輪が 自由勝手旅の醍醐味

第7回 魅せられた インドへ 再び 1986 
2007/3/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)

     朝モヤ立つ、赤い城の一角に立って














































      




















 初めてのインド旅行を経験した翌年、次の自由旅を立ち上げる時「何処にしよう 君は?」ワイフは「インド!」これで決まり。前年いろいろな出会いで知り合った人達に再会したくて国もコースも同じ、黄金の三角地帯にガンジスの聖地ベナレスを加えたプランにしました。成田からのフライトも同じAir INDIA シーク族のターバンを巻いたイラストに迎えられてtake off。. 機内食のカレーも懐かしくタイ上空を通過してまもなく余り明るくない地上にソフトランデイング。入国審査を受けて出口に向かうと、ほとんど降ろされたシャッターの下の隙間から顔を出して手を振っているイドリスの笑顔を見つけました。一番目の再会でした。

 デリー空港からタクシーで、HOTELシッタルダにチェックイン。翌朝Mrジャインから電話があり「Now I will visit for you by KURUMA」この頃SUZUKIが「マルチ」の車名で軽自動車を製作・販売していました。当時輸入車は公用のみで合弁で製造しているのはこのクルマだけでした。国策でバスやトラック等も輸入は制限されていたのですが労働者保護の意味が強かったのです。道路工事は殆ど人力で、木綿のサリーを着た女性が砂利や川砂を頭にのせて運んでいました。私たちはなにしろインド人自体に魅惑され、呪縛された状態になってしまったのです。今回の訪インドでジャイン氏からもう一人C・M・カプール氏を紹介されました。日本を良く理解し多才な能力を秘め、インド事情に精通したコーデイネイターで、生涯のお付き合いが続くであろう紳士です。Mrカプールのサポート無しではインドの自由勝手旅は不可能であったと痛感してます。
 インド再訪の初日はオールドデリーのチャングマーケットという賑やかな市場風商店街に行きました。500bほど幅20bの未舗装の通りの両側に何でも有りの店が不揃いにビッシリ並んでいます。野菜、肉、果物類の食品から衣料、家具、木・金属の諸材料、工具、紅・緑茶、靴屋、床屋 歯医者まで座っていました。店ごとに個性的な主人や売り子がいて興味は尽きません。胸に「京都・金閣寺」と漢字が染め抜かれたTシャツを着ていた店員が目に入ったので、カメラを見せOK?と問いますと 間があって首を横に傾けましたので、Noと思い歩を進めました。これは「アッチャー」というOKのサインでした。突き当たりの「ジャームマスジット」は階段の高い城のような建築のイスラム寺院で、長いあご髭の僧がユックリとコーランを念じていました。
 次の日は前年と同じくバスでピンクシテイ ジャイプルに移動しました。Hotelクラークスアメールにチェックインの後、シャトルバスで市内に向かいました。「風の宮殿」近くで下車した直後「ナマステ」と声を掛けられました。なんと昨年出会ったアブドル君が両手を拡げて立っていたのです!知らせていないのに迎えられ、彼の店に行きました。首に花輪を架けてくれた弟に、私達を馬車で市内を案内するよう命じました。黄色の花輪に馬車に乗った外国人のカップル、これでは目立ちます。たちまち30人くらいの見物人、「マハラジャ・マハラニ」と声が飛び、映画のロケか?と問われる始末。こんなにも歓迎してくれるアブドル君に理由を聞くと「貴方達が好きだから・・・」と答えただけでした。
 翌朝ホテルのレストランで朝食を摂っていると、女性の現地ガイドが添乗に来て他のグループのテーブルに座り、勝手に食事を始め談笑していました。アグラ行きのバスが迎えに来て私たちが4列目あたりに乗ったあと、先ほどのグループに付いて来た現地ガイドが私達に気が付きました。眼を見張って考えている様子。「このカップル何時から?」前日我々がアブドル君と一緒だったのをご存知なかったからです。この後走行中、運転手の横の添乗員用シートの間から3時間凝視し続けました。アグラに到着し、タジマハル廟に参るためワイフが持参のサリーに着替えるとき、やっと自分の出番と近づき着付けを手伝ってくれました。
 翌日ゴールデン・トライアングルからコースを東に転換し、ガンジス河畔の聖地ベナレスに向かいました。途中ブッダガヤで後の釈迦 シッタルダ王子が説法を施した菩提樹の観光をしてベナレスに入りました。この地で天寿を終えようと集まってくる善なる人を泊める、死の家。日本人でその宿を提供している某子さん。ガンジス川の観光船から呼ぶと、窓から手を振って応えてくれました。川に沿って沐浴をするガートを少し下ると、死者を火葬にするホームが望まれます。井桁に組む木材も貧富の差があり裕福な人は、白檀の樹で送られると聞きました。骨は最高の場所である聖なる川ガンジスに葬られ天寿を全うするのです。夜半に起床して日の出までに船に乗り川に出たところで、寄ってくる灯明売りから笹船を求め流すと、人生の軌跡を眺めるような神秘な雰囲気に包まれました。
 デリーに戻り昼食をコンノット周辺で済まそうと Mr ジャインの店に寄りますと「My Lunch 」と奥さん手作りの弁当を奨めてくれました。これは有り難かったですね。こんな経験は滅多に出来るものではありません。大喜びする私達に丸い三段のランチボックスを披露しました。上段に主食のナン、中段に自家製の野菜とチキンのカリー、下段にピクルスとマンゴーのサラダ 初めて見るインド人の弁当。手を合わせて感謝。そのあとで店に陳列してあるものを好きなだけお持ちなさいと驚くような事を申します。冗談でしょ!僕らは「poor people」だからと言うと「no problem」問題ないと平然たる返事。眼を止めた楽器シタールや絨毯、宝石箱、象の置物などがショウケースの上に並びます。イドリスに手をひらひらさせると大きなジッパーの着いたバッグが現れ、入れ始めましたので慌てて「お金が無い!」Mrジャインは「いつか息子が日本に留学した時に払ってくれればOK」なんと1000弗もの商品を、電話番号だけの担保で無期限に貸与してくれたのです。「もし私たちが・・・?」に対して「貴方にはそんな事、出来ないと面相に出ています」と小学生の息子さんの肩に手を置きました。Mrカプールも同様の表現で其の後サポート役を引き受けてくれています。
 ダニャワード(感謝)
 初めてのインド旅行で知りあった忘れ得ぬ人達のプロフィールを紹介する一遍としました。
Mr ジャインのレジデンスです。今度は我が家に泊まればよいと・・・・