輪が 自由勝手旅の醍醐味

第22回 
オランダ寄り道・ポルトガルからスペインへのMy free way☆ 2001/秋
2008/6/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


スペイン・バルセロナの ガウディ設計による グエル公園の広場の一角です。
園内には旧ガウディ邸が博物館として公開されています。
ベッドから照明、トイレやバスルームに至るまでガウディらしさのデザインに興味は尽きませんでした。

















































      








この年 MEXCOでお世話になったアメリカ人Witta&Mikah 夫妻に「9月頃ポルトガルとスペインを巡る旅を計画中で・・・」とFAXを送ったところ「スケジュールを知らせて欲しい。アムステルダムからなら一日以内に何処へでも行くことが可能。いっその事オランダに寄って行けば?」と発展的変更のプランが芽を吹きました。結果9月24日、オランダ航空KL862便で成田発北回り時差+7hでアムステルダム15:10着、12時間のフライト。スキポール空港は初めてですが、案内板をたどってスーツケースを受け取り入国審査も形だけ。EXITには長身の北欧系アメリカ人、マイカ君が笑顔で手を振って迎えてくれました。
 
通りに出て2両連結の市電に乗り30分、公園サイドの停留所で下車。割りに広い路の商店街を抜けて、彼等夫妻の住むマンションの2棟先のプチホテルに案内されてチェックイン。彼は其の間にウイッタ夫人に知らせに戻る。
私達が路上に出た所へ夫人が歩いてきたので「Witta!」と呼びかける。「ハーイ」と抱きついて「Your Wellcom」
その夜はマンションに招かれ、手作りのメキシカン中国料理で歓迎されました。こちらもワイフ手描きのランチョンマットをプレゼント、室内はダイニングテーブル・ソファ・ハンモック、壁にはワイフの作品写真集が額に入れられ、唐子の人形もガラスケースの中でポーズをとっています。何れもワイフが贈ったもので、インテリアもユニークな国際品で飾られ愉しそう。
 
ゴッホ美術館へは運河を渡って歩くと10分、直ぐ横にも博物館が有って地の利は満点の居住地です。翌日からは観光ボートでダムを巡り「アンネの家」やアムステルダム港をクルージング、船のホテルやボートハウスのサンプルカタログを見るような体験でした。Witta夫人は精神科の医者ですが、アーチストを目指しているらしく、友人であるインテリアデザイナーのショウルームを案内してくれ大いにワイフを日本の美術作家と紹介していました。
ゴッホ美術館で美と食(Sushi !)を堪能し、街路の散策で大道芸人の秀芸・アイスクリーム・ビール・スナックの多様さに飽きる時間は有りませんでした。次の再会を約し、ドクター&ホテル後継者夫妻に別れ、空港ホテルに一泊。
 
オランダAirでフライト2時間、ベルギー・フランスを飛び越えてポルトガルの首都リスボンに到着。嬉しい事に空港から市の中心まで数キロ、10分でホテル前。外国人が「ナリタAir Port クレージィ!」と呼ぶのも納得します。リスボンは77年に来ていますので再訪です。テージョ河を望む巨大なジェロニモス修道院はマニエルT世がエンリコ航海王子の偉業をたたえ、またヴァスコダ・ガマの世界一周を記念して16世紀に建造。海外からもたらされた富により日本を発見し、鉄砲を種子ヶ島に伝えたのは1540年代でした。世界遺産シントラはリスボンから50`、ベンツのTaxiでレアル宮殿に行きましたが「帰りまで何時間でも待つヨ」と言うドライヴァに驚きましたけど、この旅の移動はほとんどTaxiにきりかえた程のパンチ有る発言でした。
 
ドイツのノイシュバーンスタイン城の設計者が建てた山上の宮殿ペーナパレスは、流れる霧の中にファンタステイックな姿で現われては消える幻の城でした。リスボンはファドの街です。アマリア・ロドリゲスに代表される哀愁のメロデイー、ファドレストランでそれらしき雰囲気を味わい、次の日ベンツでオビドスに移動。王が愛する妃に贈った城のHotelポサーダに一泊。可愛い小さなキャッスルですので僅か9室しかなく、予約は非常に難しい!骨董品の調度家具で埋まった部屋で至福の一日を過ごし、王妃のプライベートルームだったレストランで食事を楽しみ、貴重な思い出を得ました。
 
次の日は日本人とロシア人のカップルの経営する聖マタイ農場にホームステイ。4日間の珍妙な生活を味わいました(水風呂・蚊取り線香・ターキーのインデイアン風焼き鳥etc)。早々にヨーロッパ最古の大学の町コインブラに避難。4dayの欠食を中華料理で補食しました。風邪気味で不安でしたので、またベンツでブサコに移動、宮殿ポサーダに一泊。優秀な看護と満足の暖房で肺炎を回避できました。広大な庭で白鳥とシェパードに癒されリスボンに戻りました。
 
翌日長距離バスのターミナルでスペインまで乗り継ぎ可能を確かめ乗車。テージョ河を渡り南下、快適なハイウエイを走り続けたのです。終点で下車、SPEINのセビリア行きバスのカウンタに行きますと「ストライキで運休中、明朝解決するから・・」と涼しい顔。冗談じゃない!Hotelはキャンセルしなくてはならないし、今夜は国境で一泊となるとWパンチです。すぐベンツTaxiで鉄道の駅へ急行、説明し始めると、ここは終着駅でスペインへの線路は無いことが判りました。この様子を見ていたドライヴァが「このままセビリアまで乗って行かないか」と思い掛けない提案を出したのです。「!」問題は料金と所持金です。まだユーロの発行前ですからポルトガルの現金は僅かしか残っていません。「セビリアまで280`、不足分は途中の銀行に寄るからそこで引き出して見せてくれればOK!」と、お互いに都合よく見事に解決してくれました。ワイフはATMの前に立つ私とカードの無事通過を祈ったとか。日本ではとても考えられない醍醐味を受けました。
 
ホッとした気分でスペイン最初の夢を結び、翌日は市中を散策、帽子店でマタドールハットを求め、ディナーはフラメンコレストランでジプシーのダンスを愉しみました。翌日は正常に運行されたバスで4時間、世界遺産のアルハンブラ宮殿の所在地グラナダに入りました。この宮殿も二度目ですが20年の時の経過に非常の渦中に翻弄されている状態でした!馬券売り場のように複数の窓口には長蛇の列が続き、並ぶ事2時間。やっと入場券を手にして改札口に行きますと、券の裏を見て「入場時間はpm1:30。ランチを済ませて来るように」仕方なく昼食を済ませ再入場。宮殿の入り口でまた30分待たされ、ゾロリと内部に入ると通過コースは限定され、部屋の入り口はロープが張られ立ち止まる事も許されず、お帰りはこちらの味気なさ。もう二度とこの愚行は繰り返すまいと肝に念じました。
 
世界中が豊かになって、テレビが普及し、世界遺産が次々と紹介されて、このような現象が当然となってきた現実を身をもって体験したのです。そして意外な事実として、「スペインの首都は何処?」の質問に学生や街の人達の答えは「知らない」友達も「?」全然恥ずかしがらない。私達はピカソのゲルニカを見たくてプラド美術館に行きました。幸い空いていてユックリ対面が出来ました。迫力の凄さに圧倒され、屋外に出てホッとしたくらいです。次に、優雅さを求めてアランフェス王宮に行きました。「私達だけ?」と思う程の人数で説明者が気の毒でした。内部は世界中からの献上物が国ごとに部屋装飾され中でも中国室は圧巻でした。天井から照明、壁掛け、紫檀、黒檀の机・椅子類、加えて景徳鎮の藍染め付け・青磁の陶器類や、床の段通まで垂涎の調度でした。
 
ハイウエイBUSで7時間、最終都市バルセロナに入りHotelガウディにチェックイン。この都市にはガウディの設計によるサクラダ:ファミリァ聖堂、グエル公園、個人邸、マンシオン等ユニーク極まる建築物が彼方此方に存在し、ファミリァ聖堂の完成年はいまだ未定の進行中です。故郷を同じくするピカソ、ダリの天才的芸術家は、北カタルーニァ地方の風土・景観に大きく影響されて育まれたのでしょう。
 独ベンツ製Taxi+ドライヴァに恵まれたFree wayの旅でした。



アムステルダム、ゴッホ美術館のレストランスタッフの人達です。
奇声を上げて飛び上がり抱きついて来ました。勿論ワイフが対象です。
私は荷札みたいな存在ですから、良くて通訳かな?


中国系インドネシア人ドクターのwitta夫人と、
北欧系アメリカ人でメキシコでリゾートホテルの次期オーナーの
Maikah君たちの、
ユニークな装飾の部屋に招待されて面白いアイデアだらけの室内を鑑賞しました。



ポルトガルの重要文化財・城、王宮、修道院、などを改築し
国営ホテルとして観光客に提供しています。
ポサーダと
呼び、44箇所有りますが、此処も其の一つ。
ブルーのタイルが象徴的で レストランの味も宮廷に準じます。