輪が 自由勝手旅の醍醐味

第4回  4500年前の先進国家 エジプト の巻 
2006/12/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)



カイロ大/日本語科の学生通訳  






























おじさん 少し離れてくれない?


































アラ みんな集まっちゃった
☆4500年前の先進国家 EGIPT☆(1980 June)

 初めてのヨーロッパ旅行で点火された海外の未知なる国々へのターゲットは、巨大な石造建築と驚異の造形美が残るエジプトと決めました。目標は、想像でしかイメージ出来ない遺跡ピラミッドと、世界最長のナイル川の両岸に今なお多くの謎を残す数々の神殿と墳墓群。歴代ファラオとクレオパトラとツタンカメンと、枚挙に暇のない国を選んだのです。
でも国を決めただけで、アラビア語のイスラム圏ですから、ガイド付きのツアーに参加するしかありません。旅の準備は説明会と、案内書で情報を集めました。
季節は梅雨時ですが、目的地は夏の砂漠地帯です。首都カイロは地中海寄りですが、ナイル川に沿って1000`も南下、赤道に近づくのですから暑さに対しては不安でした。ギリシャで47度Cを体験しましたが50度も覚悟しました。
フライトはEGIPT Air の直行便。マニラ・バンコク・バーレーンで給油の南回り、機中泊の長丁場でした。ヨーグルトの付いた朝食後 カイロ空港着。アフリカの乾いた熱気のなか、nonエアコンのバスでHotelにチェックイン。二つ星クラスのグレードで、ドアは木製 荷物を解かないまま具合の悪い鍵でロックして、最初の観光にとエジプト博物館に案内されました。
 前庭の池には古代の紙の原料であり、paperの語源でもあるパピルスが繁っていました。館内に入ると巨大なファラオ像、石棺、レリーフ等が展示され、薄暗い照明に4千年を超える歴史が迫ります。
考古学上でも重要で貴重な出土品が、粗末なケースや卓上に無造作に並べ置かれていました。
 発掘のリーダーはイギリス・ドイツ、フランスなど先進国の学者、金満家の執事達でしたから、出土した逸品は監督官吏らの一存で裏金か手付金の多い国へ流出していたのでしょう。初めて世界的にも評価の高い展示品に鳥肌の立つ感じでした。
 特筆すべきはエジプトの先人達の驚くべき技術に依って残された何体ものミイラと、納められていた2層〜3層の化粧棺でした。
内臓を容れたアラバスターの透きとうるような壺。宝石のラピスラズリを粉末にし接着剤で練り上げ、金箔と対照的なデザインで人型の棺に見事に造り上げたその独創性に感動を覚えました。
 ツタンカメンの展示中、さすがに「黄金のマスク」はガラスのケースに入れられて妖しくも美しい光を放っていました。同じ輝きを持つ玉座、優雅なベッド、黒い肌の防衛士などもズラリ並んでいました。
 翌日はカイロの南4`に位置するギザのクフ王・カフラー王・メンカウラー王の三大ピラミッドに迎えられました。
月からでも認識できる遺跡の一つに向き合って、その恐るべき存在感に押し潰されそうでした。これは絶対に建造物の前に立たないと実感不可能です。盗掘で開けられた穴の入り口から、ファラオのミイラが置かれたであろう玄室まで、猛烈な熱気と湿気の中、階段を昇降しながら古代人の不思議な能力に驚きの連続。 再び地上に戻った時、先人が太陽を神格視した理由の一因を納得したのです。
 夜は、ライトアップされたスフィンクスとピラミッドを舞台に、世界一規模の歴史劇を観賞しましたが、いささか疲れました。

 次の日 国内線のプロペラ機で900`南下、アブシンベルに巡航。
ここでも巨大なファラオ像と、大神殿・小神殿の存在に千年単位の時の流れを測り、これらを天文学にも、工学にも精通し建立した人間に思いを馳せました。ダムの建設による水没を避けて移築、ナセル湖を見下ろす位置まで後退させたのも人間。世界の良識も健在なり。

 この初回のEGIPT旅行でのTrip shockをご披露しましょう。
一泊目のホテルでの体験。
クラシックな江戸時代の製品みたいな感じの鍵で二重回しでロックする、部屋の扉。フロントで部屋番号の鍵を受け取り、自室のナンバーを確かめ 鍵穴に差し込んで開錠しようとしますが、全然反応しないのです。ガチャガチャやっていると、音も無く背後に立った人物が、親切にも一発でOpenしてにっこり。礼を言って、部屋に入り扉を閉めようとしても立ち去りません。笑顔のままゆっくりと手を出します。有料のドア解錠マジシャンでした。日本では経験出来ない例の一つでしょ。
 食事も驚きの連続。
初めてのイスラム圏の国ですから、すべて未知の味、形、食感、色彩でした。ホテルですからパンはバタロール、クロワッサン、バケットのようなモドキが籠に山盛りで供されます。灰色で焦げ目が付いていますが、とても歯が丈夫になるように配慮されています。乾燥地ですから絶対カビも生えず腐りもしません。レタスでなくキャベツ、落としても跳ね返ってきそうなトマト、普通なのはポテトと玉葱、肉は羊と育ちすぎたチキン。野鳥の餌にとストックした機内食のクラッカーに助けられました。

 王家の谷サイド、つまりナイル川の左岸は 死者の都と呼ばれ、旧都ルクソールの対岸の岩山に多くのファラオの墓が複雑に彫られています。中でも規模の巨大さで知られるラムセス6世の墓。
ツタンカメン王の墓が盗掘を免れて発見されたのが20世紀に遅れた遠因は、この巨大さに担がれた位置に在ったからのようです。
その北側に壁の役の岩山に囲まれてハトプシェト葬祭殿が、かっての女王の権力を示す威容を残しています。 
 この日の気温は遂に50度Cを突破してしまいました。記念すべき体感日です。水分の補給には魔法瓶で持参した熱い日本茶が最高でした。
 ルクソールに戻り、カルナック神殿の列柱群の幽玄美は涼しくなってからの観光で、星空と一緒に満喫できました。
 翌日、炎天下のバラック建築の空港で、
♪♪♪友人の結婚式に出席して2時間連絡がつかず 乗客と飛行機を待たせたパイロット♪♪♪の操縦でカイロに帰着。
フリータイムには、カイロ大学日本語科に在籍中の学生2名が私達の臨時ガイドとして同行を希望してきました。願っても無い交流の機会をアッラーの神がお与えになったのです。彼らのおかげで、市内観光はとても充実したものになりました。イスラム教でない私達にはモスク参は省き、興味を持った諸事を分り易く説明してくれました。選択した日本語が通じる事が嬉しかったのでしょう。臨機応変の通訳で「うまい!」と思ったのは、別のエジプシャンが何か質問してきた時、彼は「訳さない方が良いです」と答えた眼でした。

 数々の感動と体験と異国の思い出を吸い込んで、カイロ空港を離陸しました。水平飛行になった頃、機長から期待すべきアナウンスが告げられました。
「エンジン・トラブルが発生しました。バーレーンに着陸し
 点検作業をします。内容によっては宿泊の可能性もあります。
 その場合、成田着は一日遅れになります。」
なにやら嬉しくなりました。何故なら、旅程の主目的は完了して、今は帰りの機中なのですから・・・・
もし当日のフライトが不可能となった場合、航空会社の負担でトランジット扱いになり、観光目的では入国出来ないバーレーンのホテルに泊まって食事も味わえる・・・とほくそ笑んだのはいけなかったですか? 
ホテル周辺の散歩程度は許可されました。チャドルを着た女性には決してカメラを向けないように注意されました。
 
 こんなハプニングのおまけの付いた旅行でしたが、
振り返って「輪が自由勝手旅・・・・」を書き始めたいま、歌舞伎の
一幕見のようだった気分がします。