鯉之助の・・・通になれる?気まぐれ落語講座 
其の六

 
落語いまむかし〜花のお江戸編 の巻 



 世間様じゃあ落語って興味あるけどなんか古臭いだの、伝統の重みを感じるだの、敬遠されたり必要以上に重く受け取られたり悲喜こもごもでありますが、まあ一応江戸時代からありまして笊より細かいわけで御座います。笊より細かい、つまり”ふるい”とゆう訳で…。
出し抜けに詰まらん地口(=駄洒落)で失礼!
てなわけで今回は落語の成り立ち、お江戸編。


 落語の祖といいますと諸説ありまして、秀吉の側近だった曾呂利新左衛門をはじめとする御伽衆だとか、後の小咄本に絶大な影響を与えた笑話集「醒睡笑」を記した安楽庵策伝であるとも言われます。
 しかし”落語家”の祖として考えますとやはり延宝から元禄(1673〜1704)にかけてほぼ同時に三都に出現した3人の人物、露の五郎兵衛(京)・鹿野武左衛門(江戸)・米沢彦八(大坂)でしょう(其の4を参照)。これを読んでいる研究家の先生方(読まないとは思いますが)、ここではとりあえずそういうことにしておきますので…。

 この頃はまだ「落語」という言葉はなく「軽口」「仕方咄」といわれ、一にオチ、二に弁舌、三に仕方(身振り、ジェスチャー)が重視され「おとし咄」という言葉が生まれました。また、今のような長い咄ではなくごく短い小咄で、これに鳴り物を入れたり身振り手振りを加えて演じるのが当時の新しいところ。

 鹿野武左衛門は江戸の町で辻咄もしながら武家や商家に招かれて座敷咄で活躍をしていました。出版界ではやっていた小咄本も刊行し大活躍です。つまり第一期落語ブームですね。
ところが元禄六年(1694)、武左衛門がつまらぬ巻き添えから伊豆大島に遠島になり、他の咄家も勢いをなくしてブームはあえなく衰退。次回の隆盛を見るまで百年近く待たなければなりません。


 さて、安永から天明(1772〜1789)期に狂歌師を中心にした文化人サロンがはやる中登場するのが、落語中興の祖と呼ばれる烏亭焉馬(うていえんば)(立川焉馬、立川談洲楼とも)。劇作家・浄瑠璃作家、・狂歌師としても活躍し、江戸文学にも多大な影響を与えています。この人が教科書に登場しないのはおかしい。文化ってジャンル分けだけで語れないものだけど大衆芸能はアカデミーからは常に低く見られてるからなあ。
 愚痴はさておき天明六年(1786)、焉馬が「咄の会」を催します。これは仲間が集まり自作の咄を披露しあうというもの。四方赤良(大田蜀山人)、柳亭種彦、式亭三馬、山東京伝、五世市川団十郎などの錚々たるメンバーが参加し、三十年以上も続きます。



烏亭焉馬
平賀源内とも交流があった。
もう大変な文化人。



東京東上野の下谷神社。
寄席の興行はここから始まった。







境内には正岡子規の句とともに「寄席発祥之地」の碑が。
 寄席はねて上野の鐘の長夜哉  子規


 この咄の会に影響を受けた櫛職人の又五郎という男(覗き見して追い返されたという説アリ)、 一念発起して寛政十(1798)年、上野は下谷神社の境内に小屋掛けをしておとし噺の興行を打ちますが何しろ素人に毛が生えたようなものなので大失敗。これが後に三題噺
1 の名手として大成功を収める三笑亭可楽、寄席興行を創めた人であり職業落語家の祖でもあります。
 寄席興行の成功でこれが庶民に定着ししばらくして咄の会は姿を消します。本格的にプロ落語家の始動です。
 可楽の門人には粋人として名高い朝寝坊夢羅久(むらく)(三笑亭夢楽とも)、怪談噺の元祖・林屋正蔵
2 、音曲噺3 の元祖・船遊亭扇橋4 、二代目可楽など高弟が数多くおり、焉馬門から可楽の身内になった鳴り物入り芝居噺※5 の元祖で後の三遊派の祖となる三遊亭圓生、さらにそれらの弟子、扇橋門の人情噺の元祖・麗々亭柳橋7 、音曲師の都々一坊扇歌、二代目扇橋、圓生門では声色(こわいろ)6 の金原亭馬生、八丁荒らしの古今亭志ん生、二代目圓生、そして二代目正蔵などが急速に増えた江戸の寄席を賑わせました。
今と違って落語と色物が分業されていないので芸風も様々でバラエティーに富んでいます。
 それぞれの名は名跡となり現在にも受け継がれています。
可楽、扇橋は当代は九代目、襲名披露で話題になったこぶ平改メ正蔵も九代目(“きゅうだいめ”ではなく”くだいめ”と読んで下さいね)。先年亡くなった志ん朝の父が五代目志ん生、兄が十代目馬生。笑点の先代司会者・圓楽の師匠が六代目圓生、といった具合。この秋には春風亭柏枝が八代目柳橋を襲名します。焉馬の名は途絶えてしまいましたが亭号
8 の立川が現在も使われています。


 ちなみに現在の落語家の系図を遡っていくと必ず焉馬か初代可楽に行き着きます。
あっしは初代可楽から数えて十一代目。
初代可楽→初代扇橋→初代麗々亭柳橋→初代春風亭柳枝→初代談洲楼燕枝→三代目春風亭柳枝→四代目春風亭柳枝→六代目春風亭柳橋→春風亭柳昇→瀧川鯉昇→瀧川鯉之助
テナ具合です 。

 今回は”祖”が矢鱈沢山出てきましたね、いい加減なもんです。”本家”が出てこなかっただけよしとしますか(何の話だ)。
この続き、明治以降はまた今度!



1)三題噺…客席からお題を三つもらい、それを使ってその場で即興で作る噺。今でも時々見ることが出来ます。私もやったことがありますがドキドキ度は最上級です。「芝浜」や「鰍沢」など三題噺から生まれた名作もあります。
2)林屋正蔵…今は林家ですが四代目までは林屋でした。
3)音曲噺…鳴り物入りの噺ではなく、流行歌などの音楽を噺に取り込んだもの。現在演じられる話はほとんどない。
4)船遊亭扇橋…こちらも今は入船亭、七代目まで船遊亭。
5)芝居噺…芝居に見立て、背景などの大道具を置き衣装を変えたりして演じる噺。これもほとんど見られない。現在演じることが出来るのは林家正雀師のみ。
6)声色…いわゆるモノマネのこと。寄席の世界では声色・声帯模写といい、物真似は動物などの鳴き真似を指す。
7)麗々亭柳橋…五代目まで麗々亭、以降は春風亭。
8)亭号…落語家の名前の苗字の部分を指す。家号とも。落語家を呼ぶときには亭号で呼んではいけません。理由?…なんかまぬけな感じがするからです。歌舞伎役者も中村さんや市川さんじゃ変でしょ。

※文中は敬称略にて失礼します。また、”咄”と”噺”はその当時よく使われていたと思われる方で表記しました。文字の流行によるもので意味の相違はありません。うん、大方それに相違ねぇ。

                                        2008/7/10 メルマガ掲載



初代可楽とその門人「可楽十哲」。
右上より可楽、円生、馬生、三笑亭可上、扇歌、扇橋、鶴遊亭東里、夢楽、柳橋、二代目扇橋。

林屋正蔵の「ばけものばなし」の宣伝チラシ。
看板に群がる民衆が描かれ口上書きが添えてある。

どうぞごひいきに

其の壱 

其の弐

其の参

其の四

其の五


瀧川鯉之助公式HP