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このツアーのコンセプトは、少しのお手伝い(ボランティア活動)と、地元の方々との交流、観光、買い物等を通じて、私達が被災地を気にかけていることを伝え、地元経済、地域の活性化に貢献するとともに、東北の実情と魅力を多くの方々に知ってもらい、広く発信していただくきっかけとしたいということです。この考え方は、第1回を企画された土屋祐子さん(30回)、古瀬明美さん(35回)、今回ツアーの地元調整を担われた伊東雅道さん(30回)等の方々に負っています。 今回は、地元の方々から、多くの生の言葉を伺うことができました。南三陸の千葉さんからは、若者がお年寄りを囲んで暖をとった雪の夜、暗闇に火が与えた安心感、足りなくても分かちあえば人は耐えられること、など。陸前高田の吉田さんからは、行方不明の家族を探し求める日々、見つけたときの思い、なぜひとり生きるのか、などなど。言い古された観のある「絆」や「希望」ではなかったけれど、シンプルで確かに伝わる言葉でした。 全員でのボランティア活動は、三嶋大社に縁のある、南三陸歌津の三嶋神社の清掃を行いました。ボランティアの“ベテラン”の方からすると物足りないものであったかと思いますが、当初予定していた鯉のぼりの片付けが地元商店街の展示延長の希望で中止になったこと、ツアー日程が固定される中、神社の祭礼が一週間前ですでに清掃がなされていたことなどの事情からこのようになりました。次回は改善を図りたいと思います。 他方、地元交流会では、山田とうしさん(33回)にパントマイム、杉山博司さん(30回)にギターによりご協力いただき、シリアスなお話だけでなく、笑いあり、音楽ありのイベントとすることができました。山田さんには、南三陸歌津の福興市でも公演をいただき、子供達と親御さん、地元のお年寄りの割れるような笑顔をもたらして頂きました。東北の復興には、こんな応援がこれからは必要だと思います。 今回の参加者は、二十代から七十代と幅広い世代に及ぶものとなりました。また、韮山高校に勤務された持田先生ご夫妻、現在勤務の野田先生、矢部先生が参加されました。さらに、県立宮城大学で教鞭をとられ、自身、当日、学生を引率して歌津でボランティアを行なっていた真覚健さん(29回)にかけつけていただきました。各種行事、あるいは部屋の飲み会で親睦が進み、特に帰りの長旅では、杉山さんの生ギターの伴奏により、歌声喫茶ならぬ、歌声バスとなりました。参加者の一人は、この雰囲気を“温かみ”と表現してくれました。
静岡からも新茶、生山葵、ニューサマーオレンジ、「江川酒」など、ならではのお土産をお持ちしました。海だけでなく、田束山はツツジの盛りで三陸の海岸が広く望め、山菜取りも楽しく、いい季節でした。
終わりに、参加者のフェイスブックの投稿をひとつ引用させていただきます。 初めて東北へ行きましたが…TVでみるよりかなり衝撃をうけました(≧∇≦) 被災地にバスで入ったとたん景色をみて涙が出そうになりました…(T ^ T) こんなにも地震と津波の恐ろしさ…震災から2年もたってるのに、 陸前高田の語り部ガイドの實吉(みよし)さんが言っていました。「ボランティアであれ、観光であれ、買い物であれ、何であれ高田を訪れてくれることを私たちは本当に感謝しているのです。いつ貰えるかわからない一千万円よりも、今、おばちゃんの手に千円札を渡してくれることの方がありがたい」と。 次回は、来年4月、ワカメしゃぶしゃぶの美味しい季節に第3回を行う案が浮かんでいます。グルメ路線(笑)健在です! よろしければ、ご一緒しましょう(^o^)/
同窓会バスに参加してくれ た皆さん、裏方としてご協力頂いた皆さん、本当にありがとうございました!とてもいい 時間を持つことができました。歌津の方々からもお礼の言葉を頂きました。 個人的には震災後に縁あって出会い、親しくさせて頂いている南三陸町歌津伊里前の方々の笑顔が見れたことと、参加した皆さんの「行ってよかった。また行きたいです!」 という感想を聞けたことが何よりの喜びです。 震災後、ボランティアとして東北に通ううちに、大切な物を失いながらも、故郷に誇りを持ち、その有形、無形の財産を未来に残そうと頑張っている人達に出会いました。50年 後、100年後の故郷はどうあって欲しいかを真剣に考え、行動している人達です。その繋 がりがいつしか僕の財産になり、継続的に東北へ向かう動機になりました。自然災害は決 して他人事ではありません。「お互い様」という意識で助け合って行く以外に復興を早め る道はないだろうと思います。 今回のバスにも阪神淡路大震災や狩野川台風の際の恩返しという気持ちで参加してくれた方々がいました。ありがたかったです。自分達がボラン ティアチーム援人という団体を立ち上げた理由も東北支援のボランティアのハードルを低 くし、1人でも多くの人を東北に運ぶという目的に加えて、将来的にいつ、どこで起こる かわからない災害にも対応できる組織としてのノウハウとネットワークを持っていたいと いう気持ちがありました。 思えば強烈な腐敗臭の中、果てしなく続く瓦礫の処理と今日食べるための食事や明日着 るための洋服の支援から始まったボランティア活動でした。2年と2ヶ月が経った今、生活 再建に向けた支援と新しい町作りのために外側の人間ができることは何かを考えながら進 む時期に来ているように思います。地域格差、個人差はありますが、共通して言えること は向こう5ー10年間は目的に関わらずとにかく東北(できれば被災の大きかった土地)に足を運ぶことが大きな価値を持つということです。 ボランティアでなくても、被災地の現状 を見て、地元の方の話を聞き、再開した宿に泊まり、できれば自然を楽しみ、商店街で買 い物をし、食堂で三陸の食を味わうこと(簡単に言えばお金を回すこと)が何よりの支援に なるのです。地元の方々はそういった経済活動を通して生活再建の実感を持つことができ、故郷に愛着を持ってもらうことで、失いかけた自分達の誇りを取り戻すきっかけにな るのだと思います。 僕らが訪れた伊里前復興商店街もあの日は復興市の人出で賑わってい ましたが、平日やイベントのない土日はがらがらです。気仙沼の商店街も陸前高田の商店 街も同様です。人の流れとお金の流れを域外に依存しているのが現状なのです。切ない話 も耳に入ってきます。高田の語り部さんが話してくれた葛藤や負い目を抱えて前に進めず にいる人達がいます。僕らにできることは本当に少ないなぁと不甲斐なく思います。 それでも僕らが足を運ぶことで喜んでくれる人達もいます。「来てくれてありがとう。嬉し かった。また、来て下さい。」という言葉にいつも励まされ、勇気をもらいます。もうす ぐ3回目の夏が来ます。 梅雨が始まると更地になった被災地に夏草が茂ります。三嶋神社や商店街の周りなどの 草刈りはボランティアの手が必要になります。また、海岸や川にはまだ瓦礫が残っている 場所がありますから、それらも僕らのこの夏の課題です。まだ地元の人達は自分の生活再 建に忙しく、なかなか公共の場所の清掃まで手が回らないため、お手伝いを頼まれる事が 多いです。 すでに来年の春の第三回同窓会バスの話を頂いています。皆さんのあったかい気持ちが 伝わってきます。韮高の卒業生であることを誇りに思います。改めて今回の同窓会バスに 関わってくれたすべての人に感謝したいと思います。また、辛抱強く、丁寧に全体を取り まとめてくれた土屋知省君、大嶽君に感謝です。ありがとうございました。 来年の春にまた皆で歌津に集えることを心から楽しみにしています。
来年まで待てないという方は遠慮なく連絡を下さい。今後も月に1-2回のペースで南三陸町、陸前高田、福島県川俣町などにお手伝いに伺う予定です。よかったら一緒に行きま しょう! 最後に。 福島の子供達が気になっています。原発事故のため、計画的避難区域に指定され、避難生 活を送っている川俣町山木屋地区の中高生中心の和太鼓グループ「山木屋太鼓」を応援 し、交流を続けています。彼等は避難生活を続けながらも、自分達の太鼓の演奏で福島や 東北を元気にしようと毎週のように演奏活動を続けています。福島は岩手、宮城とは違う 問題を抱えています。まだ、何も終わっていない現実といつ故郷に帰れるかもわからない 環境の中で、前向きに歩いている子供達の活動を一緒に応援してもらえると有難いです。 演奏も素晴らしいです。どうぞよろしくお願いします。(^o^)/ 山木屋太鼓さんの演奏は、昨年の夏、東松島のお祭りで聴かせて頂きました。 |