第2回同窓会有志ボランティアバスVOL6                  


建築家の前田篤伸 (高38)さん

伊東雅道さんをはじめ、幹事の皆様、参加者の皆様には大変お世話になりました。初めて被災地を訪れるにあたり、直接的な支援はほとんどできませんでしたが、とても良い機会を頂きました。ありがとうございました。

下記感想、遅くなってすみません。締め切り間際の宿題、韮小の時から何も変わっていません...

幾度となく映像や画像で見てきた南三陸町と陸前高田市、自分の目で見てその場に立つことで今まで以上に鮮明に記憶に残るかもしれないと思いました。直接お話を聞くことで、活字で読んだそれとは比べ物にならないくらい、被災体験が胸に突き刺ささりました。また、震災以来ボランティアとしてご尽力されてきた方々の活動を垣間見ることができたことも、自分にとって意味深いものでした。

語り部さんや千葉さんら大震災を体験された方々のお話を聞き、「いきる」ことについて考えさせられました。想定外の極限状態でどのように自分や家族の身を守るのか。陸前高田の校長先生のご判断、現地でお話を聞いたからこそ、震災時に思い出すことができるかもしれません。千葉拓さんの『防潮堤の歌』には、どう「いきる」のかというメッセージが込められていて、自然の中で「生かされている」という思いが復興計画に活かされることを願います。

現地で見て聞いて感じたことを日常生活に活かすこと、小さい頃から東海地震を恐れ防災意識は高いつもりでいましたが、震災に備えることの重要性を再認識しました。現地を訪れたからこそ考えられたことです。震災に備え、防災・減災について今まで以上に考えることも、被災地からのメーセージとてして受け取り実行しようと思います。家庭やオフィスでの備蓄を含めた防災はもちろん、仕事としている建築設計でも新しい試みをしてみるつもりです。

こんなことを感じ考えた初めてのボランティア・バスでした。皆様、どうもありがとうございました。


韮高の先生をされている
野田正人(高45)さん

幹事の皆様、現地の方々、その他大勢の方たちによって滞りなく被災地をうかがうことができました。
本当にありがとうございました。
まず、行く前の自分ですが、正直に言ってどんどん「忘れかけている」ことを感じておりました。
親類縁者もいて、自分自身の青春の場所でもあった東北の、あれだけ大きな出来事がもうずっと前のことかのように。
そのことに対して、ものすごく焦りがありました。なぜならば、復興は全然進んでいない、ということを知っていたからです。
そしてそれは「恐怖」でもありました。

もちろん、被災者自身の努力や大勢のボランティアの方たちの尽力、さらには国際支援なども考えれば、震災当時のままではないのは承知しています。

でも、このままなんとなく片付けが進んでいくと、何もかもきれいさっぱりなくなって、自分も含めた大勢の人たちの記憶からも「ずいぶん前に、大変なことがあったよね」となってしまうようで。

私は何の因果か(あえて、こう書かしてもらいます。)故郷で、母校で、教鞭をとっております。
そこでなされるいろいろな活動には「今ここにないけれども、それを実体験かのように追認していく」というものが少なくありません。学校は社会のシュミレーションであり、ヴァーチャルな部分であります。(決して事実や真理がない、と言ってるのではありません。)

たとえば、歴史の授業では、教員は如何に見たこともない出来事を自分の認知している事実として伝えられるか、ということに多くの労力を割いています。会ったことのない人物の事績を、まるで自分が見てきたかのように再構成し、生徒に伝える。

そういう「伝える」を生業としている末端の人間ではありますが、常日頃、風化しつつある大昔のことにいかに焦点を当てるかにこだわっているはずなのに、つい数年前のことだって自分の中で風化しつつある。これを「恐怖」に感じていました。自分たちの限界を知らされているように感じたからです。

広島、長崎の原爆は、教育現場でははずすことができない平和教育のソフトです。
でもこのソフトの持つ効果・効力がだんだん薄れてきているように感じます。それはたぶん、時間を経てしまっている、ということに起因する「忘却」にあるのかと思います。語り部の人たちが高齢化し、さらに少なくなってきて、その機会が失われつつあります。モノだけでは伝えられないリアルが、語り部の話にあった。だから多くの人の心を打ち、平和への願いにつながったのだと思います。
でもそれは、あと10年、20年経た時に、成立し得るのか?という心配があります。

今回のツアーで自分にとって一番良かったのは、やはり「語り部」さんのお話でした。
涙なしには聞けませんでした。生きるためにいろいろな選択が強いられ、強く揺さぶられました。
自分がそこにいたら、どういう選択をしたのだろうか?
自分の命を助けるために、家族を助けるために、その他の命をどう扱うべきなのか?
「津波てんでんこ」がすごく独り歩きして使われているように感じるが、それがどうしてもできないから誰かを助けに行って命を落とした人は、やはり愚かなのだろうか?本当にそうなのか?
本当に「想定外」ってあり得るのか?考える努力をしないことを「想定外」と言っている場面はないか?などなど。

私はお話しを聞けて、「いろいろなことを、ずっと考えて生きていこう」と気持ちになることができました。私は、頑張っていけると思います、たぶん。
だからこそ若い世代に、もっと被災地を訪れ、被災者の声に耳を傾けてもらいたい。

伝えてくれる人たちが「伝えよう」という気持ちを持っているからこそ、そう思いました。

長くなるのでこの辺でやめておきます(もう十分長いですね、すいません)。
私にとっていい経験であった、ということが感じていただければ、駄文にも意味があります。

皆様、本当にありがとうございました!

帰りの感想タイムの際、ぜひ生徒を連れていきたいとおっしゃっていました。
震災が決して他人事ではない韮高生にも、ぜひ行って頂きたいですね。


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