輪が 自由勝手旅の醍醐味

第43回 
★ペルー遺跡、hotelリマ・卵料理、童謡と校歌★ May/1999
2010/5/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


  
 

世界一予約の困難なHotelマチュピチュ。世界遺産の入り口に建つ部屋数35の平屋建築。全室定員2名なので79人で満室。
日本に出稼ぎに来ていたペルー青年と職業上の関係で友人になりました。リタイアして最初の旅行先に東京の裏側になる南米ペルーを選んだのです。ガイドブックを参考に日程を組み,旅行社に手配しました。翌日「ペルー航空が破産して予約不可能です」考えられない事実にペルー人の彼に相談しました。「心配ないです。他国のジェット機が沢山飛んでいますから」なお驚いたのは遺跡のホテルも予約できると言うのです。あの一泊79人のプラチナメンバーにです!勿論願ってもないことですから依頼したのは当然の成り行きです。返事は直ぐに有って、それも翌日の午後に都内の事務所に用意できるから、受け取るようにと信じられないものでした。しかも支払いは現地で結構の良い事尽くめ。しかし本題は遺跡からの帰路に集中します。
さて日本からペルーへの直行便は無いので米国ロス経由で首都リマに着きました。日本語自在のガイドに迎えられ国内線のエア・コンチネンタルに乗り換えて最終空港のクスコに飛びました。一気に3000mもの高度差があるので予告された通りワイフと共に高山病になっていました。すぐマテ茶を飲み寝るしかありません。翌日は体調復活のためクスコ市内をゆったり観光。ここでも女性現地ガイドサイーダさんにフクスマ弁で案内してもらいました。「明日はマチュピチュに行きます。高度が低くなるので高山病は自然になおります」と言われ安心しました。
 翌早朝列車でアマゾン河源流右岸の駅からバスでジグザグに400m高度を上げ、待望のhotelルイナスにチェックインしました。デイナーは魚料理でしたが本格的な不味さでした。その代り遺跡には充分に満足でした。500年前に侵略したスペイン軍に発見されずこの仰ぎ見る差で聖域を残したのです。当時の水源が謎を含んで今も役目を果たし、棚田式農地に水を流して住民の生活を支えていました。
 夕方の列車でクスコに戻り、最終便で夜のリマに飛びました。平地のhotelリマにチェックイン、夕食はピアノの伴奏付きのレストランでの標準的デイナーに救われました。ワインを飲み干した食後ワイフが一曲リクエストした後、自己演奏を望みました。承諾されてピアノに向かい童謡“月の砂漠”をゆっくりと演奏したのです。ピアノサイドで流れるメロディとワイフの顔を真面目な表情で見つめていた中年のソリストは頷きながら“良い曲だ。教えて欲しい”と願ってきたのです。並んで鍵盤に座り右手の運びを確かめていたようでした。部屋に戻り平地の気圧に安心して夢を結ぶ事が出来ました。

☆クイズのような前書きが長くなりましたが、私が皆様にお伝えしたいのは遺跡とリマと童謡と校歌の不思議な因縁なのです。突飛と思われるでしょうが穂積隆信という俳優をご存知でしょうか?俳優座出身で特異な芸風と声帯の持ち主で「積み木崩し」なる著書もあります。韮高校歌の作詞者穂積忠先輩は彼の尊父です。私は穂積君の同期生の一人です。文芸部を立ち上げ最少部員で気勢を上げているのを垣間見たことがありました。演出家たらんとする目標も意識するのが当然かもしれません。
 不思議な因縁の謎解きに筆を進めましょう。鍵となる童謡“月の砂漠”は昭和7年加藤まさを作詞・佐々木すぐる作曲で初めてレコードとして発売されたのです。ですから韮中・韮高の校歌と童謡“月の砂漠”の作曲者は同一人物なのです。故に両方ともに三拍子つまりワルツのリズムなのですが童謡はともかく校歌が1・2・3とトライアングルなのは実にユニークではありませんか!昭和25年春の全国センバツ高校野球大会で見事優勝して日本中に静岡韮山高の存在を宣言した我が校歌!

☆まだ卵料理とサイーダさんの日本語教師のエピソードが残っていますね。
 Hotelリマで平和に安眠して朝食を摂りにレストランに行きました。運ばれたのはトーストの上に盛られたベーコン・エッグでした。その卵本体の素晴らしいこと!程よく焼かれた厚めのベーコンの上に珠玉のたとえそのままに乗っていました。ほんと真面目に!
☆サイーダさんに暖かい特徴ある日本語でクスコを案内してもらってから別れ際に「貴女の日本語の先生は日本人ですか?」と尋ねました。「そうでし」と答える彼女に「先生の出身地を当ててみましょうか?」「はい」「フクスマでしょ」「え!どうスてわかったのですか!」私は決して悪気があって言ったのではありません。不遜な気持ちも皆無です。ただ日本語のアクセント、発音に興味を惹かれるのです。古語の「いぬ」が「去る・帰る」と同意語として広島市内で耳にした時は満州帰りを実感しましたね。


暖かく愛嬌のある日本語でいろいろ面白い体験や史実を実際に説明してくれた
忘れ難い現地ガイド:サイーダさんとワイフです。