同窓会有志ボランティアバス

 11月30日(金)夜から12月2日(日)にかけて、宮城県東松島市宮戸島、南三陸町を訪れたボランティアバスツアー。
当初予定していた大型から中型バスに変更しての実施でしたが、帰りのバスの中でまたバスを出そう(5.24〜26予定)という話しが出ました。
募集期間が短かったこともあり予定人数に達せず、採算が合わず苦慮していたところ、大口の募金をして下さった方がいらして、ちゃんとツアーが実行できたことに感謝申し上げると共に韮高の底力を感じました。さらに次に繋げようとする意見が出て、予定まで立ててしまう皆様には感動させられると共に同窓生であることを誇りに思います。
尚「月光の太陽」へは3万円の寄付をさせて頂きました。

 
今月から3回に渡り、ツアー参加者の皆様のコメントを載せさせて頂きます。写真はこちらから

韮山高校同窓会ボラバスツアーに参加して

高30回 土屋 知省さん(次回ツアーの30回代表幹事さんです)こちらの写真もご覧下さい。

 昨年夏、旅行社の主催する、温泉旅館に宿泊し、夜は松島のスナックでカラオケするという、「生ぬるい」ボランティアツアーで奥松島を訪れたことがあり、今回のツアーは宮戸島も目的地に含まれるということで申し込ませていただきました。まずは、当初の心情を白状しますが、バスに乗ってみると、やはりと言うか、恐れていたとおり(笑)と言うか、参加者の中には、何回も、独力で、ボランティアに行ったという「本格派」が少なからずおり、自分の居場所があるかと心配していたところ、「一度来たかったが去年は来る時間・機会がなかった」という初参加の方が多数おり、「大丈夫、自分は平均だ」と妙に安心しました。今日この頃、自分も含めて世間は、震災後の一種の「高揚感」が抜け、被災地への関心が薄れてきているのではないかと感じていたところ、気にかけている人達が少なからずいることに驚き、少し嬉しく思いました。

 さて、ツアーに参加しての感想ですが、一つには、月並みですが、被災地の実情を直接見聞することは、体験する価値のあるものでした。南三陸町の防災庁舎はよく報道映像に出てきますが、現地に立つと、その周りにコンクリートのガレキが散乱する旧市街地が一面に広がっていることがわかり、破壊のすさまじさを体感しますし、津波前は何十戸もあった宮戸島の集落のひとつが今は土台を残した空き地と人気の無い砂浜になっている様を見ると、島の生活が一変したことを直感できました。仮設住宅の集会所で話したおばあさんの一人は、震災当日、漁協の屋上で周りを濁流に取り囲まれたときのことを、また、一緒に生き残った夫を先だって亡くしたことを話すとき、泣き出してしまいましたが(私は、こういうコミュニケーションが苦手で、共感しながら話し相手になり、一緒に泣くことのできる女性の方々に助けてもらい、感謝し尊敬します。)、津波の恐怖や肉親を失った悲しさの深さ、癒やしにかかるであろう長い時間を感じました。全体として、被災地は、まだ「復旧」や「復興」という言葉からはほど遠い状況であり、長い道のりの第一歩を歩き始めたところです。

 2つには、被災地の方々が明るく生活し、ふるさとを再建しようとしている姿に印象づけられました。震災直後から毎週のように被災地に通い活動を続けてきた伊東さんが築かれた現地の方々との信頼のおかげもあると思いますが、訪問先の方々は、皆、私たちを快く迎え、歓待してくださいました。宮戸島では、「月光」の方々が、工場稼働まだ4日目にも関わらず、脱子ちゃんやQ太君とともに海苔を漉く作業過程を見せていただきました。「月光」と言えば、私の年頃では忍者部隊ですが、ここ月浜集落で海苔の生産を共同で行うグループの名称であり、名前の意味は、数軒を除いて何もかも流されてしまった、月浜の希望の光ということと、寄せられる支援(太陽の光)を月のように反射したいということだそうです(なお、「脱子ちゃん」等は機械の名前)。南三陸町の伊里前は、気仙沼線や歌津バイパスの残骸とコンクリートガレキの目立つところでしたがが、若い牡蠣漁師の方から仮設のテントで養殖再開の試みのお話を伺ったり、プレハブの「伊里前福幸商店街」で、まだ工場が再建されていないため広く出荷できず、地元でしか食べない牡蠣などをいただきました。一様に言えるのは、皆さん、外から来てくれることを喜んでいるということでした。

 3つ目に、「なんちゃって」ボランティアの身でおこがましいのですが、被災地の方々のために何ができるのかな、ということを考えさせられました。今回のツアーでは、集団での肉体労働は登山道のゴミ拾いだけでしたが、確かに初心のボランティアの活動として、住宅の片付け、筏の修理など人海戦術的な仕事は、一部地域を除いて少なくなっているようです。ただ、少なくとも、現地を訪問し、お話を伺い、気にかけていることを示すことの意味は、訪問した方々の反応からすると小さくないな、と思いました。また、今回は、奥松島では漁船で嵯峨渓の眺めを堪能し、南三陸では焼きたての海の幸を楽しみ、仮設住宅、商店街では地元のお土産を買いましたが、伊豆と同様に、観光地である奥松島や三陸にとっては、多くの人が再び訪れるようになることは地域の賑わいや経済の活性を取り戻すことになります。実際、これからは、外部から人を呼んで地元と交流するイベントに取り組もうというボランティアの方のお話も伺いました。以上総合すると、バスの団体旅行もあまり変わらないじゃないかとも言えますが、地元貢献という意味ではそうであると思います。ただ、大嶽君がいうとおり、今回のようなツアーが続いていくことが大事であると思います。

 今回のツアーを成立させるに当たっては、韮山高校同窓会の多大なご理解、幹事の皆さんの頑張り、参加に替えての寄付等があったことを後に知りましたが、改めて感謝申し上げます。また、当日お世話になった伊東さん、知り合いの地元の方々に御礼申し上げます。 

 次のツアーも成功させましょう。

 

高30回 渋谷(柴原)由美さん(今回たくさんの同級生をお誘いしツアーを成功させてくれた影の幹事)

世代を超えたすてきな仲間とともに、言葉に表せないくらいの素晴らしい経験ができました。
期待をはるかに超える充実感で、帰り際には、みなさんとお別れしたくなくて、渋滞を祈ってしまったほどです。

韮高、すごい!」ってつくづく思いました。
画期的なツアーを実現させてくださった、同窓会事務局の宇田久子さん、古瀬明美さん、土屋祐子さんはじめ、ご尽力いただいたすべてのかたに感謝いたします。

2011年の夏、陸前高田へ行ったとき、わたしは日記に書きました。   

 あふれる涙を止められなかった。   
 テレビで見る映像は、どんなに鮮明だとしても「面」なんだと思った。   
 画面からは、見渡すかぎり広がる荒涼とした風景の、  
 "奥ゆき" や "広がり" が、ほんとうには感じられない。   
 町全体が根こそぎ持っていかれた、その根こそぎの "深さ" が、感じられない。

今回の韮高のツアーは、そのときの衝撃を追体験するようなものになりました。
多くの被災者の皆さんから、直接お話をうかがうことができたからだと思います。
旅の感想をブログに載せたところ、見知らぬ男性からコメントをいただきました。   

 石巻の者として嬉しく思います。ありがとうございます。   
 震災後、ただ時間ばかりが過ぎていくような、   
 やり切れないもどかしい想いが多いなか、   
 実際に足を運んでくれて、救われます。   
 ありがとう!


知人のそのまた知人のAさんというかたでした。
今回、わたしたちは石巻へは行っていません。宮戸島から南三陸へ行くとき通っただけです。
それなのに、こうしてお礼を言ってくださる。 なんだか申し訳ないような気がして、涙があふれそうでした。

たとえ何もできないとしても、とにかく行って、
忘れてないよ。気にかけてるよ」と現地のかたに感じてもらえたら、それでいい。
いま、そんな思いを新たにしています。

12月7日、ツアーの一週間後、三陸沖で大きな地震がありました。
現地で親しくなった皆さん、ご無事でほっとしました。
彼らの緊急時の、冷静・迅速かつ思いやりにあふれた行動を、
インターネットで、つぶさに知って、ぜひとも見倣いたいと思いました。

どんなにお手伝いしたとしても、被災地の皆さんから、 もらうこと、
教わることのほうが、ずっとずっと多い.
. . と感じています。

ボランティア・バスツアー、大変だとは思いますが、ぜひまたご企画ください。
次回も、きっときっと参加させていただきます。

高30回 今関 浩和さん(素敵な写真はこちら ご覧になるにはGoogle登録が必要です)

2012年11月30日(金)−12月2日(日)
高校の同窓会が企画してくれたボランティア活動に参加しました。
 ・宮戸島(奥松島)
 ・南三陸町
現地で復興やボランティアに係っている方、仮設住宅にお住まいの方 から
直接お話を聞くことができ、また現場を実際に見ることでき貴重な体験をさせて頂きました。
現状まだ厳しい状況なのに、皆さん前向きに生活していることが非常に印象的でした。
また、改めて
自然が豊かなところだと感じました。

高32回 宮尾(高杉)真弓さん(幹事以外の初めての参加表明にどれだけ助けられたことか・・・)

やっぱり行ってよかった!
今の時期にボランティアと言っても何ができるのか不明だったが、それなりの掃除はできた。
初日の行き先は東松島市の宮戸島。復興途上の現地。閑散としてた風景。
家々が並んでいた場所は跡形も無く、仮設住宅と車。
厳寒の早朝、漁船での嵯峨渓めぐりは島自慢の絶景を見せつける。
誇り高い地元船頭さんの顔は輝いていた。
生産者が集まって海苔の共同生産する工場を建て、地元若者を雇っての月光プロジェクト。
なぜ「月光」?「月浜地区に希望を取り戻したいからさ」、と工場長。
宮戸っ子の青年(尾形さん)が、webを駆使して震災直後から現場のニーズを発信し、
そこからつながったボランティア活動グループ(「援人」)をまとめる伊東さんは、我が韮高卒業生。彼らは熱い!
夕方に仮設住宅(小野駅前)の集会場へ。毎日必ず集まっておしゃべりを楽しみにしているおばあちゃん達。
震災の悲しさを抱えながらも明るい笑顔だった。

夜は爆睡。翌日は足を延ばして南三陸町へ。
やはりここも伊東さんが厚い信頼を築いた地元の川漁師さん(渡辺さん)や、牡蠣養殖の青年(千葉さん)から話を聞く。
「5月GWに白魚祭りをするから来てくれ」って。津波の話?聞くだけで涙が出た。
「来てくれて本当にありがとう!もっといいとこ見せてやりたいよ。今度はこっちさ泊まってけよ。
来てくれるっから、応援してもらってるって思って元気もらうのさ。」と言っていた。

やっぱり行ってよかった!
あれだけの大惨事。私なんか、去年3月はただテレビを見ながら毎日泣いてた。
地元の方々の失ったものはあまりにも大きい。
でも前に進む、今回出会った皆さんの力強さは堅実で、私は圧倒された。
犠牲を払ってでも支援しようとする人たちの心にも感動した
帰りの途中で、「自分は一体何してんだろう?」と考えさせられた。
いのち、故郷、家族、友達、地域、仕事、海…
まざまざと見せつけられて、私の中であいまいにしていた事の決着をつけないといけない!と思い、
帰ってさっそくけりをつけた。
どんなことでもいいから支援を続けていきたい」と思わせてくれる2日半だった。

高42回 土屋 寿賀乃さん(土屋さんご一家の参加でツアーが決行できました)

 新聞で参加紗者募集の記事を読んだ時、「これは行くしかない」と思いました。
私が望んでいたこと、被災地へ行く、ボランティアができる(見るだけでは観光にになってしまい行きずらいので)、住んでいる方々のお話しが聞ける、小中学生も参加できる、と全てがそろっていたからです。
 中3の長女、小6の次女、小4の長男のそれぞれが、見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを大切にして欲しいと思っています。
そして私も、友人や同僚に伝えていきたいと思っています。

高45回 前田 泰宏さん(次回はご家族で参加して下さるそうです)

3..11の震災後、様々なボランティアの誘いがあったものの仕事の都合で参加できずに 悔しい思いをしていました。
今回ようやく参加が決まり嬉しい反面、震災から1年9か月経った今、私が役に立てる ことがあるのかなという思いもありました。
しかし震災直後からずっとボランティアを続けている伊東さん(高30)のおかげで、 実際に被災され復興に向けて頑張っている地元の方々やその支援を続けるボランティ アの人たちと交流させていただき、 どんな形でもここを訪れることに意味があると感じることができました。
そして復興の現状やそこで感じたことを周りの人たちに伝えることも重要なのだと思 います。
今回参加させていただき本当に感謝しています。 企画をしてくださった同窓会事務局の皆様、ありがとうございました。

黒川康治さん(横浜緑ヶ丘高校ご出身 「助けあいジャパン」のHPをご覧になって応募して下さいました。

韮山高校同窓会の皆様 こんにちは。黒川です。
ご挨拶が遅くなり、大変恐縮です。先日のボランティアバスツアーでは、大変お世話になりました。
震災が起きてから、被災地に行って何か力になりたいと、ずっと思っていましたが、なかなかきっかけが掴めず… 良いチャンスを下さった同窓会の皆様に本当に感謝しています。
やはり、実際に行って見るのとメディアを通した情報とでは大違いで、復興はまだ始まったばかりなのだと痛感しました。
また、人生の先輩である皆様(と言ったら怒られるかな(笑))のお話を伺い、自分がこれからどう行きていくか考える良い機会になりました。 ありがとうございました!
次回は、いろんな人から突っ込まれましたが、恋人をつくって連れていけるよう努力します(笑)
韮高55回生として暖かく受け入れてくだされば幸いです。
(そういえば、僕は母校でも55期です。偶然…とゆうより、殆どの高校は、回数は同じになるんですね。)
これからどんどん寒くなりますが、御身体に気をつけてください。それでは失礼いたします。

そして、今回のツアーの立役者「ボランティアチーム援人」からのご参加

大塚 教徳さん(仕事の都合で遅れる伊東さんと一緒に車で駆けつけて下さいました)

  今回皆さんとご一緒させていただきましたが、今までの何度も行ってきた瓦礫撤去などとは違い、海苔の工場見学や仮設住宅の訪問、地元の方とのBBQなど、自分自身今までとは違った形で訪問できとても楽しかったです。
仮設住宅ではおばあちゃんが「来てくれて本当に嬉しい」と泣き笑いをしていた事が印象に残り、ソフト面のボランティアの大切さを実感しました。
皆さんの周りにも行きたいけれどなかなか…という方は沢山いらっしゃると思います。
今回皆さんが感じた事を周りの方に伝え、是非また他の人を連れて東北を訪れて欲しいと思います。またバスを出すとのお話も聞きましたが、微力ながらもまたお手伝いできたらと思います。
皆さん、本当にありがとうございました! 伊東の助手、大塚より。

大島 明子さん(夜行バスで小学生のお嬢さんと一緒に合流して下さいました)

 2日目の南三陸に飛び入り参加させていただきました、大島です。
昨年の夏以降子どもたちと東北各地に出没し、伊東さん、渋谷さん、土屋さんとも折々活動させていただいております。
被災地の風景、漁師や商店をはじめ地元の方々の想い、被災当時の話。。。
たとえ駆け足でも現地に赴いて生で見て聞いて感じたことは、テレビや活字などの2D情報とは比べ物にならないくらい心に残ったことと思います
伊里前川でザワ漁の仕掛けを眺めながら伊豆の川での漁の話を聞き、日本各地の自然の豊かさを改めて感じるとともに、「未来へこの自然を残したい」との若き地元漁師の切なる想いが心に沁みました。
今回の旅を機に皆さんが、南三陸や東松島はじめ被災地に心を寄せ続けていただくことを期待してやみません。

高30回 伊東 雅道さん(継続して東北入りをしている伊東さんのお陰で充実した活動ができました)
 

 ボラバス参加者の皆さん、お疲れ様でした。皆さんとお会いして、久しぶりに伊豆の空気を感じることができた嬉しい2日間でした。
震災から1年9ヶ月。被災地は少しづつ元気を取り戻しているとはいえ、未だに"仮設"や"とりあえず"という先の見えない生活が続いています。 今は地域や個人がこれから何処に住み、どうやって生活再建するかを具体的に考える時期に来ています。
今迄、ボランティアが行ってきた瓦礫の撤去作業は役割を終えましたが、元々の高齢化と過疎化に加え、震災後に人が離れたため、まだまだ更地になった町跡に活気はありません。仮設店舗で再開を始めた商店や改装した民宿は苦戦していますし、漁師さんや農家の方々は地盤沈下した港や施設不足、人出不足のためなかなか前進できずにいます。
向こう5年位は今回のツアーのように外から人が入ること(少しの手伝いと交流、観光、買い物支援すること)が町に活気を取り戻す近道になると感じています。
今回のツアーを通して、復興に向けて頑張っている人達のことや東松島の宮戸島や南三陸町歌津の素晴らしさを少しでも知ってもらえたとしたら、嬉しいかぎりです。今後も自分なりのペースで東北に関わって行きたいと思います。もしよければ一緒に行きましょう
参加者の皆さん、改めてありがとうございました。幹事の土屋(祐)さん、古瀬さん、本当にお疲れ様でした。
二人の努力がなければこのツアーはなかったと思います。感謝です。
                                              バスケット部 伊東(鈴木)雅道

協賛頂いた皆様(12/7現在) 本当にありがとうございました。

韮山高校同窓会 千葉悦子様(高28) 吉本智信様(高34) 後藤栄子様(高10) 斎藤隆司様(高28)
神山基子様(高26) 土屋源由様(高28) 水口満様(旧中50) 稲葉良弥様(高10) 小島健昭様(高33) 
山口真直様(高42) 渋谷由美様(高30) 前田泰宏(高45) 伊東雅道様(高30) 土屋銘茶 
古瀬明美様(高35) 三浦祐一様(高34) 石本恵子様 他
    
その2