復興支援バス「レーベン号」

 伊東さんは、残念ながら1月からレーベン号の運営から退かれました。
 苦渋の選択をされた伊東さんからのメールはこちら

 
レーベン号に乗られる際は、あくまで自己責任でご乗車ください。
最初にレーベン号を知ったのは、震災後いち早くボランティア活動をされた佐藤(山本)陽子さん(高28)がOSN-C新潟支部内に書かれたコメントからでした。
「とにかく体を使って一度は現地に足を運ばないと」と思い立ってから半年、
11月25日発の「陸前高田行き」にようやく乗ることができました。佐藤さんのお嬢さんも乗ったことがあるバスだそうです。
今回、そのレーベン号にに毎週末乗り込み、ボランティアリーダーをされている伊東(鈴木)雅道さん(高30)の活動をご紹介させて頂くと共に一緒に参加した大川鈴代さん(高30)からのメールを掲載。そして、伊東さんが活躍していると 情報を下さり、ご自身も様々な活動をされている渋谷(柴原)由美さん(高30)のHPをリンクさせて頂きました。
これを機に同窓会で立ち上げた震災掲示板にも情報をお寄せ下さい。

伊東(鈴木)雅道さん(高30) 伊東市出身 高校時代はバスケット部所属
                  平日はアメリカ出張をしながら九十九里から参加
                  レーベン隊長を務める
 
                   

立花社長(左)と伊東雅道さん(右)
まず、レーベン号とは?ということで、
facebookサポータークラブに載っている伊東さんのコメントを抜粋させて頂くと


レーベンバスは旅行会社や自治体やNPOが運営しているものではありません。
利益度外視でレーベン社長が個人運行しているものです。
至れり尽くせりのツアーを希望する方の要望に沿うことはできないかもしれません。
また、「時間通りに運行、活動してくれないと困るよ」という方にも不向きかもしれません。
でも、経験年齢体力関係なく長期間に渡って被災地支援続けて行きたい、
それもできれば管理されたツアーではなく、自分達で試行錯誤しながら進んでいく手作りバスに
参加したいという熱い方には最高のボラバスだと信じています。
初めての方でもハードルを感じずに参加でき、レーベン社長のちょっとゆるい、
でもめちゃくちゃ熱い気持ちを大事にするバス運営を目指し今後も走りつづけたいと思います。
どうぞ引き続きの支援をよろしくお願いします。

とありましたが、確かに体力的に自信がなく躊躇していた私でも、楽しく乗ることができました。
夏以前は臭いや暑さで大変だったと伺っていたので、ようやくボランティアの他にも、
地元で採れた美味しいリンゴや魚製品を買ったり、温泉に入ってオープン仕立ての屋台村で
夕食を取ったりと経済活性支援も兼ねた旅行気分を味わえるようになったのですね。

レーベン号の立花社長は、宮城県のご出身なんだそうですが、
バスの提供だけでなく、ご自身も運転され、本当に頭が下がります。
伊東さんは、4月29日の初回から毎週末参加し、ボランティアリーダーをなさっているそうですが、、、

個人的にはボランティアという言葉も被災地という言葉も早く無くしたいと思ってい ます。
新しい街作りに向けて一緒に歩きたいという気持ちです。
復興の主役地元の人達、僕ら外の人間は少しだけ手を貸したり、
背中を押す役目だ ろうと思います。
僕らが何をしたいかではなく、被災地で何が必要とされているかが重要です。

そういう思いに共鳴し多くの方々に支持されているのですね。
今では一週間前の予約開始で、早い時には翌日には満席になってしまうそうですが、
当初は最低人員が集まらずになかなか運行できず、ご自身で被災地に行かれたとか。


現在は、筑波を金曜の夜発って、東京経由(23時30分 日比谷公園帝国ホテル前発)、
日曜の早朝に東京駅着ということで、一日体を休めることができるので
平日仕事をされている方でも参加できますね。

レーベン号の延べ乗車人数は1500人を超え、サポーターズのコミュニティーは160人を超えました。
それは、おそらく僕らがやってきたことが地元の方からも、支援する方からも、
少し 認められてきたんだと思います。
今後も地元の方々のつながりを大切にしながら、
普通の生活の一部として東北に関わ って行きたいと思います。

当日も、学生さんから60代の方まで、遠くは九州沖縄からも参加されていました。
おひとりで参加されている方も多かったですね。

4500円(東京参加、昼食、温泉付き)という参加しやすい価格設定も
リピートしやすい理由の一つかもしれません。
ただ、レーベン号の立花社長やボランティアでHPを管理されてる中野さん、
伊東さんをはじめ多くのサポーターの皆様のおかげで成り立っている価格ですね。
韮高を卒業された大学生の方も乗ってこられたことがあるとか。
私も来年の夏以降にまた乗らせて頂きたいと思っているのですが、、、

レーベン号は被災地が必要としている限り走ります。地元の方が「もう来なくていい よ」というまでが期限です。
来年以降、支援の形は変化していると思います。それが何なのかはまだわかりませんが。

そのお言葉と行動に心から感謝します。
またいつか乗れる、何だかレーベン号さんにはいつでも戻れる同窓会とか実家のようなものを感じます。
まだまだお聞きしたいことはたくさんありますが、時期を改めてということで
最後に普段は淡々と語る伊東さんですが、うちに秘めた熱い思いと行動が垣間見えるDaily
ぜひお読み下さい。10/28-29 南三陸町歌津伊里前


以下は、11月13日に長岡支部で開催された女性の集いお茶会で、
突然お誘いしたにも関わらず、ふたつ返事で一緒に参加してくれた大川鈴代さん(高30)が、
同級生のメーリングリストに投稿してくれたコメントです。


ずっと行きたいと思っていた東北行きの機会を与えてくれたのが、 柴原由美ちゃん、土屋祐子さん。
それが伊東(鈴木)雅道君がボランティアリーダーをしているレーベン号で、
韮高の縁
をありがたく感じています。

陸前高田では、大型バスで来ていた秋田大学の学生さんたちと共に、草刈りをさせていただきました。
川に沿って津波が上ってきたため、元は牧草地であった土地が河川敷のような荒地になり、
ススキなどが茂っている。

わずか数時間の作業、どれだけのことができたのか。
素人集団とはいえ学生さんたちと計80人ほどでやったので、表面的には茂みはなくなりました。
でも、 元の牧草地に戻すには、草を根っこから取り除き、石や砂を取り除き、 塩分を取り除き、
黒土を入れ・・・ 本当に戻せるのか、わからないと言います。お金も時間も気力も掛かること。。

でも、県外からボランティアが入ることで現地の方の励ましになると聞いて、
作業の成果そのものよりもそちらの方の意味が強いことを知りました。

今回参加して、「 《微力》であることを肯定する 」という気持ちになりました。
震災直後から継続されたさまざまな支援(過去)、これから長く必要とされる支援(未来)の中に
非力な個人だけれど、やれたことは極小だけど、自分(現在)がつながりを持ったという感覚。
過去の人々、未来の人々、同じバスに乗り合わせた現在の大勢の人とつながっているという感覚。
もちろん現地の方々と…。行く前と比べて確実に「近く」感じています。

何もできない初めての参加者をそんな気持ちにさせる仕組みが、
復興支援バスと 現地のボランティアセンターには具わっていました。ハードもソフトも。

出発から現地での活動、帰路までをナビゲートする伊東雅道君は、
自然体で温かい、頼りになるリーダーさんでした。
被災地を支援している雅道君、
被災地を支援したいと思う人々を強力にバックアップしている雅道君。
そんな雅道君を応援しましょう!
←左から 大川鈴代さん 伊東さん 土屋
       写真提供 小山一芳さん HP

当日の記録は、レーベン号に三重県から同乗された「約束」代表 樋口さんのHPも参考になさって下さい。
11月25日被災地 陸前高田市ボランティア「レーベン号の旅」

同行した南三陸町行きバスの活動内容は、中野さんのHPをご覧下さい。

今年最後のレーベン号は、12月23日発、来年は1月7日からだそうですが、

諸事情により今年運行見合わせるそうです。無理は禁物ですからね。

何度かレーベン号に乗り、24日にはみんなで子供たちのためにステキなX`masパーティー
企画されている渋谷やみぃこと由美サンのHPはこちら。やみぃサンのレポートもぜひお読み下さい。
由美さんは様々な活動をされ、ぜひ龍城のWA!にご登場して頂きたいおひとりです。



現地に行かなくちゃと思いはしたけれど、暑さと疲労で帰宅後寝込んでしまったらどうしよう・・・
週末は韮高野球部の応援がしたいし、自分の家の片づけや草取りもできていないのに、、、
そんな言い訳ばかりが頭を過ぎり、実際に乗ることを決意したのは一ヶ月前でした。
ちょうど、被災の体験を書いて下さった高橋朗さん(高40)や日本製紙石巻野球部木村泰雄監督(高32)の
住む石巻(牡鹿半島)を支援されていたので、行きたいと強く思ったからです。

やみぃ
さんの精神的には最初きついかもしれないけど、体力的には大丈夫だったよ
という言葉も後押ししてくれました。当初はひとりで参加するつもりでしたが、
同級生の伊東さんが乗っているから大丈夫という安心感もありました。
ただ、そんな私がお手伝いなんておこがましい、自分の為に行こうと思っての参加でした。

震災から半年以上経って、ようやく一歩前に踏み出すために
手伝って欲しいという気持ちが沸いてくるというのはよく分かります。
津波の境界線を見てしまうと、個人の力だけではどうしょうもできないことだということも・・・

気仙沼
の屋台村で地元の女性が
「震災前のきれいな気仙沼を見て欲しかった。他県ナンバーの車を見ると本当に嬉しい」
とおっしゃっ下さいましたが
「ステキさは今でも残っていますよ。でも私は震災があったから来させて頂いたのです」
と心の中でつぶやきました。

震災があってよかったなんてことは ひとつもないと思います。
ただ、震災をプラスに変えることは できるかもしれません。

バスやボランティアセンターでの若い方々の活躍を見て
「日本も捨てたものじゃないね。これなら日本は大丈夫!」と大川さんと話しました。

たった一度の経験ですが、奇跡の一本松の残る陸前高田は、私にとっても近い存在になりました。
                                         
                                         HP委員 土屋(林)祐子(高30)

                            龍城のWA