オトナの食育 

所感編 第114回(通巻156回)2019/8/10号掲載 千葉悦子(高28)

先祖から子孫を想像し、持続可能な食生活を目指しましょう


 もうすぐお盆ですね。個人的なことで恐縮ですが、今春、実母が亡くなり、私にとっては新盆です。それで、子どもの頃、私の実家近くのお寺にある父方のお墓へ、母に連れて行かれたことを思い出します。父の実家の当主は、現在30数代で、江戸時代の苔むした小型の墓石がぎっしり立っていました。その数の多さに圧倒され、「これ、みんな私の先祖!しかも父の父方だけ!!」とくらくらしました。

 誰にでも多くの先祖がいることは、理屈としては分かっているつもりでしたが、数えるのが面倒なほど、たくさんの墓石を実際に見ると、実感がわきました。そして、子ども心にも「自分にもしも子どもが生まれたら、子孫が続くのだろうし、そうでなくても世の中はずっと続くのだろう」と重く受け止めました。一方、テレビニュースで大量にサンマなどの魚を水揚げする映像を見ては、「大型船であんなに大量の魚をとり続けて、将来、魚がいなくなりはしないか?」と疑問に思ったものです。

 この経験から、墓参りには個人的だけでなく社会的な意義があるのではないか?と思いつきました。というのは、近頃は「墓は不要」「寺などとの関係も不要」という人がいるからです。そこに「自分(の代)さえ良ければ良し」といった考えをかぎ取るのは、私の杞憂でしょうか?

 真の賢人は、墓といった形ある物がなくても、先祖も子孫もいることを十分理解し、子孫のために持続可能な社会を目指して実際に行動するでしょうが、私のような凡人は、上記の経験が大きかったと思います。しかも、平均寿命が長くなり、祖父母の葬儀や墓参りを経験する年齢も高くなりがちでしょう。その上、地方から都会に出ることによる墓じまいも、増えつつあるようです。

 もっとも、子どもの頃「お墓を建て続けると、お墓が増え過ぎるのでは?」と質問し、母が返答に窮して困り顔でした。最近は、その問題を新聞等で見かけるようになりました。墓をはじめ、古くからの様々な慣習の内、何をどれだけ残すかは、難題だと思います。


 「墓は不要」という人が増えるなら、墓に代わって、子孫を大事に思い、食生活を含めて持続可能な社会を目指すという強い意識と実行力が持てるような、社会の仕組みや対応を整える必要があると私は思います。もちろん日本の学校教育の基となる新学習指導要領に、家庭科も含めて「持続可能」が明記され、ある程度はなされるとは思いますが、墓ほどのインパクトがあるのか疑問です。家庭科の時間数は非常に少なく、アクティブラーニングの手法を用いて腑に落ちるように教えられるよう、時間数を十分に増やしてほしいものです。皆様は、どうお考えになるでしょう?何か名案があって実行できるなら、素晴らしいと思います。

■参考文献等

 日本経済新聞2019731日朝刊「平均寿命 男女とも最高 昨年、厚労省まとめ」

 朝日新聞2019715日朝刊「老衰 死因の3位に」「厚労省統計 脳血管疾患を抜く」

 日本経済新聞2019626日夕刊「グローバル ウオッチ」「自然葬 流行と反発」「中国」

 日本経済新聞2019619朝刊 p.35 東京・首都圏経済 「東京へ女性流入 鮮明」「転入超過数、首都圏で9割」「働きやすさ魅力 少子化に拍車」

 日本経済新聞「サンマ漁獲規制、大詰めの協議 中国の出方焦点 」  経済 2019/7/18 17:43
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47493390Y9A710C1EE8000/

 【オトナの食育】所感編 第110(通巻第150)2019110
   戦争や貧困の栄養不足は、ドラマ・映画より深刻
    食料確保の重要性を再認識しましょう
 http://www.nirako-dosokai.org/melmaga/shokuiku/shokan110.html



 

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