輪が 自由勝手旅の醍醐味

第3回  オーストリア・スイス・ギリシャ 
2006/11/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)

1977 降って湧いた初めてのヨーロッパ旅行の前半 デンマーク・ノルウエー・チェコ に続く後半の オーストリア・スイス・ギリシャ 3国のカルチャーショックをどうぞ ご一読ください


1977&7&7
Lucky 4 Sevens
の乾杯










作曲家たちの墓所に献花
運命のベートーヴェンに

☆森と音楽の都 ウイーン・オーストリア☆

チェコからのフライトは B747ジャンボでした。近距離ですがヨーロッパ内の移動は客数も多かった訳です。機乗してすぐ嬉しいマナーに接しました。ワイフを前に通路を歩いて行きました。
私達の席の窓側にいた若い紳士が立ち上がり、ワイフの手荷物を棚に納めてから席を替わって「プリーズ」と勧めてくれました。私と眼が合いますと 「You too」と隣席を勧めます。ジャンボ機の席は 3+6+3ですから通路側に移り、私達二人を並べて座らせたのです。 参ったと思いました。 このレデイーファーストと、日常の挨拶と笑顔は 以後も気持ちの良いものでした。 

オーストリアのウイーンといえば、ゲルマン系の民族が住民です。 中でもハプスブルグ家の居城として名高く、広大な庭園を持つシェーンブルン宮殿は、栄光と歴史に彩られています。贅を尽くした城内の装飾、各室の絨毯やゴブラン織りのカーテン・シャンデリア・絵画に加えて、貴族達の毎夜の饗宴の模様や、6歳のモツアルトと王女マリー・アントワネットの ませた会話、ベラスケスの魔法のような筆のタッチなど、時間の経過を忘れます。 それにしてもこの宮殿 周囲の広さはどうでしょう。日本とは比較すること自体が無理でしょう。 宿泊したHOTELシェンブルンは宮殿に準じた荘重さを保ち、天井の高さが眼に残っています。 その夜は1977年7月7日 ラッキー7の並んだ特異日ということで、すこしずれましたが税理士の先生方が私達の結婚と誕生日のW祝杯パーテイを催して下さいました。 ウイーンと言えば ニュウイヤー・コンサートで知られる通り、シュトラウスのワルツ・ポルカ ベートウヴェンの第九などに、映画「第三の男」 アントン・カラスのチター曲 etc 音楽の街の印象が濃く、この名作のシーンに出てくる観覧車に乗せられたり、ラストシーンでアリダ・ヴァリが歩き去って行く、落ち葉散る並木道をゆっくり バスで通過するサービスにも乗りました。 また ウイーンの森 を進行、中庭のあるベートウヴェン・ハウスで ビールの乾杯!=毎朝の散歩のみぎり、挨拶されるのが煩わしくて転居をよくした逸話も、気難しい作曲家らしくうなずけます。 公園のように良く手入れされた 作曲家たちの墓所にも参り 後世の人達の愛の証をみました。
チェコから自由主義圏の オーストリアに入り、HOTELもさること乍ら食事の豊かさにあらためて、その落差を痛いほど感じさせられました。 片や一個のアイスクリームを求めるのに、資格の有無を突きつけられ、桜ん坊の一粒も手に入れるの難儀さ・・・・・ 国が替わればレストランで、好きなだけ皿に取れるフルーツヨーグルト 食べやすく切られたメロン・洋梨・デザートケーキなどなど。
アジアの極東に生まれ、中国で小学校高学年まで育った東洋人の私にヨーロッパの風はこのあと どのように来たり 吹き抜けたでしょう。




登山電車には
チロルハットが似合いそう















君、何処の国の人?貴方は?

☆ カレンダーの写真の通りの観光国 スイス ☆

ウイーンからの SWISS Air でのフライトは 北都チュウリッヒ着でした。 ベンツのバスに迎えられ凄い高さの噴水を望みながら チュウリッヒ湖畔に出ました。 最初の驚きは現地ガイドの挨拶でした。
スタートの直前に飛び乗ってきた彼は「皆さんコンニチワ 遠方からスイスへようこそ! 暑いですね 失礼して上着を脱がさせて頂きます」 30才くらいの白人の口から見事な日本語が、スラスラと耳に心地よく響きました。 さすが観光立国の心意気が伝わってきました。 ここでも岸辺の水面を鴨の親子が、係留されたヨットやクルーザーの周辺を気楽に泳ぎ回っていました。 九州とほぼ同じ面積の小国ですが、平地との高低差は4000b以上もあり、特徴のある山々、氷河、ライン川・ロワール川の源流となる河川、湖や樹林が国土を覆っています。教会や瀟洒なレジデンスの並ぶ町や村を結ぶハイウエイを走り、チュン湖を回ってアイガー北壁を眼前にした町 グリンデルワルドのHOTELレジナに到着。美術館のように絵画の並ぶ、螺旋階段をのぼり入室しました。 デイナーはホテルのレストランでしたが、ガイドの説明がユニークで記憶に残っています。「お料理の配られかたが少々遅く感じられますが、正式の配膳でウエイターは一生懸命に仕事をしています。ひたいの汗が語っています」 暗に日本人のセッカチ性をちくり。 食事はデザートまで満足でした。 初見参の一つ、バスルームに湯栓の付いたbaby用らしい小さな浴槽がありました? そうアレだったのです。軽井沢の万平ホテルでもお目に掛かりませんでした。 翌朝のブレックファストは圧巻でした。 HOTELの東側に黒いアイガー北壁の険峻な顔が対面するテラスの食卓だったのです。 私達が席に着くとオープンの手すりにすぐ雀くらいの野鳥が停まり手元を見ています。 パン屑をテーブルに置こうとすると指の先にトンと着陸。驚きと同時に羨ましかったですね。 今は我が家でもこのシーンは見られます。そしてこの日のハイライト ユングフロウヨッホ峰に向かいました。大きな集乳缶も同乗する登山電車で中間点のクライネシャデイックに到着。 駅前のレストランで チーズ・フォンデュ 名山のパノラマを前にしての賞味ですから美味なわけ。 乗り継いだ登山電車がまた凄い強者でした。発車して間もなくトンネルに入りました。これがアイガーの体内に線路が伸びていると言うではありませんか!その上、停車したトンネル内の駅のホームの壁にポッカリと窓が開けられ、眼下に泊まったHOTELが見えたのです。 誰がこんなアイデイアで線引きをしたのでしょう。 ユングフロウの終点に立った時は感激でした。抜けるような青空、展望台の直下から始まるアレッチ氷河が右へカーヴして、隣のピークの裾を巻いて続いているのが望めました。氷点下でしたが風も無く充分景色を楽しみました。 そのときキーンというジェット音より速く3機編隊のファイターが通過しました。 山岳飛行では定評あるスイス空軍の飛翔でした。 展望台は富士山より高い4100bの標高点ですから 高山病に弱い人達は中間点のレストランに残った位です。
夜はホンキイトンク調の JAZZピアノを愉しみながらのデイナーで結構でした。翌日は麓の町インターラーケンまで電車で降り商店街を散策 実物大のシェパード、ピレネー犬、ダルメシアンなどのムクムクの縫ぐるみに、ヨーロッパ人の犬好きが伝わってきました。自衛の軍を持たない永世中立の国スイスは自分達の安全を確保のため、自家用の銃の保有率は世界一と聞き、なにか納得するような、理解の限界の線を考えながら 美しい国の空港へ向かいました。


レースの一着 お気に入りです



神に感謝 
スペシャルの一枚です




新婚さん?一緒に移したいの ネ!

☆ 哲学者ソクラテスを育んだ国 ギリシャ ☆

30回に及ぶ海外旅行で一番印象の強い地点を、一つだけあげるとしたら ギリシャ・アテナイの中心 アクロポリスの丘と、そこに建つ パルテノン神殿でしょう。 到着した空港は国の歴史を受け継いだ古色の感じの多い小型のたたずまいでした。 その代わり海に関しては大変強力で太古から勢力のある船舶国家です。チェックインしたHOTELでのデイナーは、夜風の心地よい屋上の食卓で供せられました。 海に囲まれた国らしく メインデイッシュは シーラカンスのようなグロテスクサイズ魚!後で見た鮮魚市場にも並んでいましたから高級品だったのでしょう。大味なのは姿通り。 翌日は先ずアクロポリスに向かい、バスで対面側の丘に着きました。 パルテノン神殿の全景を察してから徒歩で並木道を登りました。 大理石の大柱が並ぶ階段を進み、神殿の前庭に出ると大きな建材の破片が、地面を隠して散らばっていました。2000年余の歴史が重くのしかかって来るようでした。 ガイドが当時の建築設計の緻密さを説明してくれましたが現物を指さし、自分の眼で確認させられると驚異の連続でした。 この後、この旅最高のシャッターチャンスに遭遇したのです。スペシャルの一枚です。 丘の側道を降り半円形の劇場跡に入りました。遺跡ですが毎年何回か神話劇が上演され、大理石の貴賓席にも座ってみました。 翌日は最終日の前日なので終日フリータイム。 他の人達はエーゲ海のクルーズに出発しましたが、私達はパルテノンを再訪することにしました。フロントのコンシェルジェに予定を告げると「おやめなさい」と言われました。 「今日の温度は45℃以上との予報です。日本人は皆倒れます。トンデモナイ!」と真顔で引きとめられました。 TAXIで往復するからと、納得させて出掛けました。 入り口のチケット売り場に並んでいた観光客の半数は、上半身裸でした。再訪ですので迷うことなく、列柱や神殿の素晴らしさを気の済むまで眼底に刻み、博物館にも入りました。 帰路は劇場横に下りてから、脚を伸ばしシンタグマの無名戦士の墓まで歩く事にしました。 しかし気温は40度を越え、汗は噴き出すのですがどんどん蒸発し、喉は渇くばかりです。 眼に入ったスタンド毎にジュースで水分を補給したのですが、焼け石に水のようでした。 ゼウス神殿の横から日陰のある小路にとびこみ、失神をまぬかれました。 夕方涼しくなってから、HOTELからほど近い、でも気になる高所であった リカヴェドスの丘に行きました。 射るような眼差しでこちらの顔から一瞬も視線を外さなかった、切符売り場のおばさんからチケットを受け取り、ケーブルで頂上に着きました。 夕日が沈むたそがれのアテナイの街 頂上に建てられた教会の鐘楼の三段の屋根がつくるシルエットが、来てよかったと手のなかを通じました。
帰国のフライトは南周りで バグダッド・ボンベイ・バンコク・マニラで給油し 30時間ちかく掛かり たっぷり空の旅を経験いたしました。このときの貴重な体験はまたの機会にご披露しましょう。