輪が 自由勝手旅の醍醐味

第17回 
☆アジアと欧州の接点⇔イスタンブル(トルコ)への旅☆1998-winter

2008/1/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)


ボスポラス海峡を眺望する見晴らし台のトルコ装飾されたチャイハネでミント茶一服













































      



















 ロシアの旧い朋友ユーラ・シチューキンをウラル地方に訪ね、翌年日本に招いてから三年が経過し次の旅にトルコを選びました。オスマントルコ帝国からトルコ共和国になっても日本の2倍の面積、とても冬の休暇で回れる広さではありません。イタリア同様下見の心算でイスタンブルだけを目標とし、お国柄に触れる自由旅を立ち上げたのです。
 エアラインは再び格安なロシアのアエロフロト航空を利用、モスクア経由イスタンブルに入りました。天候も穏やかで、空港から30分で城壁をくぐりオルジェイHotelに着きました。部屋に案内してくれたドアマンに、英語を話す個人観光TAXIを勧められ承諾しました。直ぐ連絡が付いたのかレセプションに呼ばれ階下におりますと、車寄せに仏プジョーの新車が待っていました。ドライヴァーはレスラーのような初老の好人物。Mrキャノンと名乗りユックリと料金の説明をしてドル払いでOK。こちらも理解がし易く了承しました。

 モスクも美術館も自然遺産もバザールも世界的で、この国・トルコの人種を含む基礎概念を知る頁をめくるスタートです。最初に何を見たいかと聞かれ「アジアとヨーロッパの境い目を確かめたい」と言いますと、両方を一望できる見晴らし台に案内されました。眼下のボスポラス海峡を結ぶ1`ほどの2本の橋が逆光の中に遠望できました。少し靄った大気に、ガラタ橋と手前の日本建設の橋影はかえって幻想的でした。トルコ修飾のチャイハネでミントテイーを楽しみ海岸道に戻りました。

 最初の遺跡は地下宮殿イエレバタンサライ。メトロの入り口のような階段を地下3階に降りると、貯水池が現われました。天井を支える太い石柱が100本以上水中に建てられ、渡り廊下のように石橋がくねくねと続きます。何番目かのコーナーを曲がった所に、ギョッとする頭部の石像が柱の礎石になっています。しかも天地逆さにされ、殆ど水没し苔も認められます。ギリシャ神ポセイドンの愛人・メドウサの奇怪な首でした。あまり永くは居たくなかったので地上に戻ると、Mr.kyanonが「おもしろかった?」そして走り出すと、露店に寄りオレンジを1s買ってきてすすめてくれました。珍しい好人物と思ったのですが、トルコ人は噂通り親日家が多いようです。マルマラ海岸に出て魚市場が有ったので降りて見学。ここでも初めての私達に甘いチャイを振舞ってくれました。魚の種類は少なく大型のボラの類や、アンコウもどきの底魚が吊るされていました。イワシの焼いたままをホットドッグ風にパンにはさみ、新聞にくるんでポーンと船から投げて寄こすのを見て、食欲が減退したのでチャイだけでホテルに戻りました。料金を渡しますとMr.kyanonが「トモロースケジュール?」と答えをうながします。翌日も同じ質問が有りましたので彼を「トモロスケジュウル」と呼ぶ事にしました。このマイカーでの個人ガイドは英語の単語を並べる私と同程度のクラスでしたので、人柄も良く最終日までの連続のお付き合いとなりました。

 翌日は巨大なブルーモスクとアヤソフィアモスクを続けて観光しました。想像以上に大きい丸屋根を支える、象の足と呼ばれる太い円柱の間には一人分のスペースを織り込んだトルコ絨毯が敷き詰められ、メッカを拝む祈りの時間は宗教の波の連鎖反応を感じました。

 次の日もトモロスケジュウル氏に案内されて、オリエント急行の終着駅に近いエジプト市場の探索に行きました。売り子は日本人と見ると「トーキョー、SONY」「もしもしカメヨ」と呼びかけます。蜂蜜と香料を求めただけで、場外に出てドライヴァにチーナレストランに着けてもらいました。ウエイターが中国人らしいので「にィはォ」と言いましたら「日本人?」瀋陽育ちと答えますと「私も!」そして別の卓にいた長身の外人と東洋系の女性のカップルに何やら説明しますと、同席しても良いかと願ってもない要請。お互い自己紹介しますと共通点が多くあることが話題になりました。ウエイターと私は中国瀋陽育ち、カップルの女性は中国系のインドネシア人で女医、長身の男性は北欧系のアメリカ人で現在メキシコに建てたペンションオーナーの長男、ホテル業を研修中。二人はオランダのアムステルダムで生活していると言う虹のような組み合わせ。旅と遺跡が好きな同類項から次はメキシコでの再会を約し、この醍醐味の出会いは2年後に実現したのです。

 いよいよイスタンブルのハイライトはトプカプ宮殿美術館の鑑賞です。オスマン帝国時代から世界中の属国からの献上品や、財に任せて購入・収集し加工した宝物類、豊富な収蔵品の素晴らしいこと!中でも世界第二の大きさ品位を誇るスプーンダイヤモンドの首飾り・世界最大のグリーンエメラルドを三個、柄の握り面のダイヤ群に埋め込んだスルタンの短剣・黄金張りの側面に点々とダイヤ・ルビー・ヒスイ類を装飾したベッド・景徳鎮の青磁の壷や伊万里の絵巻燦然の飾り皿 もう圧倒されるばかりの展示品の行列でした。素晴らしさを反芻しながら美術館の出口で10人くらいの若い美女軍団に呼び止められて大騒ぎのなか記念撮影とインタヴュウ。イスタンブル大学の女子大生達でした。ハレムの美女もかくやと思うイスラムの若人との出会いの醍醐味です。宮殿の庭を退出ゲートに向かう途中、追いついてきた白いコートの中年の紳士が「貴方のワイフはトプカピの宝物と同じですよ 幸せにね」私は Thank You と言うのが精一杯でした。

 イスタンブル最後の日、空港への車も「トモロスケジュウル」氏のプジョウでした。車中の会話でMr.が45歳と知り驚きました。ワイフと握手の際の力強さを納得させられた事実です。ドライヴァから土産を贈られたのも初めてで帰国してチャイとともに醍醐味を舌で味わいました。

トプカプ宮殿美術館で、美女軍団に拉致されて〜はーい いいわよ!

ところで貴女誰なの?何処の国から来たの?