間にとって必要不可欠な、生身の人間同士のつながり、心の豊かさ、想像力と創造力に重きをおくことの大切さを、これからも演劇を通して声を大にして訴えていきたいと思います。2017年に東京と下田でソロ作品の公演を行いましたが、近い将来、また日本でも公演をできるように精進していきます。
 

公演「Juliette(ジュリエット)」ポスター

公演「Juliette(ジュリエット)」ポスター

 

 
 
その際は、多くの同窓生の方々と再びお目にかかれることを楽しみにしています。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
「忍」の校訓を想いつつ、筆をおきます。


以上、土屋春菜さんへのインタビューでした!
日々、指導者や翻訳家、女優業をこなす大忙しの土屋さんですが、16年前よりもさらにパワーアップして単身海外で頑張るパワフルさを見習いつつ、皆様で応援していきましょう。また、タイに行かれる予定がある方は、土屋さんにお声かけてみてはいかがでしょうか。エネルギーをもらえます(笑)。
 
お知らせです。私たちの取り組みが、2020年2月刊行韮山高校同窓会会報50号(龍城)に掲載されます。是非、お手にとって御覧ください。さらに、国際誌への投稿、鋭意準備中です。こちらも追って詳細をお知らせします。 

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箱根駅伝4区を快走
法政大学1年 河田太一平さん(高71)

2020/1/10 掲載

     
1年生ながら出雲、全日本に続き 3度目の駅伝を走った法政大学 1年 河田太一平さん(高 71)。
1時間 234秒、区間 8位のタイムで順位を二つ上げる快走でした。
 
「応援ありがとうございました!最下位であったことと1人でのスタートということで
なかなか厳しい展開でしたが、前半から攻めて差を詰め、後半もしっかり粘り切ることができ、個人としては目標をクリアすることができました。ただ最後の5キロあたりから足がつりそうになり、つってしまうととてつもないタイムロスになってしまうため抑えて走らなければいけなくなってしまったのが反省点として残りました。」
 
とコメントをいただきました。
 

写真提供 濵田顕尚さん


 
国府津の沿道から応援したときの映像です >>>>  https://www.youtube.com/watch?v=j1ccRANYxIQ
 
 
レース後、韮高陸上部 川口雅司監督(高32)は「最下位からのスタートで不運だったけれどもよく頑張った。
小澤(明治1年)、三須(中央3年)、小木曽(中央1年)、大沢(中央入学予定)らにもいい刺激になると思う」とエールを送りました。
 
明治大学 3区にエントリーされながら、直前の疲労骨折で走ることができなかった小澤大輝さん(高 71)はじめ来年も同窓生の活躍が期待できそうです。
 
国府津の沿道では、陸上部員、保護者、OB、同窓生など50人近くが声援を送り、あらためて「チーム韮山」の団結力の強さを感じました。
 

 
 
 

高54理数科OGタイムズ
~タイでのお仕事四方山話~

水口恵美子さん(高54回生)

2019/12/10 掲載

第3回 〜WS(ワークショップ)の誕生〜

 
【前回までのあらすじ】
筆者・水口(高54回)はタイ王国マヒドン大学で同じく高54回生の朋友・土屋春菜さん(春ちゃん)の授業見学をさせてもらい大きな感銘を受けたところから。

 
マヒドン大学での授業見学をした日の夜、バンコク市内にある大型商業施設内の台湾料理店で春ちゃんとさまざまな話をした。ワークショップが誕生することになるこの場所で、話が弾んで写真を取り忘れてしまったため、ご飯の写真だけでも掲載する。
 

豆苗の塩炒め

 
授業見学を通して専門分野も国も違うけれど同じ大学教育の世界にいる二人で何かできるんじゃないかと感じた。
「何かやろうか。(私)」
「やろうか。やろう。(春ちゃん)」
と、自然な流れで”何か”をやることを約束した。
具体的な”ワークショップ”という案を出したのは春ちゃんだった。
「今週大学に企画案を提出する〆切だから、私、申請書を書くね。(春ちゃん)」
「え、今週?え、大丈夫?(私)」
「方向性さえ決まれば、大丈夫、大丈夫。(春ちゃん)」
エレベーターの中での会話だった。
 
私の内心は
(そんな軽いノリで申請書の作成等重労働を任せてしまっても良いのか・・・面白そうだけど・・・。でも、そうだ。春ちゃんは才筆がある上、マヒドン大学音楽学部の学科長なのだ。ここはもうお願いしようではないか。)
このような脳内会議を経て、ワークショップ企画案の作成と申請という非常に面倒な事務手続きをお任せすることになった。
 
このような流れでワークショップの原型は誕生した。
帰国後、無事に申請書の承認が下りたという連絡を受け、助成金の申請なども行いつつ具体案については、メールのやりとりで形作られていくことになる。
 
私が安易に何かをやろうと言ってしまったのが始まりだったが、一旦やると言ったからには、有言実行、本当に実現させてしまうのが土屋春菜さんという天才なんだと思う。
以下、帰国後に私が春ちゃんに送ったメールの一部を掲載する。
 
春ちゃんのレッスンを見学させてもらっているときに何か言葉では表せない感情が湧き上がってきたというか。ひとつ強く思ったのは、なんてHealthyなんだろう。ということでした。サラヤという場所の神聖さもそうだし、春ちゃんの声や指導の仕方もそうだし、学生の雰囲気もそうだし。
 
私は仕事で患者さんや医療従事者ばかり看ているので、病める人は体だけでなく気も落ちているんだよね。そういった人たちと音楽部の学生は置かれているベースが違うので対比してしまうのも違うとは思うんだけど、自分の体を使って神経や感覚を研ぎ澄ませて、踊り歌い学ぶということの健やかさ、明るさ、尊さ、力強さを感じました。
 
看護というのは医学と違って、本来はクリエイティブな仕事だと思う。サイエンスの土台はありながらも、もっと自由に、もっと想像力を使って、対象者にとってベストな看護を提供する仕事というか。相手に寄り添うためにはピリピリしていたり、指示待ち人間になってたらダメだと思うんだけど、なかなか人間、それができないのが現状で。マヒドン大学の看護学部校舎に行った時も看護学生の顔をみて同じ雰囲気を感じたので、きっと世界共通なのかもしれないね。
 
命を扱う仕事に従事するというのは、つねに真剣さが大切だけど、看護師の離職率やうつ病のなりやすさから考えると看護師自身がそもそも健康でいられるようにするための工夫が必要なんだと思います。昔から新人看護師のバーンアウトは問題でね。
音楽部の授業のHealthyさを目の当たりにして、ほんのちょっとでもそれを看護の授業の中にも取り入れられればと、今回、感じました。
 
学部の垣根を超えたワークショップというのは素晴らしいね。
プロジェクトの内容、春ちゃんの提案もふまえてもう少し考えるね。医師でもない私が伝えられることも限られているので、フォーカスする部分をどこにするか考えてみます。
 
絶対実現&成功させようね!
考えてみるよ。ではまた。    

Emiko

 
 


帰りのスワンナプーム空港にて


このときの私のタイ渡航の第一目的は学会参加であったが、思わぬ大きなお土産を持って帰ることになり、想像以上に素晴らしいものであった。タイという異国の地で奮闘する同級生との再会、芸術と看護の共通性、大学教育の国際事情、共同ワークショップの企画、そしてまた再会の約束、・・・そしてそして、春ちゃんだけではなく、事後には更なる同級生(高54回)が登場することになるのだが、この話はまた今度。
綿々と韮高の輪が繋がり広がることを祈って、全3回にわたるワークショップ誕生までの話に一旦筆を置きます。
ご感想・ご質問等ございましたら以下のフォームよりコメント送信をお願いします。
https://forms.gle/YUVDLnzRMRJGw25n8

お知らせです。
来る2019年12月14日(土)~15日(日)、東京都品川区にある昭和大学上條記念館にて日本情動学会第9回が開催され、私たちのワークショップの教育実践が報告される予定です。学会のテーマは「自己と向き合い、社会と向き合う」。一般公開シンポジウムなどもあり、一般の方もご参加頂けます。ご都合がつく方は是非、会場へお越しください。
http://www.emotion.umin.jp/pastdata/2019.html
 

大会ポスター

 
 

次回:土屋春菜さん登場
 
 
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「即位礼正殿の儀 記念特集ー天皇陛下 伊豆の思い出‐」に記事掲載
永田 宏子さん(高30回生)

2019/11/10 掲載

 
10月22日 即位礼正殿の儀に合わせ、伊豆日日新聞に永田宏子さん(高30)の記事が掲載されました。
11/10メルマガ配信日に祝賀御列の儀が執り行われることから、記事へのコメントをいただきました。
 
新聞掲載


ご学友とは「同じ学校で同じ学校で一緒に学ぶ友達」とのこと。
陛下と確かに同学年で同じ大学に通ったとはいうものの、お言葉を交わした記憶もない自分が紹介された記事です。
今思えば、お近づきになる機会はいくらでもあったと思うのですが、若さゆえに打算も計算もない大学時代でした。
即位前に陛下が同級会の席で「自分はこれからです」とおっしゃったそうですが、私も「自分もこれから」と自らに言い聞かせて還暦を迎えようとしております。
 
 
 

高54理数科OGタイムズ
~タイでのお仕事四方山話~

水口恵美子さん(高54回生)

2019/10/10 掲載

第2回 〜魂の授業〜

 
【前回までのあらすじ】
タイの国際学会へ参加することになった看護の大学教員・水口恵美子(高54回)が韮高・理数科時代の同級生、土屋春菜さん(通称:春ちゃん、高54回)と現地で再会を果たした。そして、春ちゃんの勤めるタイの名門大学、マヒドン大学音楽学部にて演技のクラスの授業見学をさせて頂くことになった。”音楽学部の授業”と聞くと、皆さんはどのような授業風景を想像するだろうか。私は、安直だが、漠然と「のだめカンタービレ」のレッスンを想像していた。果たして実際は・・・?

Music Square(大学構内のレストラン)で昼食をとった後、研究室へ移動した。
そこはコンクリート作りで、ピアノやソファー、演劇の小道具、衣装、縦長の窓のある、夢の詰まった宝箱のような、素敵な研究室だった。(研究室と言っても、大学教員が仕事をするお部屋のことで、理科の実験室のようなものとは違います。)
 

 
研究室の全体写真を掲載するわけにはいかないので、中で撮ってもらった記念写真から雰囲気を感じ取ってもらいたい。ちなみに大学教員になったからって全員がこのような研究室を与えられるわけではない。所属する大学や職位によるが、共同研究室であることもしばしばだ(私はこの類)。ボイストレーニングを含め、レッスン室の用途を兼ねるので、音楽学部の教員は個室が基本なのかもしれない。

小道具などを眺めているうちに春ちゃんは午後からの授業の準備に取り掛かり、あっという間に大学講師の顔になった。長い髪を一本に結わえて、Tシャツ&パンツスタイルへと着替え、キリッとした表情。その姿はまるで、体育教師だった。そしてそのまま必要物品を抱えて体育館のホールのような教室へサクサクと移動。今日は、なんとテストの日なのだそうだ。
そのような重大なイベントの日に見学などしても良いのかと春ちゃんに再三確認するも、大丈夫大丈夫!(事前に学生に承諾を取った)とのこと。少なくとも日本の看護系大学の授業では考えられない。(少し解説すると、大学では必修科目の単位を取得できなかった場合、留年の可能性がチラつくことがある。自分で履修登録をして、卒業要件に満たした単位取得をするのが基本だ。)

本当に大丈夫なのか、大丈夫とは言っても学生に無用のプレッシャーをかけてはダメだろうと、私は教室内の端のほうに置かれた椅子に腰かけて、なるべく自分のオーラを消して授業の開始を待った。教室には、スマホを片手にした日本の大学生と変わりない学生たちが次々と入ってきて、少し照れながらサワディカー(タイ語でこんにちは)と挨拶をしてくれた。女子学生の方が割合としては多いが、男子学生も交じっていた。テストと聞いていたけど、緊張感は感じられずリラックスしていた。春ちゃんはニコニコしていて、学生に慕われている先生という感じだ。
 

 
10名弱くらいだろうか、学生たちが集まったところで、春ちゃんの合図があり、流暢な英語での授業が開始された。輪になって・・・準備運動。そして、グループに分かれて、この授業までに何度も練習を繰り返してきたであろうパートナー・アダージョと呼ばれるムーヴメントの流れや細かな体の動きを確認し合い、教員からの助言を受けた後、発表会が始まった。

春ちゃんは静かに見守りつつ真剣に採点していた。学生たちも真剣に鑑賞していた。発表グループの学生が思い思いに全身で何かを表現していた。後から春ちゃんに聞いた話によると、テーマは自由だが、腕押し車をしたり、倒立をしたり、指定された複数のムーヴメントを取り入れるルールがあったのだそうだ。

端っこで見学しながら、私の脳裏に浮かんだのは、かつて好きだった中学生時代の体育の授業だった。同じようにグループに分かれてテーマを決め、音楽を決め、創作ダンスを披露した。(あれ、もしかしてデジャヴ・・・?)
どこか懐かしい気持ちで眺めていると、全ての発表が終わったところで、再び輪になってデブリーフィング(debriefing:振り返り)が始まった。テストが無事に終了したかと思いきや、ここからが春ちゃんの授業の本題だった。

「どうだった??」
「何を表現したの?」
「あなたはどう思った?」
「君はどう?」
「もう一つのグループの発表についてどう思う?」
(全て英語でのやりとり)

学生に次々と発問をして、一人ひとりの言葉・思考・認識を明確にすることを促した。早いレスポンスの学生もいれば、黙り込んでいる学生もいた。この十人十色の様子は本当に万国共通だと思いながら見ていた。

春ちゃんはレスポンスに対して、必ずポジティブ・フィードバックをしていた。これは字のごとく、前向きな意見を返すことである。学生たちは完璧なパフォーマンスを行ったわけではなかったと思う。しかし、否定的な言葉は一切なく、学生の言葉や意見を尊重し、授業への取り組みについて賞賛していた。あぁ・・・まさしく教育者の鑑だなと、自分の学生に対する態度を反省して、耳を傾けていた。そして授業の最後に春ちゃんから〆の言葉。

「これから(演劇などの)オーディションを受けるであろう貴方たちに、伝えたいことがあります。それは、自分を大切にすること。初めは仕事欲しさに、なんでもかんでも頭を下げて、仕事を引き受けてしまう人がいます。でも、そうした貴方の弱みに付け込んで、悲しいけれど利用してくる人もいるのです。一緒に仕事をする人をちゃんと見てください。自分で選んで良いのです。あなたは一人のパフォーマーとして、パワーを持っているのです。強くあって良いのです。それから、”sixth sense”-第六感-を養ってください。誰かが近づいてきたら、目に見えなくても気配を感じるでしょう。そういった能力が表現力に幅を持たせ、オーディエンスを感動させる力となります。日々、感覚を研ぎ澄ますトレーニングをして、第六感を養うようにしてください。」
(↑私の記憶によるもので、録音していたわけではないので多少の相違・誤訳があることはご容赦ください。)
 
私も含めて、全員がシーン・・・となって、実感のこもった春ちゃんの言葉に真剣に聞き入り、時が止まったようだった。

知識・技術の習得、表現力の涵養、身体の可動域を意識した動きの理解、チームワークの形成、、、この授業の目的は色々とあったのかもしれない。授業の一コマだけ見学させて頂いた私にはわからない。しかし、最後は見事に春ちゃんの持つ哲学が反映された“魂の授業”だったと言える。感動して涙が出そうだった。

寝てばかりの学生時代を過ごした私は今や大学教員となり、皮肉にも効果的な授業や演習について考えるようになった。ノウハウを教授するだけであれば、e-learningでも良いのかもしれない。YouTubeでも用をなすのかもしれない。そのうちAIが授業をやり出すかもしれない。(実際に難関大学へ合格したあの人もこの人も、授業など聞いておらず問題集ばかり解いていたではないか!→それとも、そう見えただけで本当は問題を解きながら授業を聞いていたのでしょうか。)

しかし学生の前に立つ教師になった以上は、画面上では伝わらないある一定の「熱量」を持ってInteractive(双方向)に授業を作り上げる必要があるというのを実感させられた。
この授業をヒントに二人のWSの企画が誕生するのだけれど、それはまた次回に。
 

次回:WS(ワークショップ)の誕生
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高54理数科OGタイムズ
~タイでのお仕事四方山話~

水口恵美子さん(高54回生)

2019/9/10 掲載

 
 皆様、こんにちは。
 龍城のWA!に僭越ながら記事を掲載させて頂くことになりました高54回生の水口恵美子と申します。現在は、東京で看護学部の大学教員をしております。

 高校生のときには自分が教員になるなんて、夢にも思っていませんでした。学校は好きでしたが勉強が好きではなかったし、実際に担任の先生に赤点を心配されるほど学業成績は芳しくありませんでした。しかし、熱心に勉強を教えてくれた仲間のおかげで大学へ合格し、何をどう間違ってしまったのか奇しくも大学教員の道を選択した私です。
 そして、今年に入り奇跡のようなことが起こりまして、2019年7月、理数科クラスで3年間を共に過ごした土屋春菜さん(高54回生)と一緒にタイの国立マヒドン大学にてワークショップを開催しました。同級生と海外で一緒に仕事をすることになるなんて夢にも思わず。平成から令和という二つの時代をまたぎ、私たちが何を感じてワークショップ開催に至ったか、何を語り合い、何を考え二人はどこに向かっていくのか(?)、回想録のような形で皆様にも一部始終を紹介できればと思います。また土屋さんにも登場して頂き、複数回の投稿を予定していますので、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
 それから、大学教員としてまだまだ駆け出しの私たちに、多くの偉大な先輩方からのご助言を賜れば大変にありがたく、現役の韮高生や後輩たちの励ましになることを願っています。

 

 

 

第1回 ~タイでの再会~

 
 2019年2月。タイ王国バンコクで開催される国際学会への参加が決まった。
 
『タイ』と言えば、真っ先に思い浮かんだのが、同級生の土屋春菜さん(高54回)である。
(2004年龍城のWA!第8回にも登場している。)

 
土屋さんは高校を卒業後、演劇を学びにアメリカの大学に渡った後、6年前にタイのマヒドン大学に赴任したとのことだったので、日本からときどきハガキを送っていた。以下、親しみを込めて当時からの呼び名”春ちゃん”と表記する。
 
宛先住所が非常に長くて本当に届くのかどうか半信半疑で投函していたが(宛名に限らずタイ語はローマ字にするとやたらと長くなるのだ)、私の心配を余所に春ちゃんからは毎回必ず返信ハガキが届いた。どうやらタイの郵便事情は良さそうだ。いつかはその長い住所の土地を訪れてみたいと妄想を膨らませていたところ、好機到来。
 
タイへの出張が決まり、早速春ちゃんと連絡をとると、現在もアーティストとして活動しながらマヒドン大学音楽学部で講師をしているとのことだった。タイ滞在中に再会の約束をし、さらに会うだけでなく、春ちゃんのマヒドン大学での授業風景を見学までさせてもらえることになった。
 
かくして楽しみを胸に深夜便でタイへ渡った私だったのだが、機内で何気なく鑑賞した映画 ”ボヘミアン・ラプソディー” に圧倒され、一睡もできなかった。
 (後にこの映画の素晴らしさを役者・演技側の視点と医療者・患者側の視点で春ちゃんと語り合うことになる)
早朝、睡眠不足でふらふら状態でスワンナプーム国際空港に着き、タクシーでバンコク市内へ。想像以上に近代化が進んでいた。

 

スワンナプーム国際空港出口。

 

バンコク市内のビル街。

 
2月のタイは乾季の最中で、雨はほとんど降らず、外は真夏の気候。屋内は冷房により冷え切っていてすぐに体調を崩した。休養の時間を設け、スケジュールの後半、回復しつつあるところで春ちゃんの元へタクシーで向かった。
 
マヒドン大学音楽学部のあるサラヤキャンパスはバンコク中心地から西へ30kmほど離れた郊外にある。「大学のなかのピラミッドみたいな建物の付近で待ち合わせよう」。スマホという文明の利器を敢えて使わない春ちゃんのアバウトな説明(笑)と広大なキャンパスにより、案の定、待ち合わせ場所を間違えてしまったが、無事に到着し感動の再会を果たした。
 


高校時代と変わらず溌剌としていて笑顔が素敵な春ちゃん。元気そうで安心。
 
 
後の話にも出てくる、春ちゃんが「ピラミッドみたい」と表現した特徴的な建物。
 

 

正面からの写真

 

横からの写真

 

 
これは、Prince Mahidol Hallと呼ばれる大学のコンサートホールである。
正面から見れば三角形のピラミッドのような形をしているが、横から見ると、船の帆のようにも見える。マヒドン大学が誇る医学部を象徴する、人体の骨格をイメージした建築デザインなんだそうだ。「ホールの中も素晴らしいよ」と春ちゃんが警備の方々とタイ語(!)でホール内見学の交渉をしてくれたが、イベントが開催されていないときは中に入ることができないそうで、このときは外から眺めるのみであった。(後日、オーケストラを聴く機会を得た)
 
さらに春ちゃんに案内されてマヒドン大学音楽学部の校舎周辺を歩き回った。都心化が激しいバンコクの中心街からは想像もできないくらい自然が豊かだ。サックスと楽譜がオブジェとなっている石の彫刻を前に、タイ国民に愛された故プミポン前国王がサックスを吹かれていたこと、作曲もしていたこと、さまざまな楽器に親しまれて音楽を愛していたことなどを話してくれた。
 

鯉がたくさん泳いでいます。

 

サックスの彫刻の前で。

 

銅鑼?良い音。

 

素敵な楽譜の柱。

 

絶品!Music Squareでのカオマンガイ。

 

音楽学部というだけあって、柱一本でさえデザインに凝っていて、そこはまるで美術館のようだ。どこを切り取っても絵になり、見かけた学生もギターを弾いていたりバイオリンを持っていたりと悠々としている。このような美しい場所で美的感覚が涵養され芸術作品が誕生するのかと深く納得した。一時的なVisitorである私もすっかり魅了され、そうこうしているうちに体調不良もどこかへ行ってしまった。Music Squareという構内のガラス張りのレストランで絶品タイ料理を堪能した後、約束していた通り春ちゃんの授業を見学させてもらうことになるのだが、この話はまた次回に。
 

次回:魂の授業

 
 
 

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書籍紹介
土屋 祐一郎 さん(高62回生)

2019/9/10 掲載

 
私は現在、機械学習という技術を扱うソフトウェア開発企業に所属しています。
近年「AI」「Deep Learning」と言ったバズワードで知られるようになった領域です。
自動応答(ユーザの問いかけに自動で返答する技術)や、画像認識(画像に写っているものや起こっていることを認識する技術。応用先は例えば監視や警備など)などの技術を活用した製品開発を行なっています。
私自身はこの分野を理論的に牽引する研究職ではなく、技術を社会実装するソフトウェア開発者というポジションで、業界の末席を汚させていただいています。

もともと大学では「知能を持った機械を自分の手で作ってみたい」と思い、機械・情報系の専攻に進みましたが、アカデミックな研究ではなくソフトウェア開発に軸足が移っていき、大学院の頃には休学して経産省の未踏事業(※)に参加したりしていました。(※経済産業省が若手IT人材育成のためにやっている事業です。採択されると、1年弱の間、お金をもらいながら自分の好きな開発をして、その道の第一人者から指導を受けられます。興味のある学生の方はぜひ調べて応募してみてください。おすすめです。)

そんなことをしているうちに、じわじわとAI・Deep Learningブームがやってきました。
それまで興味の赴くままに手を動かしていましたが、どうやらそれで飯が食えるようになってきているようでした。

その後は、未踏事業の同期に誘われて、今の会社で自動対話エージェントの開発を始めました。チャットで文章を送ると、自動で回答してくれるサービスです。例えば、チャットで質問に答えてくれるLINEの企業アカウントや、企業ウェブサイトのチャット画面を使ったことのある方もいるかと思います。中には自動対話エージェントが動いているものもあり、実は皆さんもすでにこのようなシステムに触れているかもしれません。
機械学習・Deep Learningを使って、コンピュータに日本語(自然言語)をどう理解させるか(理解したように見せるか)という問題を考え、また実際に企業に売れるソフトウェアを作るということをしていました。

そのうちに、この領域でソフトウェア開発者向けの技術書を書く企画を出版社の方からいただき、執筆することになりました。上述の、機械学習や自然言語処理(コンピュータに自然言語を扱わせる技術)をビギナー向けに解説する入門書です。
近年は「AI」という単語も広く知られるようになり、この領域に興味を持っている方も多いかと思います。
本書はいわゆるAIについて一般向けに解説する本ではないですが、これからこの分野に進もうと考えている学生の方、ソフトウェア開発を仕事や趣味でやっていて機械学習・自然言語処理にも興味があるという方には、ぜひ読んでいただければと思います。

 

books


土屋 祐一郎 著
「15Stepで踏破 自然言語処理アプリケーション開発入門 (StepUp!選書)」
(リックテレコム、2019)
https://www.amazon.co.jp/dp/4865941320
http://www.ric.co.jp/book/contents/book_1132.html

 
 

「落語家の嫁になったわけ」
樋口かおる さん(高41回生)

2018/6/10 掲載

 

 
こんにちは。41回生の樋口かおると申します。
ほとんど意識したことがないのですが、41回生らしいです。
 
三島市に住んで、二月に一回くらいのペースで「笑福亭羽光Presents三島落語会」の席亭をしております。笑福亭羽光は4コマ漫画に登場する私の夫で、笑福亭鶴光の弟子です。先日の三島落語会第24回では、ゲストに42回生である春風亭傳枝師匠にご登場いただきました。
 
「なんで落語家と結婚したの?」と聞かれることがよくありますので、この4コマを描いてみました。羽光が入門するときのお話です。
 
羽光は入門前はお笑い芸人として活動しており、漫画原作者として週刊ヤングジャンプで連載もしておりました。そして羽光が「落語家になりたい」と言い出したタイミングは、ちょうど息子が生まれる2か月ほど前のこと。
 
羽光は(無理やろ……?)と思いつつ相談してくれたのですが、私はすぐに漫画の通りの返事をしました。羽光は学生時代落研に入っていて受賞歴もあるのですが、私はそのときまで落語というものを一切聞いたことがありませんでした。
そして鶴光師匠から入門のお許しをいただき、前座修業がはじまります。前座修業というのは身心ともに非常に削られるもので、羽光はみるみる痩せていきました。ほぼ同時に赤子も産まれ、病院に行くのも私一人、産まれても面会にすら来ない夫。36時間くらい眠らない赤子(以下20000字省略)……。
 
そして息子は10歳になり、羽光は現在二つ目です。(遅い入門のため、年下の兄さん方に囲まれていることになります)
 
それまでも、入門したときからもずっと落ち着く時期など一切ありませんでしたので、あのとき言ったことはある意味正しかったのではないか、と思います。
 
行き当たりばったりでてきとうに生きている私たちですが、せっかく三島に住んでいるからとはじめた三島落語会もありがたいことに次回で第25回。奇跡的にいつもちょうどいい感じにお集まりいただき楽しい時間を過ごしております。
スマホ時代の子供たちが「落語がはじまっちゃうー!」と急いでやってきたりするところをみると本当に「はじめてよかった~!」と思います。
 
そんな三島落語会、次回も割烹呉竹さんにて開催されます。
開場:18時半
開演:19
出演:三笑亭 可風、笑福亭 羽光
入場料:千円
http://rakugokai.org/2018/05/20/mishimarakugokai25/
是非、お越しくださいませ。
 
なお、私はフリーランスで編集とグラフィックデザインを営んでおりまして、「ご長寿猫がくれた、しあわせな日々 28の奇跡の物語」(ケニア・ドイ著/祥伝社)という本も好評発売中。猫好きの方はこちらもよろしくお願いします。

 
 

龍城球児サポーターズクラブ
和田伸也さん(高23)

2018/3/10 掲載


私の同級生は野球部OBではありませんけれど、よく韮高の試合を 観戦に行っているそうです。
ほかにもOB会が活発な部活動もあるでしょうから、負けじと高校 生を応援するきっかけになるといいなと思い紹介します。
 
<第1回龍城球児サポーターズクラブ総会開催>
韮山高校野球部の飛躍を願って韮山高校野球部を愛してやまない方 々が、龍城球児を熱く温かく応援し、父母会・OB会と連携を図り ながら、物心両面のサポートを行うために昨年発足した「龍城球児 サポーターズクラブ」の第1回総会が開催されました。
活動・会計報告&計画・今後の会の活動方針等の審議を行なった後 、今春の選抜大会に出場する静岡高校野球部後援会会長の阿部裕之 様の「静岡高校野球部後援会活動の現状と課題」について講演を拝 聴しました。100年以上の経験を踏まえた講演内容に今後の活動 方針が見えてきました。
総会終了後に懇親会を行い会員相互の親交を深めました。

現在「龍城球児サポーターズクラブ」の会員は、104名となって います。本会の趣旨に賛同される方々の入会をお待ちしています。
お揃いのサポーターズ帽子をかぶって龍城球児を応援しましょう。

龍城サポーターズクラブの入会案内はこちら
http://www.nirako-bbob.com/k30_tsu/supporter.pdf
 
入会申込書(word)はこちらから>>>
 
サポーターズクラブ

 
 

ホームページ委員編集(記)

箱根から東京五輪への挑戦
近藤秀一さん(高66)
 

2018/1/10 掲載


箱根駅伝(学生連合チーム)を走る予定だった近藤秀一さん(高66・東大3年)からインフルエンザで欠場と無念の連絡が入ったのは、大晦日でした。
SNSには当日まで載せないようにとの学生連合からの通達でみなさまにお知らせすることができず、
お出かけになってしまった方には、お詫び申し上げます。
予選会572人中20位(59分54秒)、10000m記録会と合わせ、今年こそ、チーム最速の記録で希望の一区を走るはずでした。
近藤ロスの同窓生の落胆は相当なものでしたが、一番無念だったはずの近藤さんから
「 自分の走りを楽しみにしてくださっていた 皆さま、大変申し訳ございませんでした。
 再び大舞台で活躍できるよう前を向いて頑張りますので、今後も変わらぬご声援をよろしくお願いします」
と、メッセージを頂きました。
「今年一番の目標は、東京五輪マラソン選考レース出場権を勝ち取ることです。
 その最初のステップとして、2月25日の東京マラソンで2時間10分台を目指します」とも。

http://blog.livedoor.jp/uttflongblog2017/archives/28605547.html

近藤さんにとっての韮高はどんな場所だったのかを伺うと、
「挑戦するための能力を養える場所。部活も勉強も妥協せず真剣に向き合うことで、ガムシャラに頑張ることを覚えることができます。そして、ほどほどに田舎で(笑)できることは限られているからこそ、大学生活では心の中に溜めてきたエネルギーを爆発させることができます」と、お返事を頂きました。
東京マラソン、予選会、箱根、同窓会有志で作ったのぼりを掲げて皆さんで応援に行きましょう。
 

同窓会有志で10枚作ったのぼり

同窓会有志で10枚作ったのぼり



第2回三保松原学文化講座のご案内
(三保松原学シンポジウム2016のご案内)

 

東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2016/10/10 掲載

 
三保の松原は、平成25年6月の富士山世界文化遺産登録に伴って構成資産の一つに選ばれました。近年の三保松原は、日本の「歴史教育や文化教育」などに採り上げられる機会も減り、静岡県以外の若い世代には三保松原の名前すら知らない人も多くなっているようです。現実に、都内在住の静岡県出身以外の40代の世代に「三保松原や羽衣伝説を知っていますか?」と尋ねても、知らないという答えが返ってきました。
「富士山」が日本の象徴として国家や宗教や芸術などに古くから採り上げられてきたように、富士山を借景とする良好な景観を有する「三保松原」も、富士山と同様に日本文化の基層に位置する大切な文化的資源として、戦前までは広く語り継がれてきた歴史があります。しかしながら、三保松原は、戦後に入って「過去の歴史を尊重する時代」から「未来志向の自由と平等の時代」へと変化していくなかで、採り上げられる機会も徐々に減少していったといえます。
私たちは、世界遺産の登録をきっかけにして、富士山や三保松原の歴史的文化的な資源を再確認する必要性を強く感じ、静岡市清水区にある市の教育研修施設や教育機関を会場として、幅広い視点から三保松原を捉えた文化講座とシンポジウムを開催することにしました。(静岡市が建設を予定している[仮称]三保松原ビジターセンター[2018年度完成予定]での文化講座等のモデルになればという思いもあります。)
また、私たち自身が、文化講座やシンポジウムをとおして、三保松原が世界遺産にふさわしい場所であることを、再認識する良い機会になればという思いも強くあります。そして、文化講座やシンポジウムや調査の成果が、将来的に三保松原の魅力を広く後世に伝えることを願っています。
ここに、第2回目の文化講座を実施しますので、ご案内を申し上げますとともに、11月5日に実施されます「三保松原学シンポジウム2016」についても、多くの人が講演とトークディスカッションを聞かれることをお勧め申し上げます。三保松原学文化講座は45名の希望者が出ておりますが、聴講は可能ですので三保松原学文化講座のHPをご覧いただきまして、ご来場をお待ちしております。
 
シンポジウム

 
http://www.nirako-dosokai.org/pdf/matsubara.pdf
 
 
 



伊豆学と三保松原学
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/10/10 掲載

 
 中秋の名月 9月27日(日)の「静岡県立韮山高等学校同窓会総会」に、卒業以来初めて参加させていただきました。
 岩崎清悟会長を始めとする役員の方々と熱海地区の同窓会の皆様方には、開催までのご尽力に対し心より敬意と御礼を申し上げます。(特に、実行委員長の高19期の同級生・川瀬正美君ご苦労様でした。)
 第1部の総会は岩崎会長の同窓会のあり方に始まり、現在の韮山高校の状況など縷々説明があり、同窓生の皆様方も韮山高校の変わり方に驚いたり感心したり、そして報告事項、審議事項も粛々と進められました。そして私の一番聞きたかった第2部の講演会は、「里はまだ夜深し~江川英龍と韮山反射炉~」と題して、高23期卒業生の橋本敬之氏が1時間半にわたって熱弁をふるっていただき、卒業生であっても知らなかった江川英龍の生き様と、幕末から明治への日本の産業革命の夜明けを聞くに至り、今回の同窓会総会へ参加した意義は果たせました。本当に、目を閉じると江川邸・龍城山・反射炉・蛭が小島の情景、そして高校時代の一コマ一コマが脳裏に浮かんでくるのですから、人生の中で一番多感な高校時期を韮山高校で過ごしたことは、「文武両立」を目指し切磋琢磨した日々が、人生の大きな財産となっているのだと、あらためて認識させられました。第3部の懇親会では、土屋友親副会長、私の悪友?である秋元君(平成建設)ほか後藤君・鈴木君・飯田君らと、今から50年前の高校時代にタイムスリップして熱く歓談しました。静岡県内最も古い歴史を誇る母校という、プライドとアイデンティティーを参加された老若男女の卒業生すべてが持っていることは、他校には類を見ない大きな財産だと思いました。私自身も、おそらくこの生を全うするまで、韮山高校卒業生として「龍城魂」と校訓の「忍」を持ち続けるものと思います。
 
 
 今、私たち三保松原周辺に居住する人々は大きな課題に取り組んでおります。本日の第2部で講演をされた橋本氏が「伊豆学」を主宰され、多方面で活躍されていますが、同様に「三保松原学」を立ち上げようとしていることです。静岡県の方では「富士山学」という学問体系?を立ち上げました。富士山世界文化遺産の構成資産でもある三保松原には、今次の世界遺産に登録されても、登録の意義がわかりづらいし、子どもたちにどのように伝えればよいか困っていました。そこで、有志が立ち上がり今次の登録のポイントである、「三保松原は信仰の対象・芸術の源泉として富士山との関係性が深く、構成資産に相応しい」と評価された点(文化的価値)を、保存し、継承していくために、「守る」「伝える」「交わる」「究める」という観点で、人々のネットワークを作り、常に情報発信をしていこうと「三保松原学」の確立を考えました。現在、羽衣ルネッサンス協議会のメンバーとコーディネーターの本阿弥清氏(多摩美大芸術人類学研究所)が、文学・美学・環境学の専門家を招聘して、文化講座を主宰し参加希望者を募っております。
 本当の意味での、富士山文化遺産(三保松原)を後世に伝えていくための、事業が始まったばかりです。
 
LinkIcon 三保松原文化講座 10/15締切受講者募集中
 
 
 
 

 




龍城山の「松」と、三保松原の 「松」に想う
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/9/10 掲載

【この文章は、2015/8/10のメルマガ配信後にいただいたメールを掲載させていただきました】
 
立秋となるとも、秋の気配は未だ遠しですね。
しばらくは、この暑さは続きますかな。私も、健康のために(肥満防止?)毎夕、自宅近くの三保の松原の中の「羽衣の 神の道と、羽衣の松周遊コース」を1時間かけてウォーキングしていますが、観光客も夕暮れの中を汗を拭き拭き、歩いている光景を見るたびに、年々異常気象による弊害が出ていると思えてなりません。
 
今から45年前に、この清水市三保の松原の地に教職の第一歩をしるした当時は、三保の松原の松も青々としており、白砂青松の、自然豊かな銭湯に壁に描かれた「三保の松原から見る富士山と駿河湾」でしたが、自然環境の変化に伴い(人間がより住みやすくするために、自然を破壊することによる変化)、松の数は5万本から3万本に減少いたしました。そして残った松も、自生する力が年々衰えて、逆に人間の手を借りなければならない状態となりました。
 
」と言えば思い出すのは、韮山高校時代のことです。
入学と同時に、学校案内と称して、担任の 伊東成城先生が龍城山にクラス全員を連れていき、源頼朝北条早雲豊臣秀吉そして、江川太郎左衛門の話を、解り易くしていただき、如何にこの地が「歴史上の要衝の地」であったかを、認識させてもらいました。その後も、江川邸の見学、蛭が小島の見学、反射炉の見学、本立寺の江川家の墓参りと清掃、などをする(させられる)ことで、韮山という土地を徹底的にインプットされました。
 そしてそこの情景にあるものが、いつも「松」なのです。
 
 松は「常緑針葉樹」です。年間を通していつも緑を私たちの目に届けてくれます。
 また、能舞台の後ろにある板を「鏡板」といい、松の絵が描かれています。この松は舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったもの とされます。影向 とは神仏が姿を現すことで、影向の松は 神仏が現れる時の依代(よりしろ) となるものです。また、松は「寿」の字のような格好だが、鏡板の絵は鏡に映っているという想定だから、「寿」の字をさかさまにした形をしています。神仏に守られて「能」を舞う という舞台装置になっているのです。
 
 今、その松がピンチに立たされています。 龍城山のクロマツと同様に、三保の松原の松もその生育に赤 信号がともり、世界文化遺産の構成資産の地となったことをきっかけに、地元の人たちや 地元の学校が立ち上がり、定期的に松の根元の清掃をするようになりました。しかし、多くの松を元気づけるまでにはいきません。年間数十本の松が立ち枯れをしています。
 だからこそ、我心のふるさと韮山の史跡の松を大切に保存してほしい。そしてなによりも、龍城山の松は校歌の如くあってほしいものだ。
 
  勁 (つよ)くますぐに 飾りなく
  いや伸 びいそぐ 龍城の
  松の太幹(ふとみき) とりどりに
  生(お ほし)立つべき 日は近し
 
このように素晴らしい龍城山の松と校歌は、卒業生の心のよりどころ。
 
 今、「三保松原学」の講座を企画中です。三保松原は、世界文化遺産の富士山の構成資産です。
韮山反射炉のような歴史的な史実があるわけでもなく、むしろ信仰や観光、芸術の対象であるので、地域住民も反射炉のように歓迎する人たちばかりではありません。交通渋滞とゴミの後始末にうんざりしている人もいます。これからどのような方法で三保の松原を保存し、その芸術性を理解し、富士山の持つ宗教的な哲学をどのように伝承すべきかが大きな問題点となっています。
 
 県はただ単に世界文化遺産になれば、観光客が来県し、県としての誇りとなることだけしか考えていません。歴史的史実のない文化遺産の維持と保存及び啓蒙は、まだまだいばらの道です。
 
 
 




韮高に通学し、三保松原に住んで・・・66歳 の雑感
東海大学名誉顧問 高橋信由(高19回)

 

2015/8/10 掲載

【この文章は、2015/7/10のメルマガ配信後にいただいたメールを掲載させていただきました】
高橋さん

 
 
 台風が相次いで沖縄県を直撃し、大きな被害が出ております。住民の皆様にお見舞いを申し上げます。
 さて、高校野球も今日が決勝戦となりました。母校韮高の高校野球で思い出すのは、夏の甲子園初出場の時、故浜田邦夫君の肝いりで毎試合新幹線で、19期生が大挙して応援に行きあのアルプススタンドで校歌を大声で歌ったことですね。もっとも、往復の新幹線の中で、皆で缶ビールを空けながら、他の乗客には迷惑だったかもしれませんが、韮高の校歌を小声で歌ったこと、歌い終わったら他の乗客の方から拍手が湧きました。(そんな良い時代だったね。)
  私は、長泉中学から韮高に入学いたしました。この学年は団塊の世代の真っただ中でしたので、定員も360名ぐらいだったと思います。(おかげで入学できました?)。うち女子生徒は36名で、3年次にやっと文科系理科系半々の、女子16名がいるクラスとなりました。担任は1年次が地理の伊東先生(静岡市在住)、2年次が数学の松本先生(故人)、3年次が同じく数学の増井先生(故人:吉原商業校長・静岡市立商業校長歴任)でした。
バスケ
 中学時代からバスケットボール部に入っていたので、韮高に入ってもバスケットボール部に入部しました。これも、韮高の先輩で、清水中、長泉中の校長を歴任した渡邊智先生の勧めがあったからです。当時は浜松商業と日大三島が双璧でしたので、中体連の県大会終了後、韮高か日大三島か悩んだ末韮高に決めました。入学後は、バスケットボールばかりやっていて、いつも数学は赤点を取って追試を受けていましたが、3年次に文科系クラスとなり、日本史が鈴木荘泰先生で、この先生の授業だけは教卓の前の席で真剣に受け、「お前は社会科の教師になれ」と言われたことを今でも忘れません。勿論、1年次担任の地理の伊東先生の授業が楽しくて、社会科と言っても地理と日本史が好きになったと思います。
主将となったバスケットボール部は県大会出場程度の実績しか残せませんでしたが、龍城祭ではタブーと言われた東部地区の女子高校の制服を着て「ミス韮高コンテスト」を、ステージでやったことです。私は妹が1年生にいたので、韮高の制服を借りて出場したことを思い出します。(他校では考えられないことですね、韮高ならではのおおらかさですね)。
そして体育祭では北軍の委員長を任され、前日から櫓の中で、泊まってデコレーションの制作をし、体育祭終了後は龍城山の神社の前で、打ち上げの「酒盛り」をしたことも忘れられない思い出です。(もっとも、先生方も韮高の入り口の酒屋の二階で反省慰労会をやっていたようですが)。
まあとにかく、青春の思い出いっぱいの韮山高校時代であったということは間違いない事実です。
 
 
 
バスケ
 そんなバスケットボール部の練習で走らされ、美術の時間に写生?に行っていた反射炉が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録されたこと、大変うれしく懐かしく思うとともに自分の人生の巡り会わせに驚いています。それは、私が昨年3月に65歳となり校長職を退職した学校が、三保の松原にある東海大学付属翔洋高校だったからです。大学卒業後、東海大第一高校に奉職してから43年間、この三保の地に住み、三保の女性を妻にし、歩いて5分の所に「景勝・三保松原・羽衣の松」があるという世界文化遺産の構成資産のど真ん中で生活しています。生涯で、二つの世界遺産にめぐり会わす人は、そうそういないと思います。先日、私の同級生で沼津平成建設の取締役社長の秋元久雄君に、静岡で講演をお願いした後、食事をしながら時間を忘れて、韮高時代を懐かしみました。そして、別れ際の「高橋、お前は幸せ者だよ、人生で2回も世界遺産の場所にいれたんだから」と、言われた言葉が今でも残っています。
 これからも、韮山の反射炉という世界遺産の地に学び、そして今世界文化遺産の三保の松原に住んでいることを誇りに思って、残りの人生を卒業生の、家族の、地域のために、韮高の「忍」という校訓を胸に、恩返しをして生きていきたいと思います。
 
 
 
 




TBSテレビ60周年特別企画 日曜劇場「天皇の料理番」
プロデューサー 石丸彰彦さん(高45回)

 

2015/6/10 掲載

 
 
☆いよいよパリでの修行生活が始まった「天皇の料理番」ですが、 作品の見どころは?

どうしようもなかった男が どうしようもなく料理に夢を見たお話です。
夢は一人では叶わなくて 夢は一日でも叶わない・・。
人々の愛がその男を大きくしていった・・・。
そんな「愛」を感じてくれたら良いな~ と思って創っています。
 
☆観て良かったなぁと思える作品ですね。 ところで、高校時代に現フジテレビ社長
 亀山千広さん(高27)の 講演を聴いたことが プロデューサーになられたきっかけだそう ですが、
 ドラマのプロデューサーとは?
■企画の立案。
■キャスト&スタッフのキャスティング。
■脚本家と脚本を創る(満足するまで)。
■宣伝パッケージを考える
(屋外広告展開・キャッチコピー・SPOT映像など)。
■出演するキャストに役柄のイメージを伝える。
■ロケ&スタジオの収録時の安全管理。
■予算の管理(技術費はいくら等細かく差配)。
■主題歌&劇中音楽のイメージを考え伝える(決める)。
■監督が編集したもののチェック。
■監督が音楽入れ&音入れをしたものをチェック。
などなどです。
番組全体のトータルパッケージを考え、 運営していくというのが 一番短い説明だと思います。
 
☆まさに「天皇の料理番」という会社の社長ですね。 ご自身の就職した当時と比べてテレビ界は変わりましたか?
就職した当時より他チャンネル化が進んでいます。 リアルタイムで見るべきだったものが、
放送終わったら すぐにネットで見れるようにもなってきました。
 
☆オンデマンドですね。
インターネットというものも1990年代よりかなり進んでいます。
単純に広告収入の事から見ても視聴率だけでは 計れないものになってきていると感じます。
 
☆録画して見る方も多いですしね。 構想から企画が通るまでの時間は?
企画の構想期間は人によってまちまちですし、 企画によってもまちまちです。
長いものならば構想から放送まで3年というものもあります (JIN~仁~はそうでした)
 
☆『JIN~仁~』は江川邸でも撮影し 東京国際ドラマアワードプロデュース賞など 多くの賞を受賞されましたね。
常にどういう企画をドラマでやるのか等は無意識ですが 365日考えているのではないでしょうか。
放送後も、最終回の放送まで視聴率で一喜一憂せず 地に足をつけ、最初に思ったテーマを 大事にしていく事が一番だと思っています。
 
☆時代背景の表現も見事だと思いますが、 2話の見習いコックさんの寮には驚きました。
実際の部屋の写真も何も残っていないので・・・。
見習いの給料などを考え 美術&監督とイメージしてあのような寮にしています。
 
 
本当に多くの皆様の力でドラマは完成するのですね。
今作は、全12話。放送時間もその回によりまちまちです。
それはまさに石丸さんの力のなせる業ですとプロデューサーの お仲間が教えて下さいました。
「BESTは何かを最後の最後まで、 一点の妥協も無く突き詰めているからこそ
 その姿勢が周りを動かすのだと思います」 と。
 
残すところあと5話、ますます楽しみになってきました。
 
 
*石丸さんの以前の記事は、「龍城のWA!」11回、56回をご覧下さい。
http://www.nirako-dosokai.org/melmaga-corner/mlcorner.html
 
 


「韮高同窓会 東北応援ボランティアバス」に乗って

2015/2/10 掲載

ボランティア
渋谷(柴原)由美
 
 2011年7月17日。日本テレビの報道番組『バンキシャ!』を見てわたしは深い感銘を受けました。震災と原発の事故から四ヶ月、番組は「週末ボランティア」の様子を映し出していました。毎週末(金曜の晩)バスで東京を出発し、東北各地の被災地で早朝から炊き出しや泥上げ、瓦礫の撤去作業などをして、土曜の夜中(日曜の朝)に戻ってくるのです。そんな人が大勢いるなんて . . . 。驚き、胸が熱くなりました。さらに驚いたことに、人々のリーダー的存在として紹介されていたビジネスマンは、なんと韮高の同期、伊東(鈴木)雅道君だったのです。
 深い霧の中で光を見つけたような気持ちでした。3.11以降、鎮魂と復活を願いながら、ずっと無力感に苛まれていたからです。9月にはわたしも同じバスで陸前高田へ行き、瓦礫を拾いました。仮設住宅の皆さんに花の苗や湯たんぽを届けるプロジェクトにも参加させてもらいました。
 津波にすべてを根こそぎ持って行かれ、多くの方が亡くなった場所に踏み入るのは、痛みをともなう経験でした。想像を絶する光景が何度も夢に出てきました。けれど地元の皆さんの「きてけらいんね」「まってっがらねー」という声に誘われ、次の週にはまた東北へ向かっていました。
 この伊東君の活躍――ボランティアの仲間だけでなく、すでに地元の皆さんからも、すっかり慕われ頼りにされていました――を仲良しの同期、土屋(林)祐子さんにお話したのが「韮山高校東北応援ボランティアバス」誕生のきっかけです。
 一年後、祐子さんをはじめ多くの方のご尽力によって、第一回目のツアーが実現しました。
2012年11月30日(金)夜~12月2日(日)のことです。
 
第一回 東北応援ボランティアバス
 
二回目・三回目は、やはり同期の土屋知省君と山下(大嶽)信義君が幹事さんをしてくれています。
 
第二回 東北応援ボランティアバス
第三回 東北応援ボランティアバス
 
 わたしは「韮山高校東北応援ボランティアバス」が大好きです。三回とも続けて参加していますが、あと十回でも二十回でも行きたいくらい。理由は数え切れませんが・・・
 魅力の第一は、個人ではとうてい立ち寄れない場所に行き、被災された方々のお話を直接親しく伺うことができることです。これはひとえに、伊東君や土屋君、また韮高ならではのネットワークの賜ものですが、被災者の皆さんは、強い怒りと悲しみに裏打ちされた、人の心を揺さぶる言葉をお持ちです。毎回、実際に見ること、じかに聞くことの大切さを痛感します。
 次に、なんといってもツアーに参加される皆さんが素敵なこと。とくにお元気な大先輩方には、ほんとうに励まされます。わたしも将来こうなりたい・見倣いたいと決まって思わせてくださるのですから。
 三つめは、この東北応援バスの話をすると、誰もが「なんてすてきな高校なの!すばらしい同窓会ね」「しかも続けているのがすごい!」と褒めてくれることです。かいつまんで話すだけで、東北はもとより伊豆の人々にも思いをはせてもらえる。故郷を離れて暮らす者にとってこれほど嬉しいことはありません。
 ときどき、「今頃行って、何か役に立つことができるのですか?」と訊かれます。「ボランティアが減っている今だからこそ、いっそう必要です。震災を風化させないためにも、行くことに意味があるんです」とお答えしています。じつは、わたし自身、非力な自分に何ができるんだろうという迷いが沸き上がるたびに、ある被災者のかたの言葉を思い出します。
「ボランティアの仕事で大切なのは、作業そのものではありません。"いまも忘れずに、気にかけて来てくれる人がいる" という事実を、実際に見せて伝えることです。――ですから、みなさんは来てくださるだけでいい、存在だけで十分にありがたいのです」
 地元の皆さんとの交流で現地の実情を知り、ささやかなお手伝いや買い物で東北を応援するツアー、ご一緒しませんか?
 第四回のボラバスは、6月19日(金)夜~21日(日)。ご家族・お知り合いも誘われて、ぜひご参加ください。
 
 
 


三島市役所龍城会

2015/1/10 掲載

渡辺義行(高30回)
 
 私たち三島市役所龍城会は、三島市の職員や議員等で構成され、会員数は職員88人、議員5人の合計93人です。おそらく日本中で、韮高の卒業生が最も多い事業所だと思います。間違っていたらごめんね青春!
 当会の活動は、夏の「暑気払い」と春の「新年会」という酒飲みにはたまらない行事が中心で、ここで育まれる会員相互の絆は強固です。新年会は泊まりという豪華さで、最近は伊豆長岡温泉で定着しています。昔は新入会員が新年会で女装などの余興を披露して大いに盛り上がったものですが、近年は一歩間違えばパワハラになるとの危機意識からか、このような趣向が影を潜めてきており少々寂しく感じます。ただ、10年前に比べ急増した女性会員が、大挙して参加してくれるので、昔より今の方がいいと簡単に納得してしまう今日この頃です。
 女性会員の出席率の向上は、ステーキや鮑を女性会員にだけ追加し、食べ物で釣ろうという歴代幹事の涙ぐましい努力の賜物です。
暑気払いも新年会も、締めはやはり校歌や寮歌の斉唱です。出席者約70人が輪になって肩を組み、文字通り放歌高吟しますので古い旅館なら倒れるくらいの超ど迫力です。参加者全員が韮高生でよかったなあと感じる瞬間です。
 さて当会の会員は、飲み会ばかりに力を入れているわけではありません。そのパワーを当然仕事にも注いでいます。会員である豊岡武士市長と土屋俊博議長を先頭に、行政と議会が両輪となりチーム三島として、「ガーデンシティみしま」と「スマートウェルネスみしま」というふたつの施策をメインに、湧水と緑と花に囲まれた誰もが住みたくなる美しく品格のある健幸都市を目指しています。こうして築いてきた美しい三島の街並みに宮藤官九郎監督がぞっこんとなり(ご本人談)、昨年暮れまで放映されたTBS系日曜夜9時のドラマの舞台にしてくださいました。ご存じ「ごめんね青春!」です。
 これからも三島市役所龍城会は、仕事に懇親会に全力投球する会員の心の拠りどころとして、ますます発展していきます。

韮高柔道部OB会

2014/10/10 掲載

 
橋本五十夫(高14回)
 
平成26年9月6日(土) 伊豆長岡のホテルサンバレー富士見で、韮高柔道部OB45人にご参加いただき、野田昭一氏(高16回)の静岡県柔道協会会長就任を祝う会を行いました。
 そのときの集合写真を公開します。

「トツキトウカ」について

2014/07/10 掲載

野村理美(旧姓:細井) 中山綾子(旧姓:松井) 清水友美(旧姓:磯野) 川瀬美智子(旧姓:木村)
 
 
「トツキトウカ」を 立ち上げた理由
韮山高校同窓会の皆さま、こんにちは。野村理美(高53回、旧姓:細井)と申します。
私が参加している地元の子育て環境活性化プロジェクト「トツキトウカ SHIZUOKA EAST」についてご紹介させていただきます。 まず「トツキトウカ」とは、妊娠中~1歳を迎えるまでの赤ちゃんへ、ご家族からのメッセージを集めた詩集であり、その静岡県東部版を発行するべく、県東部の子育て情報サイト「ママとね(http://www.mamatone.net/)」を窓口に地元のママ30人ほどで実行委員を組織し、10月発行に向けてメッセージの募集、PR活動、活動資金への協賛募集を行っています。韮高OGからも出産を経験した4名が実行委員として参加しております。
 静岡県は現在、転出が転入を上回る人口の転出超過が全国ワースト2であることをご存じでしょうか?さらに県内で、子どもを産む中心である20~39歳の女性人口が2040年までに半分以下になる「消滅可能性都市」と位置づけられた自治体が11あり、そのうち9つが伊豆を中心とした静岡県東部の自治体です。 この状況に、子育て世代がつながるきっかけを作る事で貢献できないか。「子どもを産み育てることが幸せ」と思えるような地域を作っていきたい。そんな思いで、このプロジェクトを立ち上げました。 県東部の各自治体の後援を受け、できあがった詩集は母子手帳交付時や赤ちゃん訪問時、子育て関連施設などで無料配布していきます。
 つきましては、卒業生の皆さま、地元のママたちが推進するこの地元活性化プロジェクトを、ぜひ応援してください!これから生まれる未来の韮高生が多くの友達に囲まれ、笑顔で健やかに育つような環境を一緒に作っていきましょう!

「トツキトウカ」への応援方法は2通りあります。



【赤ちゃんへ贈るメッセージの投稿】・【活動資金への寄付】です。
現在7月末まで赤ちゃんへ贈るメッセージを募集しています。また、この詩集の発行・配布にかかる活動資金を、プロジェクトに賛同してくださる地元企業や個人の方からの寄付によって、集めております。静岡新聞、朝日新聞、東京新聞など様々なメディアに取り上げていただいていますが、いまだ認知の低い活動です。活動を広めていただくだけでも大変ありがたいです。
トツキトウカSHIZUOKA EAST       http://www.mamatone.net/#!untitled/c17u1
メッセージの応募はこちら(7月末〆切)  https://pro.form-mailer.jp/fms/f0cb791d58286
企業協賛はこちら →  http://media.wix.com/ugd/985deb_1bff860a490d420693722d82d9824020.pdf
※11月2日に詩集発行記念イベントを予定しており、そちらへのブース出展も募集しております。
個人協賛はこちら → インターネット募金サービス『FAAVO静岡』 https://faavo.jp/shizuoka/project/250
7/22(火)までに目標募金額を達成しないと、多くの方のお気持ちを1円も受け取ることができません。
皆さまからのご支援をお待ちしております!!
このプロジェクト、ご協賛についてなどお問い合わせは私までメールにて直接ご連絡ください。
groove_sal_89@hotmail.co.jp (野村

  
  
  

第2回三島龍女会に参加して

2014/04/10 掲載

石井 尚子(高33)
 
 3月15日に第2回三島龍女会が『地元・三島を再認識』をテーマに開催されました。
高5回から59回までの三島市及び近隣市町から女性14名が参加しました。
 楽寿園に集合し、楽寿館見学後、認定ジオガイドの山口東司さんに
園内から浅間芝岡神社まで案内してもらいました。これまで無意識に通り過ぎていた
園内各所に貴重なジオポイントがあることを知り、勉強になりました。
 そして、いよいよ『ロザート』での食事会。
美味しい食事とデザートに楽しい会話、あっという間の4時間でした。
 次年度は10月に『クレマチスの丘』で開催予定です。
女性の皆様、参加してみませんか!!
 

 
 
 

第2回三島龍女会に参加して

2014/04/10 掲載

木内 きよみ(高36)
 
 今回、第2回三島龍女会に、初めて参加させていただきました。
卒業してから早30年。親しい友人と会う事はありましたが、
同窓会と名のつく行事に参加した事はありませんでした。
「三島支部でこのような会が催されるので参加してみない?」と世話人の
Fさんからお誘いを受け、人柄に吸い込まれるように参加を決め、
友人を誘って当日を迎えました。
 今まで、家族と共に楽寿園に行く事はありましたが、楽寿館の存在すら知らず、
また園内の溶岩流の知識など微塵もなかったので、貴重なお話を聞く事ができ、
三島そして伊豆には、こんなに沢山の歴史や自然の恵みがあるのかと、
改めて感じました。
その後のロザートでのランチも、こじんまりとした雰囲気のあるお店で、
イタリア家庭料理を美味しくいただきました。また、初対面の大先輩や若い後輩と
同じテーブルを囲んでのおしゃべりも、同窓生という共通項のお陰で話も弾み、
あっという間に時が流れていました。
 韮山に住みながら、同窓生と会う機会のなかった私に、このような機会をくださって
本当にありがとうございました。また来年誘っていただけたら、是非参加したいと思います。
女性の皆様、参加してみませんか!!