輪が 自由勝手旅の醍醐味

第5回 最西端のポルトガルから情熱の国スペインへ 1982 
2007/1/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)

ハンサムだし、強かったのよ
               


宮殿・ホテルはみな
このタイルで飾られています





















Orara おじさん懐かしいワ



















スペインの美人セニョリタと



















 ☆ 最西端のポルトガルから 情熱のスペインへ ☆1982

二度目のヨーロッパ旅行となったのは、1982年9月中旬 知り合いの4組のカップルに添乗員1名の理想的小編成のグループ。 高額所得の先生たちに添加した我が夫婦は当然齢だけは最年少。今回も必ずクラシックタイプのホテルに連泊で、食事は総て一流レストラン、ワインは飲み放題の我が侭さのオーダープラン。 ノンドリンカーの我がカップルには不利ですが、モニター済みの内容なので期待度は大でした。
成田からのフライトはSWISS 航空のチュウリッヒ経由で、機体はマクダネル・ダグラスの中型ジェット。ポルトガルのゲート空港はリスボンで、チュウリッヒからは3時間足らずの飛行、アルプスを見送って高度が下がり紅葉が始まった森の上空から都市部のビル街の隣接地にフワリと着陸。入国手続きも小人数なので至極簡単。
 迎えられたボルボのリムジンバスには「えっ!」と驚きましたね。丁度この年開催されたサッカーW杯の選手達が使用したばかりの新車だったのです。それが僅か4組のカップルと添乗員の9人のお供として全行程の終着地スペインのマドリッドまで送ってくれるとの説明です! 空席が80%以上と、なんとも勿体ない移動手段ではありませんか! 空港から市内まで3〜4`の近さ、滑走路の倍くらいの感じの距離でした。
 
 チェックインしたのは五つ星のHOTELルッツ・リスボン。ロビイは宮殿のようでした。一休みしてからレストランでフルコースのデイナー 以後食事は上等でした。
翌日のコースは郊外のシントラ地区の観光で、ゆったり過ぎるDeluxeバスの乗り心地を楽しみながら小高い丘に到着。 此処に日本人の現地ガイドが待っていました。 途中バスの窓から見えた、ムデハル様式建築のシントラ宮殿に案内されました。ポルトガルはブルー彩色のタイルが秀逸で、この宮殿の広い壁面をも見事に演出していました。外観で白く丸い巨大な壺を伏せたような屋根は厨房の煙突でした。宮殿であるだけに広い調理室には複数の竃の炎口が並び、それが異形ですが美しい屋根になっていたのです。オレンジの実る庭を望んだレストランでランチタイムを過ごし、再びバスで西に向かい海岸に突き出たがけの上で下車しました。『大地の終わる処 ここより「海」の始まる処』 ロカ岬でした。ヨーロッパ大陸の最西端。船乗りたちが希望と不帰の感情の交錯したであろう特別の地点です。そこに立って水平線を望んだ証明書を求めました。

 この日の夜はファドレストランでのディナーショウが予約されていました。ポルトガル語で「運命」を意味する“ファド”は一言では言い切れない哀愁、悲しみ、嘆きなどを含むサウダーデ調の民謡で海を背景にした詩が多いのも頷けます。ギターの伴奏で切々と唄われるのですが、アマリア・ロドリゲスで知ったファドとはプロ・アマの落差がありました。
翌日はリスボン市内の観光で、見晴らしが良く最も古い遺跡の 聖ジョルジェ城、ベレンの塔、女王の援助で世界に船出したエンリケ航海王子や、ダスコ・ダ・ガマのモニュメント、巨大なジェロニモス修道院を巡りました。熱心に説明を終えた現地ガイドの彼女が最後にワイフに近づき、着ていたレースのドレスを是非譲って頂きたいと懇願してきた顔つきは仕事以上の熱心さでした。
翌朝 リスボンからバスで出発、国道4号線を東へスペインとの国境に向け、コルクの樹の並木道を快適になだらかな丘陵を走りました。1時間後国道沿いのレストランに着き広いテラスのあるテーブルに席が用意されて座りました。満面笑顔のでっぷりした店主が注文を受け息子らしい男に伝えます。料理やワインの説明の相槌に両手を拡げて「オ・ラ・ラー!」ジェスチャーの面白さに全員が唱和し、店主も満足。名物のイワシの塩焼きが壊れたベルトコンベアのように運ばれます。それが店主のように体格がよいので、こちらも「O RaRa!」 すっかり気に入られた私達に店内のケースからポルトガル模様のサラダボウルをプレゼント。なんとも嬉しい交流でした。

 赤白の棒が遮っているだけの国境の小屋にパスポートをパラパラと見せてスペインに入国。夕方アンダルシア第一の都市セビリアに到着。平和的にHOTEL ルッツにチェックイン。リスボンに続いて五つ星なので内装も宮殿風。部屋も浴室も重厚で貴族の気分でした。
 翌日の観光は理髪店からと想像したのですが、13世紀の建築になるカテドラルからでした。高さ95bのフェダルダの鐘楼の螺旋階段を歩いて登り、市内を一望できました。迷宮の小路がつづくサンタクルス地区のユダヤ人街も馬車でゆっくり走り家屋の美しさに見惚れました。 でもこの馬車の選択で、闘牛ならぬ人間同士の挌闘技を見物しました。血の気の多いセニョールの一面を実感した訳です。見料はフリー。ワイフは希望のハンサムマタドールの馬車に乗れました。 アルカサールの王宮・庭園も観光し、ディナー・ショウのレストランではフラメンコも鑑賞しました。
スペインで最も平均気温が高く“フライパンの底”と呼ばれるコルドバに入りました。郊外の河川敷は緑の絨毯を敷いたような牧場で牛が放牧されていました。 HOTEL メリアにチェックイン。人口25万の小都市ですが、8世紀に建立された回教寺院が残り、2万5千人の信者が居るそうです。大理石で造られた縞模様の椰子型列柱が印象的でした。
そしていよいよハイライトの アルハンブラ宮殿の残るグラナダへとバスは疾走します。

 人類の歴史・遺跡を訪ねるのは本来の目的・興味の主題ですが、これらに付随する人間模様も実に味のある対象です。この旅で形成した4組のカップルの味・風味はどうだったでしょうか。年長のY氏と同業のN氏は税理事務所のオーナーで、T氏は高級建築木材販売の社長、私たちはしがないアーチストの端くれ。4ペアの夫人に依るご主人の外面と内面の対比評をリサーチ。これも旅行中と言う舞台の裏側でないと味わう機会が少ない。それも一番リアルでクールな舌を持つパートナーの評だから真実性は高い。慶応ボーイシニアのY氏は内外とも平均点はマイナス 同業のN氏は最初から外面良く、内面は不可の評。
ジェントルマンのT氏は内面良く、外面はやや強面の評。さてワイフに依る小生の評は内外とも差の無い柔軟の良という評。だから選ばれた由。少々面映い。

 そして本命のグラナダ・アルハンブラ宮殿 世界に高く、広く知名度の比類は優れていること周知の遺跡ですから紹介は省きましょう。 とても記述するには頁が足りません。ただ二十余年前訪れて幸運だったと今にして深く深く思います。2001年再訪したときはまるでオールスターの開催する後楽園もかくやと恐怖を感じる猥雑の雰囲気でした。二度と行くまいと決心しました。

 グラナダで強く印象の残っているのは日没後案内されたアルバイシン地区のジプシー居住区のフラメンコ洞窟。タクシイから降りてぽつんと灯る街灯をたよりに手探りで椅子に座ると照明が床を照らす。客席に対面してギター奏者と手拍子兼歌手がならんでいる。伴奏が始まるとダンサーがソロでステップを踏みながら奥から現れます。そのうちズラリ並んだジプシー女性の異様な眼差しに気が付きました。歌も手拍子も掛け声も上の空で目線はワイフのドレスに釘付け。もうフラメンコどころでなくなりました。迎えのタクシイのドアを閉めてほっとしましたよ。

 最後の都市マドリッドではプラド美術館でピカソのゲルニカを鑑賞、続いてヨーロッパでも屈指のパレシオ・レアル王宮の華麗なる装飾美で眼の保養をしました。街を散策してプエルタ・デル・ソル広場に来たとき、ジプシイの幼い兄妹の可愛いパフォーマンスにあの不気味な洞窟のシーンが重なりました。