周知の大女優と私の偶然一致の不思議な運命のあやとりの勝手文☆2011/02/10
  栗原 一 (高2回卒)


  


 多くのプロ カメラマンをして「どのアングルからファインダーを覗いても“完璧な美貌の持ち主”」と自他ともに許された花のイギリスの映画女優 エリザベス・テイラー!幼い時から「将来大スターの資格充分」と英国女王と同じネームをかざして憚らなかったようです。外国映画に全く興味を持たない方でも、輝く金髪に宝石のようなブルーと緑に綾なす魅惑満点の瞳と形よく愛らしい独特の鼻空の美女をご存知でしょう!ローマからエジプトに侵略者として乗り込んだクレオパトラ!“陽の当たる場所”のスクリーンに輝く世紀の大スターが地球に生をうけた1932年2月24日!同日正午!時差が有りますので全く同時ではないにしても、私は日本国・横浜市長者町の和菓子製造店の長男を父として生まれ、戸籍上生年月日はまったく同じとなります。

 父の職業は砂糖の輸入販売業で、幼い時から甘い原料環境の中で育ちました。どのくらい甘い日常であったか、少しご紹介しましょう。当時砂糖は99%が輸入で残りは沖縄と台湾でした。太平洋戦争開戦前の中国東北部・満州は進出する日本企業で活気に満ち、父も同じ心理で指針を向けたと推察します。大手の製菓会社も続々工場を新設し、砂糖は貨車単位で納入されました。製品見本が我が家の倉庫に山のように積み上げられ、これを狙って入り口を破壊されたこともありました。これに対応してジャーマン・シェパードが番犬と警報機と私のペットして、家族に加わりました。時を同じくして幼い時の指揮者小沢征爾さんも、4軒先に入居されこれも奇縁と言えましょう。

 甘過ぎる環境?を分解して筆を進めますと、小学3年生の頃、下校して母の顔をみますと押入れを指します。開ければ有名製菓会社のキャラメル、チョコレート、キャンデー、羊羹、ビスケット等々歯には禁物のメンバーが列を作っています。先ずおまけの付いているG社のキャラメル、積み木の材料として羊羹を100本あまり、TVの無い頃でしたから自然と創作的?遊びをなんとなく優越と満足感をオブラートに包んだような、あやふやな思い出がよみがえりますね。私のこの頃の同級生に白系ロシア人が居ますが、彼の家が玩具屋で、遊びに行った時銀髪のパパを見てサンタクロースをイメージしましたから、生来”お目出度い”性格なのでしょうね。

 ☆それにもう一つエリザベス・テーラーとの誕生日に続く同類項!あの悲劇のヒロイン・ダイアナ妃の追悼式の当日。TV中継で、式場となったロンドン・テムズ河畔・ウエスト・ミンスター教会の参列者の長い列の中に、思い掛けなくエリザベス・テーラーの姿を見かけたのです。何故にこのときの姿が私と同類項にあてはまるか?の謎解きはあまり自慢にはなりませんが、手押しの二輪車に座り介護を受けながら八十路を辿る果っての大女優の落日の厳しい横顔は、人生航路の最終が漂って伝播してくるのが弱いけれど私の神経に絡みつく感じで、決して心地よいものではありませんでした。

 生年月日が同じですから当然私もご同様の終着港に投錨することになる運命になるでしょうが、有り難いことに今年は五月に金婚式を迎えることになりそうです。ワイフの誕生日も同月同日ですから、念が入ってると言われても結構です。まだこうしてパソコンの前に鎮座し、一字づつ点字のように印字する介護U・車椅子の八十翁ですが、最愛の伴侶と、残り少なくなった寿命を価値ある人生の終着標とすべく、毎日短距離ですが歩行機を押して長い廊下を往復しております。