輪が 自由勝手旅の醍醐味

第8回 特別挿入編
「台北故宮博物院 大観」に飛ぶ
(2007) 
2007/4/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)

鳳が羽根を拡げたような新装博物院 総ガラス張りのロビー天井が斬新
    















































      




















 「一生難遇的看!」
 このようなキャッチフレーズで、北宋の大画家・氾寛の山水画「鶏山行旅図」の複写真と野見山暁冶画伯の鑑賞文が掲載されたのを新聞で発見したのは、今年07年2月下旬のことでした。 05年からリニューアル工事中なのは承知しておりましたが、このような「特別大観」にして3月25日までの期間限定開催とは、記事を読むまで知りませんでした。
 ラストチャンスと謳うのは、故宮から世界中に流失した精品を、所有する美術館と個人から借り上げて展示する意味からの発信だったのです。今までにも台北の故宮院は私達の必至の訪問先でしたが、近距離なのと中国本土の方が私にとって第二の故郷的でしたので渡航機会が先送りになっていたのです。期間は余すところ一ヶ月を切っています。即刻行動開始!その日のうちに航空券と
HOTELを探索しました。HOTELはともかく、フライトは一日2,3便と限られた席数しかないので希望日がOK出来るかどうか不安でした。
 結果、航空券と台北一のグランドホテルと世界一の中国美術の粋大観を看る機会を掌中にして、幸運感は身体中に満杯で、3月8日 成田空港を離陸したのです。

 Air BUS300の機内でデイナーを済ませて着陸した台北は、雨に迎えられました。空港からのリムジンは、十字星が並んだようなハイウエイのライトの中を疾走、高速道インターから左手の丘の中腹に建つ、紫禁城をイメージしたHOTELに到着、チェックイン。10Fに昇り、余裕のある室内と照明に加えてバスローブまで完備した宮殿ベッドに 第一夜の夢を結びました。
 翌朝、中華風朝粥バイキングを試食したあと、レセプションに降りました。カウンタには日・英語に堪能なコンシェルジェが常勤し、さすが台北で第一関の
HOTELと認めました。博物院へのアクセスもTAXIが安くて便利とポーターを呼んで指示してくれました。 顔淑慧さんという名の麗人でした。車寄せから正面ゲートに向かう時、改めて建物の全景を望んでその威容に頷かされました。

 故宮博物院までは4qほどで、TAXIは黄色のカローラ・左ハンドルが多く見られました。料金は初乗り70ntj(約\200)確かに安い。常緑樹の山林を背にして鳳が羽根を拡げたような建造物のアプローチ道から、地下一階にあたる正面玄関に車は滑り込みました。改装されて広大なロビーの天井は、総ガラス張りの明かり取りに設計されて、以前の不評は払拭されました。大階段にはエスカレータも設置され、総合案内?と入場券売り場・クロークのある一階へ導かれます。愈々チェックインデスクから展示室へ歩を進めます。

   私達がかくも多大な期待を抱いて故宮博物院に向かったのは、次に記すような理由と時代背景が存在するからです。
 基を正せば、北京の紫禁城内に所蔵されていた美術品の大半を、中国軍の総統だった将介石が、内戦の混乱に乗じ 巧妙に 大名行列のような長い車輌の隊列を組み、戦場を迂回して、海外国にも似た台湾に運び込んだのです。60万点を越える美術品は、歴代の皇帝が権力・財力で収集・保管した珠玉の精品が揃っている至宝なのです。特に千年も遡る北宋時代は、中国美術史上稀なる豊かな時代と言われています。八代目徽宗帝は、天賦の芸術的才能を持ったアートエンペラーでしたから、権力に加えて 筆力、審美眼力にも恵まれた人物でした。「宋書体」として痩身な筆耕を持ち、現代にも通用している書体の始祖です。中でも山水画の最高峰で、世界に冠たる三点 氾寛描く「鶏山行旅図」 郭照筆「早春図」 李唐描く「万岳松風図」は、垂涎の的そのものでした。書の部では 徽宋帝の「牡丹詩帖」、蘇拭、米琉、黄庭堅らの名筆。 磁器・陶器の部では 世界に
73点しか残っていない神品、北宋時代の汝窯青磁がガラスケースの内側に、淡い照明に浮かぶが如く展示されて、長い千年余の時を暫し停めていました。 これらの逸品を満足行くまで鑑賞するには、毎日通っても幾日が必要なのか、自分でも答えが出ません。そして体力が続かないのを自覚しました。

 閉館が4時30分ですので促されて退出すると、TAXIが全く拾えません。次々と入線して来るのですが、全部予約済みなのです。不慣れな私達を見てガードマンが一台まわしてくれました。彼の笑顔が台湾の印象をぐっと上げたのです。
 翌日再訪すると、驚いたことに案内机・クローク・カフェの人達が「昨日来場しましたネ」とみな覚えているのです。「毎日来ます」と答えると服務主任が「良い機会を得ましたね お礼を申します」と日本語で挨拶をしました。

 日曜は博物院の混雑が予想されましたので一日だけ半世紀まえの雰囲気の残る柚化街に行きました。シャトルバスでメトロの駅まで乗り、券売機で切符を買うとき、高校生くらいの男女のグループに下車駅のメモを渡すと、コインを選んでコップほどの投入口を指差す。テレカそっくりの券が出てくると歓声をあげて大喜び!こちらも大喜びすると、握手を求める。周囲の人達も拍手せんばかり!熱烈歓迎かな?
TAXIでは経験できない交流でした。

 帰国すると間もなく、桜の開花予想がニュースになりました。桜と新入生が連鎖反応する思い出があります。

07/April
現在クローズになっている卒業回別フリートーク掲示板がHPにありますね? 05/03/17に「よろしくお願いします」のタイトルで、通りすがりの新入生君が
「ネットしてたら見つけたのでカキコしました!」
翌日小生これを読み
Welcome fresh boy! 君達は幸せだよ。
校門をくぐる前に龍城の歴史を知る
Old boycontactが可能なのだから・・・ただカキコという単語を小生は知らない。もしや bobby soxer なのかな?」と書き込みました。三日後、通りすがりの新入生君からre
「高2ってことは来年は三年生なんでしょうか?<カキコは掲示板に書き込むってことですよ! 私は
bobby soxer の意味を知りません。>」
小生のつぶやき=参ったな! HP委員の方 Help me ! 
 どうですか?このギャップ! 
高2の
Old boy ならS25年(1950)卒なのです。
ということは、生年はマイナス
18193xですから、今年何歳になるでしょう?
 通りすがりの新入生君が在学なら、今月三年生に進級した筈です。この後の書き込みで彼とは誤解をときましたが、「輪が自由勝手旅の醍醐味」を読んで下さる皆さん 拙文の脱線文体をどうぞご容赦。



紫禁城をイメージした円山グランドホテルの威容