第2回同窓会有志ボランティアバスVOL2

では、震災後はじめて東北入りした方々の感想です。
高11の大野 洋さん、同じく11回の石井徹哉さんとは50年ぶりの再会だったそうです。

感想文まだでした。切羽詰まらないと始めない性格はいまだに治っていません。(笑)すみません。    ***********************************************************
出がけのバスでの自己紹介でも話したのですが、あの大災害の現場に一度は足を運び、この目でその現状を確認しておくべきだと思いつつ、今になってしまったその時期にGood timingでこの計画が目に入り、すぐに参加を申し込みました。

ただ、結果としては目で見るだけでは全く不十分で、実際に経験された方々の話に触れることがどれだけ大切かを痛感させられたというのが本音です。
交流会での千葉さんの「これまでの常識が邪魔をする」「安心が危機感をなくす」などの言葉は普段の生活の中でも考えさせられる言葉ではないでしょうか。
また、ご子息の「先祖の残してくれた大切な自然を後世に伝えてゆきたい」という言葉などは自然環境の大切さと配慮を改めて考えさせられた次第です。

     古瀬さん、吉田さん、大野さん
バスに同乗してくれた語りべガイドさんや吉田さんの言葉には辛い体験の中から懸命に生きていこうという迫力さえ感じました。

←大野さんのお知り合いのお父様、吉田さんもバスに同乗下さり後継ぎの息子さんを含むご家族を亡くされ、
「復興も始まって仕事も忙しくなってきているけれど、頑張ってもな・・・という気持ちもある。でも、自分は家族を供養するために生き残ったのだと思うようにしている」
という言葉には身につまさました。

このほかにも、しらうお漁の渡辺さんの笑顔など、本当に素晴らしい現地の皆さんにお会いできたことが何よりの収穫だったと思います。
そして、しらうおの踊り食い、カキやサンマの美味しかったこと、山田さんのパントマイム、杉山さんのギターの弾き語りなど楽しい思い出満載の旅でした。

これもひとえに土屋さん、伊東さんなど30回生を中心とする幹事の皆さんの周到な企画のおかげだと、あらためて感謝申し上げます。

これまで物的・金銭的な係りでしか被災地の人達との関係を持てなかったもどかしさが、今回の企画に参加させて貰ったことで少し解消出来た様な気がします。
今後もこの企画は継続されるとのことなので、次回以降もぜひ参加させて貰いたいと思っています。 そして、被災地の方々の思いを出来るだけ多くの人達に伝えて行ければと思っています。 本当にありがとうございました。  

そして、新幹線で合流して下さった宮下(浅田)裕子さん(高27)

昭和47年韮山高校の1年C組の担任が、吉原高校から転勤してきた持田先生でした。
この企画を発案した方、実行委員、幹事の方に深くお礼申し上げます。

私は、5月25日土曜日の午前中仕事をして、新幹線とバスと車の迎えをしてもらい、「平成の森」に着いた時は、夕食が始まる時でした。

震災の起こった年の夏に、高校2年生の娘を無理やり1人でボランティアバスに送り込んだので、一度は自分も行かなくてはと思っていました。

韮山高校の東北応援ボランティアバスの存在は、同窓会報で知っていましたが、3月に恩師の土屋知明先生(高1/土屋知省さんのお父様)が亡くなられて、葬儀の参加して土屋さんにお会いした事が、参加のきっかけです。

参加して感じたことは、Seeing is believing.(持田先生は To see isto belive. と表現していましたが)です。

南三陸防災庁舎は、広島の原爆ドームの様でした。テレビで見る画面とは高さ広がり、岡の上に見える普通の家々とのギャップに涙が出ました。この事は、若い人達に語り継がなければいけない

7日に帝国ホテルで、関東同窓会があり同級生と連絡を取しました。
やはりC組だった小林弘運君が、同じ日に会社の社員旅行を兼ねて陸前高田にボランティアに行き、韮山高校と書かれたバスにすれ違ってびっくりしたと言っていました。またあのバスに、持田先生も乗っていたとは、偶然とはすごい事だねとメールでやり取りしました。

同級生が、今でも東北を忘れない同じ気持ちでいたことに、感激しました。
また、友人に高校の同窓会のボランティアバスの話をしたら、その企画を立て実行し継続していくことができる事は、素晴らしいとおほめの言葉をもらいました。

おしゃべりな私は、これからも震災の事を身近の人に話続けて行こうと思います。
夜行バスで行ったわけでなく、東京で降りて夜9時には自宅に就いたにも関わらす翌日熱をだしました。
健康でいることが大切だと反省しました。
皆さま、ご自愛ください。

翌日は確かに疲れました。それにしても、陸前高田でバスですれ違うなんてものすごい偶然ですね。
昼食を頂いた牡蠣小屋の佐藤店長さんは、富士市出身だそうです。
「SBSの伊藤圭介さん(高27)も河津桜を植えに来てくれた」とおっしゃっていて、
遠く気仙沼に来て、先輩のお名前を聞けるなんて・・・と感動しました。


最後に持田利兵衛先生(S47〜53)から幹事の土屋知省さんさんに届いた俳句のおハガキをUPさせて頂きます。30回の理数科クラスは、今でも毎年お正月に、先生ご夫妻と登山した後、クラス会を開いているそうです。
VOL          VOL3