元ブリーフ&トランクス
 
       細根 誠
さん(高47


 韮高時代に結成されたデュオでCDデビューしたブリトラことブリーフ&トランクス
解散後、伊藤クンはソロ活動を再開し、細根クンのその後が気になるところでしたが、
このほど大江戸線「牛込柳町駅」近くに「しろくま生花店というステキなお花屋さんを
開店したそうです。早速それまでのいきさつをメールでインタビューさせて頂きました。

しろくま生花店開店おめでとうございます。
まず年代を追ってお話を伺いたいのですが、高校時代はどんな学生でしたか?

高校時代というか、今もそうなんですけど「目立ちたがりで、照れ屋」なんですよねぇ。
で、赤面症でなんです。

ちょっとした事ですぐ赤くなって、
赤くなってるのが自分でわかってさらに赤くなって、悪循環って感じ。

そんな自分の目立ちたがりの部分がブリーフ&トランクスブリトラ)をやろうと思わせ、
ブリーフ&トランクスって名前だからパンツかぶっちゃえって(高校時代のブリトラはかぶってました)    そして大きいサングラスもかけて顔も隠せるしって、当時の写真を見ると微笑ましいです。

照れ屋の部分が変な方向に働いてしまったのでしょう。

部活は?

もちろん高校ではブリトラばかりをやってたわけじゃないですよ。
バドミントン部に入ってましたが、基本的には半分帰宅部みたいなもんでした。

けど、球技大会とか体育祭等のイベントは、俄然盛り上がって参加してましたね。
特に体育祭では応援団長をしました。
自分がたしか東軍の団長で、西軍の団長がブリトラの相方の伊藤君
そして、後夜祭では、友達5〜6人でコントもやって、そのあと、ブリトラで歌う。
どれだけ目立ちたがりなんでしょ。

女装コンテスト(今もあるんでしょうか?)も出てやるかって思ってたぐらいです。
でも、照れ屋なんです。本当です。

勉強?ちゃんとやってましたよ。

勉強からは逃れられない高校ですからね(笑)
大学時代デビューしたわけですが、今から振り返るとどんな時代でしたか?


ちょうど自分が大学卒業間近で、当時も就職難と言われていて
大学の同級生は就職活動でザワザワしてました。

僕はどうしようかな〜、このままもう少しブリトラやろうかな〜って、
たしか、活動がちょっと行き詰まってた感じではあったんですが、のんびり考えてたら、
人との出会い出会いを呼んで、事務所の社長と出会って、CDデビュー決定

「ブリトラに就職かぁ!?」なんて、学生気分で呑気に考えてましたね。

デビュー後は、中高生を中心に幅広い年齢層に人気も広がり
大ブレイク寸前の突然の解散でしたが、、、


突然の解散、ですか。

自分にとってはそこに至るまでの段階があったから
そういう風には感じていませんでしたけど。

当時聞いてもらってた方たちにとってはそうなんだなぁ、と今更ながら思ってます。

ラジオのヒットチャートにも常連入りし、予定されていた学園祭やイベントもたくさんあったので
もったいないなぁ・・・伊藤君が体調を崩していたので、もしかして、、、と思いつつも
どこか信じたくないという気持ちがあったのかもしれませんね。


ブリトラをやめて、次に就職したのが渋谷にあるクラブ「青い部屋
今、東京にいる友達のほとんどがこの時に知り合いました。

自分の主な仕事はバーカウンターに入って、バーテンみたいなことをすること。
他にも音響やったり、照明やったり、受付やったり、司会やったり、いろいろしました。

青い部屋では毎日が未知との遭遇で、
ああ、こういう世界もあるんだ、とショックを受けることも。

とにかく沢山の貴重な経験をさせてもらったと思います。

戸川昌子さんのお店ですね。
毎月「あいうえ音楽会」というイベントが開かれ、ファンの方々も集まっていましたね。
ところで、花との出会いは?


もともと東京農業大学に通ってて、作物(稲とかイモとか)に興味はありましたが、
花は花屋になるまでほとんど興味なしでした。


   ファンの方から依頼のあったブーケ

なぜ花屋か?

自分でもよくわからないんですが、
青い部屋で働き始めて1年くらい経った頃
(このままじゃダメだなぁ)と漠然と思っていて

ある日ベッドでゴロゴロしながら、どうするべきか考えてたんですね。
そしたら突然(花屋かぁ!!)と思いつくとういうか、降ってきた感じ

そこから行動は早かったですね。
すぐに熊本で花屋をやってる大学時代の同級生に
「住みこみで働かせてくれ!」って電話してました。


にしても、なんで熊本だったんだろ?
東京の花屋に行っても良かったのに。
その時はそこしかないって一直線だったからなぁ。

まぁとにかくそこから花屋人生スタートです。

とても似合っていると思います。まさに歩むべき道だったのかもしれないですね。
その後「しろくま生花店」を開店するまでは?

熊本で1年半働かせてもらって、
実家のある函南にもどって「フローリスト花咲」に勤めて7年。
こつこつ開業資金を貯めて、
昨年11月20日にやっと自分の店のオープンにたどり着きました。

ご苦労されたことは?

店舗探しは想像よりも大変でした。
花屋になることを決めた時から
東京で自分の店を持つことが目標のひとつだったので
物件探しで東京を歩き回りました。
インターネットでも探しましたが
予算は限られてるし、1階の店舗物件に限定していたしで
なかなか見かりませんでした。

今の場所に決めた時は、
(やっと決まったぁ)とホッとしたのと同時に
(この場所で本当に大丈夫?)って不安になったり
(どういう店にしていこうか)と奮い立ったり、複雑な心境でした。

そして、しろくま生花店のオープンまでには
青い部屋時代の仲間たちと韮高の同級生にいっぱい助けてもらいました。

ありがたいですね。
東京の真ん中なのにお店の一角は、古き良き日本が残されているような場所で、
お邪魔させて頂いた時も、ご近所のおばあちゃんが 細根クンのお花屋さんができたことを
本当に喜んでいましたしね。
今後の目標
は具体的にありますか?

まずはとにかく店の経営を軌道にのせること。
いろんな展開はそこからですね。
でもそんなに大きく広げる予定はないので
自分の目の届く範囲で大きくできたらと考えてます。

最後に同窓生の皆様に一言

しろくま生花店、機会がありましたら使ってください!!
よろしくお願いします!!

お忙しい中、ご協力ありがとうございました。
今こうやってお二人が それぞれご自分に合った道を歩んでいらっしゃることがわかり
また心置きなくブリトラの曲が聴けそうです。
細根クンの作った「風のとらえかた」いい曲ですね。

伊藤クンも、2月15日に代官山で藤岡藤巻さんの藤岡さんとのツーマンライブがあるそうですし、
細根クンのお花屋さんは、地域やファンの方々もたくさん訪れてくれている感じですしね。
上京した際には、ぜひまた伺わせて頂きます。

                          龍城のWA!