輪が 自由勝手旅の醍醐味

第13回  
☆PARISから LONDON への新年気まま散歩☆1994/January
2007/9/10号掲載
栗原 一  
  (高2回卒)


冷たい風の強い日でした。暖房の無い頃の馬車も寒かったでしょうね。 













































      




















 先年モロッコ・サハラ砂漠の初日の出tripの帰路、乗り継ぎの偶発的不能の幸運?でパリに延泊した際ルーブル美術館の一幕見や、メトロの初乗車、凱旋門・エッフェル塔の遠望など無料で体験できたのでなんとなくイメージが有った故でしょうか フランス〜イギリス両国の首都のフリータイムTripのプランに食指が動きました。年末年始のプラチナ航空券がホテル付きでセットされていたのです。その代わり添乗員・ガイド無し、送迎車無し、つまり個人旅行の寄せ集めと言う新しい形態の選択がベースのようでした。前年で海外旅行も十回を越え、自由旅のノウハウの輪郭が理解出来る様になって来た頃の機会でした。

 自分では決して選択しないJALの747機でNRTをtake off 機中泊でPARISに到着。ドゴール空港からリムジンでカルチェラタン地区のhotelプルマンにチェックイン。
 翌日はパリ郊外のイルド・フランスに第一歩。方面別に幾つか有る駅の一つ北駅=教えてもらったガレ・デュ・ノールをTaxiに告げるとウイと通じたフランス語。全部Do it myselfなので乗車券を買う窓口から探さねばなりません。見回してそれらしき窓に行きますと、近くにいたムッシュが緑のランプの点いた窓だと教えてくれました。行き先を書いたメモを見せますと1か2かと指を立てます。2本立てますと小切手大の切符を一枚72フランで寄こしました。日本と違うのは4人でも、往復でも一枚。内容を眺めて見ると段々解明されて来ました。2Adulteで大人2人・乗車駅と下車駅が2箇所印刷されて往復、有効期限は発行後24時間と仏・英語で印刷されていました。ホームを探して行きますと駐車のメーターのような機械に切符を差し込みガチャンとパンチを入れています。これも覚えました。忘れると罰金を請求されることも!このとき時刻も入って有効になった訳です。一応座席指定ですがヘッドレストにカバーが掛かっている以外は何処でも可。目的のシャンテイーエは40`くらいですからその位走った頃ホームだけの駅に停車しました。線路脇にCHANTILLYと小さな看板が立っています。「此処だ!」二人で飛び降りました。何のアナウンスも有りません。「次は○○、忘れ物注意、ホームの間に落ちるな、左側の扉が開くetc」外人の知人がどうして日本の電車はうるさいのか?なぜ皆居眠りをするのか?と言っていましたけど・・・

 無案内なのでTaxiで城まで行きました。
このシャンテイーエ城は古城の一つですが美術館として公開されています。堀と庭園と森に囲まれた小規模ながら格式ある美しい城です。ゲートの鉄柵が開かれ堀を渡って湖の中の台地に建つ城に導かれました。私達の他にもう一組のカップルの4人だけの入城者。実に静かで贅沢な空間を暫し独占。先導してくれたマダムが第一室の扉を開けて姿を消してからは誰も居ません。歴代の領主が集めた名画・彫刻が肩を並べるように展示されています。画風と作家の名前が改めて鑑賞の眼を醒まします。小品ですがラファエロの「聖母子」が神秘を訴えてきます。コーナーを曲がってすぐボッチェルリ描くヴィーナスとエンジェルたちの、華やかさと風になびく髪と衣裳の渦に脚が釘付けされます。
至福の時を過ごしてから、帰路はちらつく小雪の中を駅まで余韻を温めながら歩きました。駅前の小さなHotelのTea roomで午後のカフェ・オレ。
「プチ?」と問われてデミタスを注文。城と同じ暗い間接照明の下で落ち着いた時間を過ごしました。パリ北駅に戻り、石畳の道の角の小綺麗なブラッスリーで夕食。ハウスワインの美味と鹿のステーキに満足。店主のマダムの大袈裟なウインクに送られて街に出たけど、意味は?

 翌日の散策はセーヌ河沿いに古書店や菓子店、小動物の居る店などを覗いてからシテ島前の橋を渡ってノートルダム寺院のカシモドを訪問しましたが鐘撞堂に出掛けたらしく不在。
 次の日はまた市内を出てベルサイユの丘に足を伸ばし宮殿内の絢爛たる鏡の間や王族の寝室の不思議な豪華さにフランス革命の遠因を眼にしました。 

 パリ・ドゴール空港から90分のフライトでLONDONヒースロー空港に降り立ちました。着陸の際、芝生を駆ける野兎が印象的でした。入国審査のとき係官の「会いに行く友達の名前は?」と問われたのも印象的でしたけど。・・この頃からテロ対策が実施されていました。リムジンでテムズ河畔まで行き、先ずビッグベンの建つ国会議事堂を巡り、橋で対岸に渡って時計を遠望しながら時報の鐘を風の音と一緒に脳に録音しました。河畔にはレストランを兼ねる各種の船舶が繋留され興味を惹きます。中の一艘に乗船し初めての英国料理を試食しましたが、噂通り信用出来ない味でした。其の後全食・中国料理に切り替えました。正解。

 次いでバッキンガム宮殿に回り衛兵交代のセレモニーも檻の外から見ましたが興味は別の処にありました。この宮殿の周囲には幾つかの公園があり野鳥の天国が存在していたのです。StジェームスParkもその一つ。最も環境の良いことは鳥達が先刻ご承知で一番怖い人間がここでは順位がぐっと下位なのです。ビスケットの欠片を舌の上に載せて見せれば唇に止まってついばみます。カル鴨の親子が路を横断すれば馬も犬も停止して見送ります。本当ですから羨ましいです。この日もワイフと二人日没まで池の畔で白鳥、ペリカン、数種の水鳥とたわむれ、時の経つのを忘れました。

 翌日ロンドンのもう一つの楽しみ、大英博物館に歩を進め階段を登りました。大きな扉は一杯に開けられ自由に入館できます。どうぞ誰でもFREEと表示があり、その先に直径3メートル位の透明な地球儀が置かれていました。「当館は世界のみなさんの善意の寄付で運営・無料展示を続けています。賛意の志をよろしく」とあり、ポンド、ドル、フラン、マルク、Yenその他何種もの紙幣・コインが山積していました。良心の容れ物にみえました。
エジプト室でファラオ・ラムセス2世のミイラに対面、4千年前の偉大な権力者の存在に思いを馳せ、そしてその時代の年譜を解読させたロゼッタ石の実物の前で再び鳥肌が生じるのを感じました。

 英国料理はもうご辞退させて頂き、ピカデリーサーカス近くのチャイナタウンに移り、中国人による中国人のための中華料理に有り付きました。火鍋子から包子、湯類、麺類、北京ダックに至るまで天好の連続でした。清朝の皇帝料理人が育てた味の秀逸さを話しながらタウンの外に出ますと中国人の美術学校の留学生に囲まれました。20分で似顔絵を描くと言うのです。瀋陽出身という李君にワイフの右プロフィールを注文しました。値段は忘れましたが何時かサザビーのオークションに出そうかと話しています。黒いオースチンのTAXIでHotel・フォルムズに帰りました。LONDONにはまだまだ拘って書きたいアイテムがありますが、何れまた  So long.

 

       電飾も華やかなメリーゴーランドの前に立って
    ロンドン・ピカデリーサーカスにて