(おまけ)
著者紹介に
湯ヶ島韮山と書いたのは
今はなき、
天城湯ヶ島町の名前を残したかったのと、湯ヶ島小学校天城中学校韮山高校の名を伝えたかったからです。

←小沢さんは正真正銘の援団OB。
この写真は、ちょうど1年ほど前に開催した35回生同期会でのものです。









  小沢 浩(高35)



静岡県に生まれる。天城湯ヶ島町立湯ヶ島小学校、天城中学校、静岡県立韮山高等学校、高知医科大学医学部卒(現・高知大学医学部)を経て、現在、社会福祉法人日本心身障害児協会島田療育センターはちおうじ所長、小児科医師。

巻末の著者紹介にこんな風に書くなど、小沢さんは故郷の伊豆をこよなく愛する小児科医師。ここでは、小沢さんが韮高を卒業して小児科医となったエピソードをお聞きしました。
 なお、この本の印税は、すべて島田療育センターの子どもたちのために使われます。
愛することからはじめよう  小林提樹と島田療育園の歩み 出版にあたって
                         




 「飛鳥よ、そしてまだ見ぬ子へ」。高校2年生のとき、韮高の図書館で何気なく手にしたこの本が、今まで教師をめざしていた私の人生を変えました。
「飛鳥よ、そしてまだ見ぬ子へ」は、井村和清医師が書いた本です。岸和田徳州会病院で内科医として働いていたときに骨肉腫になり、右足を切断しました。その後、6ヶ月間、懸命のリハビリを行い、一度は医療の現場に復帰し、患者さんのために命の限りを尽くしました。その井村医師が、自分の命の限りを知ったときに、自分の子どもである飛鳥とそしてお腹の中にいる子どものために残した本です。
 私は、命の限りを尽くした医師という仕事に感銘を受け、医師をめざすようになりました。でも、成績ははるかに足りません。医学部志望は、最初は誰にも言えずに自分の中に秘めていました。1年の浪人の後、何とか医学部に入ることができ、高知で6年間を過ごしました。高知という地は、私にはとても水があっていました。とにかくよく飲みました。私の今の飲み会の礼儀は、すべて高知で培ったものです。

 大学での臨床実習では、何人か印象に残る患者さんがいましたが、その中でも一番必死になれたのは、ケイ君という神経芽細胞腫の3歳の男の子でした。中心静脈のルート確保のために、手術室で全身麻酔をしたときのこと。見学をした翌日に病室に行くと、あれだけ一緒に遊んでいたケイ君ににらまれて、しばらく口をきいてもらえませんでした。患者さんからみると、学生であっても医師なのだと気づかせてくれました。出会いから1年してケイ君は天国へ旅立ちましたが、ケイ君が、私を小児科に導いてくれました

 小児科医になり、1年の研修医を終え、新生児医療の勉強のために都立八王子小児病院へ赴任しました。新生児科で週一回研究日をいただき、国立精神・神経センターに研究に行きました。ここで小児神経の奥深さに触れ、神経を専門にすることにしました。国立精神・神経センターで3年間勉強し、医師となり8年目に都立八王子小児病院に戻りました。

 都立八王子小児病院では、唯一の小児神経の専門家ということで、何でも相談されました。てんかん、急性脳症、リハビリ、発達障害、奇形症候群、代謝異常、手術後の管理、はては苦情対応など、本当に多岐に渡るものでした。このとき学んだのは、人は決して独りではないということです。わからない時には、知り合いの医師、いや全く面識のない医師にまで何でも相談しました。恥はいくらかいてもいい。自分が恥をかくことによって、患者さんのためになるのであればそれでいい。それが自分のプライドだと念じました。でも相談したときには、どの先生も優しく指導してくれ、人の温かさを知りました。また、もう一つ大切なことを学びました。それは「断らない」ということです。自分が断れば、誰かに犠牲を押し付けることを知りました。だから、物理的に不可能なときを除き、何でも引き受けました。

 都立八王子小児病院に骨をうずめようと思っていたのですが、都立八王子小児病院はなくなってしまいました。子どもたちと人生を共に歩みたいと思っていたので、共に歩める島田療育センターを選びました。
八王子小児病院を去る時には、すでに障害児医療をやろうと思っていました。八王子小児病院以外で、南多摩地区で障害児医療をできるところが、島田療育センターしかなかったので、島田療育センターの門をたたきました。そのときに、大学医局の人事を離れました。でも、医局の枠など小さいもの。想いの枠のほうが、はるかに強く広いものだと知りました。

 島田療育センターは、多摩市に位置する日本で最初の重症心身障害児施設です。障害児医療に人生のすべてを捧げていた初代院長小林提樹先生が、篤志家である島田夫妻とともに作った療育施設です。今に至るまでの道程(みちのり)は、簡単なものではありませんでした。重症心身障害児という言葉は、日本独自のものであり、世界に類をみません島田療育園の歴史、それはすなわち、昭和という混乱の時代の中で、新たな道を切り開いた重症心身障害児の歴史です。その歴史を知ることは、今を知ることであり未来を知ることです。そして生きる道を知ることであると思います。

 この歴史を一人でも多くの方に伝えたい。そう思って、この本をまとめました。この本の印税は、すべて島田療育センターに入り、子どもたちのために使われます。
 どうぞ、その歴史をたどる旅に出かけましょう。よろしくお願いします。


愛することからはじめよう 
  小林提樹と島田療育園の歩み 
島田療育センター創立50周年記念出版 
 小沢浩著 大月書店 1600円+税
 http://www.otsukishoten.co.jp/book/b86738.html