どうぞごひいきに

其の壱 

其の弐

其の参

其の四

瀧川鯉之助公式HP
 真打昇進披露の口上。

 
幕が開く前に芸人が高座でスタンバイ。この形式を“板付き”と言います。


幕が開くと場内割れんばかりの拍手。
左から司会の三遊亭右紋、古今亭寿輔、新真打の錦之輔改メ6代目古今亭今輔・神田改メ日向ひまわり・三遊亭遊馬、三遊亭小遊三、桂米丸の各師匠。(新宿末広亭)

さて、真打昇進。
二ツ目になるときとは違って喜んでばかりはいられません。
真打昇進披露パーティーに、真打昇進披露興行を都内各寄席で10日ずつ。
まきもの(口上書き・扇子・手拭いの3点セット)をすべての師匠連・ご贔屓筋に配り、パーティーの手配をし、興行では寄席の集客から楽屋内の祝いの飲食物、席亭への気配り、後輩達への祝儀等で頭も体も財布も大忙しな中、トリをつとめます。もうとにかく一人でも多くのお客様に応援していただきたい状況です。今年の新真打はちょうどあたしの3年先輩、一緒に前座修行をした先輩が真打になると我が身にも実感がこもってきます。
真打になると芸人として一人前、師匠と呼ばれ、寄席で主任を務めることが出来、弟子も取れます。
実は3つの身分の中で真打の人口が最も多いんです。それもそのはずで、前座4年二ツ目10年として、あとはずっと真打ですからね。

真打になったらあとは名人への道を歩むもよし、大名跡を襲名するもよし、爆笑王になるもよし、寄席でさくっと笑いをとってのんきに暮すもよし、破天荒な生活を送って自滅するもよし。
最後はみなに平等にご臨終が訪れ、噺家の生涯はおしまい、おしまい。
                                 2008/6/10 メルマガ掲載

立前座が使う机、通称”タテ机”

ネタ帳はちゃんと墨をすって筆で書きます(新宿末広亭)

懐かしいピンク電話も現役です(浅草演芸ホール)

こんな風に書いてあります。
なぜかどこにも開明墨汁が…(池袋演芸場)

さあ、晴れて二ツ目、すべての楽屋修行から開放です!
紋付羽織袴を着ることが出来ます。噺も前座の頃は基本的に教わったとおりにやらなければいけなかったのが、自由に自分の創意工夫を加えることが出来、大ネタへのチャレンジも自作の噺もOKです。
どんな師匠でも「二ツ目昇進が一番嬉しかった」と言います。芸人として一本立ち、とにかく手放しで嬉しいもんです。あたしも二ツ目昇進した2001年9月1日の朝は忘れません。芸人になってこの日だけは何の苦もなく思わず早起きしてしまいましたよ。奴隷解放宣言てこんな感じなのかなぁって思いました。
とは言っても立場はまだ半人前、寄席での出番は前座さんのすぐ後です(ちなみにこのことから二ツ目と呼ばれます)。格段に仕事が減り、はじめのうちはほぼ自由時間しかない日々を送ります。そのうち徐々にいろんな仕事をこなすようになり、自主興行の独演会や仲間との落語会を立ち上げたりして腕を磨きます。これが約10年。次はいよいよ真打です。
かつては一人前の芸が出来ると認められたものだけが真打になりましたが今は少し違います。ほぼ年季(芸歴)によって真打昇進が決まります。これは真打制度本来の意味を考えるとおかしい、という意見も聞きます。しかし昔は努力の結果真打昇進というご褒美がついてきたんですが、今は逆に真打の時期がある程度見えているのでそれまでに真打に値する芸を身につけなくてはいけないので返って大変なんですっ。また、よっぽど芸がよかったり、バカ売れしていたり、七光だったりすると抜擢真打というのがありまして、後輩に追い越されてしまうので不本意につらい気持ちにさせられたりもしますっ(幸いわが落語芸術協会は抜擢制と七光制は基本的に行っていません)。

まずは落語家になろうと思い立ちます。
自分の好きな師匠に弟子入り志願。ここで断られるともうおしまいです。がんばりましょう。
入門が叶っても即前座の身分が与えられるわけではありません。まずは“見習い”という立場です。師匠の家の掃除や鞄持ちをしながら師匠や兄弟子に着物のたたみ方や太鼓の叩き方を教わります。そんなことをしているうちに芸名をつけてもらえたり、噺の稽古もつけてもらえたりします。この期間は師匠の方針やタイミングによってまちまちですが、1ヶ月から1年ぐらい。

着物をたたむ前座さん。慣れるととても早い。
(浅草演芸ホール)



         

二ツ目昇進、新しい紋付袴で新宿末広亭のお席亭からご祝儀を戴く
ただいま都内の寄席では新真打の披露興行が行われています。
真打昇進は落語家人生最大のイベントですが、実際はどんなかんじなんでしょう?
今回は落語家の一生についてお話します。
鯉之助の・・・通になれる?気まぐれ落語講座 
其の五

 
前座はつらいよ〜真打への道 の巻 

そしていよいよ楽屋入り。先輩の前座さんに楽屋仕事を教わります。楽屋で働き始めても1ヶ月はまだ見習い前座、ここで前座の一番下っ端が任されるお茶汲み、下足番(げそくばん)、高座返し、一番太鼓を叩き込まれます。もう毎日叱られっぱなし、あたしは当時くたくたになって家に帰って眠るとまた楽屋で叱られる夢を見、目がさめて寄席に行ってはまた叱られるという、小言スパイラルが起こっていました。
寄席の楽屋はすべて前座が仕切っておりまして、身分に応じて役職も違います。特に一番下は先ほど触れた内容のとおり“お茶汲み”と呼ばれ、その上は師匠方の着替えについたり着物をたたんだりお囃子の太鼓を叩いたり。一番上は“立前座(たてぜんざ)”。お茶汲みその他が肉体労働なのに対し立前座は頭脳労働で、高座の時間配分の調節から代演の連絡、出演者や前座お囃子さんの出欠のチェック、“ワリ”と呼ばれる寄席の給金を配ったりネタ帳をつけたりと、要するに管理職です。楽屋内の権力は真打よりも大きいですが何か間違いがあったときには真っ先に叱られます。
毎日休みなくこんな仕事をこなしながら高座では日替わりで開口一番(文字通り一番最初の口開けの高座。前座の名前はプログラムには載っていません。出演時間も開演予定時刻前、寄席に行ったらぜひここから聞いてください)をつとめ、師匠方の楽屋噺を聞いたり、舞台袖で先輩の芸を盗んだり、さぼり方を覚えたり、褒められたりしくじったり、酒を飲んでは愚痴を言ったり夢を語り合ったりして約4年間過ごします。