母校の歌の編曲と作曲を終えて
                                作曲家・飯田正紀(中51回卒)


 1998年7月の初め、同級生で親友の洋画家.水口満氏から、鈴木さん編集の韮高愛好歌集のコピーが送られてきました。そこで自分の覚えていたメロディや歌詞と違ったところを添削して水口氏に送ったところ、氏の紹介で、鈴木さんから手作りの愛唱歌集(平成9年版)がとどきました。 そして、鈴木さんの、何とかこれらの曲を同年輩だけでなくく後輩にも長く歌い継がせたい、という強い意欲と努力に動かされ、また、鈴木さんから正確な楽譜にして、ぜひ伴奏もつけて欲しいとの依頼もあり、ちょうど学校が夏休みに入ったばかりだったので母校のためにお手伝いすることにしました。
 そこで全曲に目を通し、私の専門の作曲・音楽理論・楽曲分析の立場から調、拍子、和声、記号類、メロディの動きにいたるまで考察し、歌う音域も揃え、みんなが歌いやすいように添削しました。しかし、なにぶんにも大部分が口伝えのメロディで、作曲者もほとんどわからず、著作者に無断で有名な曲に歌詞をつけたいわゆる、替え歌、が何曲もあるのは驚きでした。楽譜はほとんど手書きで、不確かな歌い下が吹き込んだテープから必死で採譜した苦労が偲ばれ、よく記譜されていましたが、それでもいくつかの音符の高さやリズム・拍子及びコードネームが不正確だったので修正しました。 また、メロディに当てはめる歌詩については、戦前のものに漢文調の詩が多く、意味不明のものや、読み方の分からない文字がいくつかありましたが、それらについては漢和辞典や広辞林で解明の上、三人で協議し、さらに同級生で文筆家の高橋三郎氏をわずらわせるなど解決に努力しました。ところで、みんなが思い思いに歌っていたからといって、勝手にメロディに手をつけるわけにもいかず、大多数の人に聞いてみる余裕はありませんでしたが、取り敢えず何人かの意見を聞いた上で作成しました。
 この仕事は調査や修正に意外と手間が掛かり、三人の住所が函南、東京、芦屋と離れているために電話や書簡が三人とも百回を越えました。その他、著作権関係、恩師、先輩、後輩なと、あちこちへの問い合わせは無数と言っていいくらいでした。鈴木さんは前校長との面談や、それまで不十分だった膨大な資料を調査して下さいましたし、水口氏は内容の変更に伴うレイアウトの修正のたびに表紙のデザインを変え、ワーポロもほ
とんど打ってくれました。その間、校正版は十二回にもなり、三人とも仕事は早い方ですが、それでもこの一年を完全に費やし今日に至りました。
 なお、これらの楽譜は、私がマックのフィナーレで作りました。さらに同窓会から皆が歌い易いようにと全曲の録音を依頼されましたが、私は手一杯で、韮山在学中のバンド仲間の坂内秀郎氏に引き受けて頂き、自分では校歌と勝利の歌だけを録音しました。
 校歌は、有名な「月の沙漠」の作曲家によって書かれた大変優れたメロディですが、学校が原譜を亡失していたので、作曲者のご遺族を日本音楽著作権協会の乾栄司氏(高12回卒)に紹介して頂き、作詩者のご遺族にもお訊ねしましたが不明で、ここでは「韮高120年」に掲載されているハーモニカの数字譜を基にしています。
 旧韮高教諭佐々木高幹氏(中29回卒)によれば、校歌が制定された時は中学5年生で、その頃このハーモニカ譜を見た記憶があるそうです。この写譜は作曲年に近いので極めて信頼性が高く、昭和17年に私が先生から教わったメロディもこの通りですが、いきのみぢからのきの音だけが私の記憶と異なっており、その当時、原譜から写し間違えたのではないかと思います。これについてはソソという音がこの詩の各行頭に度々使われている上、いきが同じ音のほうが力強く、楽曲分析上も正しいと信じられます。そして、水口氏や乾氏など多くの人の記憶が私と一致し、現在も生徒たちはそのように歌っており、作曲者三男の佐々木行綱氏(東京音楽学校[現芸大]卒、声楽家)も父の作風からすると、いきは同じ音と思うと言っておられるのでこれを採用しました。
 なお現在の生徒手帳には別に二箇所、誤ったメロディが記譜されています。一つはあめつちにのあ−めの音程で、これは天の広さを表現しており、佐々木氏もこの説を妥当とされています。鈴木さんの証言によれば、このあがちょっと低いため、先生が「ここはソドミだぞ」といくら注意しても何人かは歌いやすいドレミに変えて歌っていたそうで、私も全く同様の経験がありますが、現在はその間違った音程が載っています。もう一つはとおらしめよのレミソラシドで、作曲者はレミソというメロディをしばしば使ってこの曲の統一をはかつておりこの音程は重要です。このレミソは皮肉にも校歌制定時より現在まで、先輩たちによって後輩に正しく歌い継がれており、生徒手帳を基としたコーラス譜やブラス譜にも記されているミファソや前述のドレミは明らかな誤りです。校歌の原譜は昭和23・4年頃失われたようで、その頃、私が韮高の誰かから師を通じて頼まれて書いた伴奏付きの楽譜は何故か不明です。それ以後誰が書いたか判からない間違ったメロディ譜が横行し、音楽の先生方もまちまちに教えてきたようです。生徒手帳にはそのほか著しい記譜上の誤りがあるので、早急に正しく直さなければなりません。
 校歌の調は、原調のホ長調を1全音低くした二長調とし、弾きやすいように簡単なピアノ伴奏をつけました(録音は本格的な伴奏)。コードネームは、キーボードなどでの伴奏に効果があるように、種類を多く転回形も加えていますが、ギター伴奏の時など、むずかしいと思われるようでしたら、簡略化して弾いてもかまいません。
 最後の勝利の歌は鈴木さんから作曲を依頼されました。この詩は戦後の詩らしく誇張のない大変優れたものと感じました。気に入らない詩だと何ケ月も放っておくのですが、この詩に関しては幸いにも、頼まれた日の夜半、目が覚めたのがさつかけで、和音を思い浮かべながらメロディを一気に書き上げピアノ伴奏を付けました