輪が 自由勝手旅の醍醐味

第37回 
★続々 忘れ得ない印度、そしてユニークなインドの人々・・・C
2009/10/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


大統領の選挙や、バーミヤンの仏像爆破などできな臭いアフガニスタンの編み物!
ワイフが一本のかぎ棒で編んだアフガンニットのペアセーターです







































  
 海外にフライトして目的国の最初の関門が入国審査官とのご対面です。私達夫妻がパスポートを手にして列に並ぼうとしますと審査官同士で目配せしながら品定めが始まります。初めての外国はまだ返還前の沖縄ですが、元は日本でしたから例外とします。当方も11月なのにむっとした外気に驚きながらタラップを降りました。これ以前にもヨーロッパに行っていますが、経理士先生方の贅沢旅行に欠員の補充で有無を言わさず参加したもので、実際の初訪問の外国はインドでした。

 1985年 勿論何の知識も有りませんので、或る小さな旅行社の企画した一週間ほどのツアーに参加したのです。香港経由12時間ほどでゲートである首都デリー・インデラ空港に到着。深夜1時半でした。現在でもそうですがimmigration=イミグレという入国の審査の係り官は軍人です。何処でもそうですが威圧的な態度です。虎の皮を着ているので尚更態度も声も大きくなります。独特の印度訛りの巻き舌アクセントでヒットラーのように叫びます。勝手に進みますと「ストロップ!ツアーコンドラクター!」これを聞いたツアーメンバーの一人のおいチャンが見事に翻訳しましたね!「"待て!2ドル寄こせ"と言ってるぞ!」彼はその前に100円ライター没収の洗礼を受けていたのです。この先にボディ・チェックを受ける2部屋がつながった関所が2箇所あります。6,7番目になったとき「あんたはあちら」と右側を指示されました。ヤーと合点、そちらのカーテンを分けて入室しますと今度は女性の軍人です。顔を左右に振り、戻れという仕草です。私はそこでやっと女と間違えられた事実に気が付いたのです。女性は当然雌雄の区別が付くのは本能ですから!女性軍人に伴われて戻りますと男性軍人は苦笑い。「今度来る時は”ひげ“を付けて来い」と迷ヒントを教えられました。

 その後も海外で何度も故意でなく男女混同の経験をしました。ハンカチーフからティッシュペーパー、香水までサーヴィスするチップ制トイレでも何度かレディー側に案内されましたし、或るホテルではチェックアウトする時も”サンキュウ、マダム“でしたから。またアラブ系の国のイミグレでも興味ある異なった反応が交差し、無言劇を観ているように面白いです。それも無料ですから嬉しくなります。フィンガーゲートから私達の姿が認められると審査官窓口に坐している係官同士で顎をしゃくり、表情の変化や指のサインでパントマイムが交錯するのです。翻訳しますと”見ろよ!あの二人夫婦か、姉妹か、何国人か当ててみろよ“”背の高い方、男か女か賭けるか?“こんなやりとりと思います。次にバッゲージを受け取り税関検査をおどおどしないで悠然と受けてやっと民間人の先鋒・タクシーの運転手の品定めの目にさらされます。マーケット・ウォッチャーの彼らは鋭い客選択眼と職業的レーダーの持ち主です。スーツケースの数からカメラのブランドまで一瞬でデータを集め、チップの額までイメージするのですから敵いません。
 たいてい片言の英語を話しますが、なかには”OK“と”ノン“だけで案内したフランスのミシェルのようなツワモノもいました。その代わり好人物であることは笑顔とボデイアクションで充分理解できました。
6年後仏・ロワールの古城を再訪した時写真を持参し、ミシェルに手渡そうと駅前のターミナルに行きましたら定年で辞職していました。年々人の歴史も同じからず。

 次はポルトガルでの醍醐味。リスボン観光を終えて、日本のガイドブックで見つけたちょっとどころか大分風変わりな農場を見つけて数日ホームステイを体験するプランを立ち上げたのです。そのとき計らずも利用する事になったTaxi運ちゃんの話をしましょう。
 ヨーロッパで最西端ポルトガルでも”此処より海始まる。ロカ岬“という証明証を発行している地点から100`以上北にあるセント・マタイ農場に行く日、バスターミナルに行きました。ところがどうも終点から農場までが不透明なのです。思案中の私達にウインクした中年の運ちゃん、ベンツのトランクに赤と黄の鞄を積みました。行き先を告げますと走りながら会社に電話、長距離の許可を取りました。こちらは料金が気になります。前日のリスボン観光で貨幣価値と運転手にワルを感じなかったので、法外な値は心配しませんでした。小雨も降ってきたのでこれも良い選択になったのです。行き交う車も少なくドライヴは単調と感じた時、運ちゃんのルーイおじさんがダッシュからCDケースを取り出し一枚をセットしました。最初のメロデイが流れたとき、ワイフが”アマリア“と叫びました。二人ともファドの女王アマリア・ロドリゲスのファンでしたから。ルーイはこの国籍不明のアジア人をすっかりお気に入り。一緒にハミングしながら迷路のような田園地帯を走りぬけ、ユーカリ林の中に現われた古びた教会を探りあてました。彼のTaxiに当たらなかったらとても辿り着けなかったでしょう。まさにアマリアが守護神となって導いてくれたのです。 
 そして次はギリシャ「地球のへそ」つまり中心:デルフィが出発点です。ホテルに来てもらったTaxiでアポロ神殿の聖域と博物館を巡ったあと見晴らしの良いレストランの最前席に座らせ、迎えに来るからと去りました。ランチを終えた頃タイミングよく手を振って現われました。ホテルに帰る車中次の目的地を聞かれ、アテネと答えますと「バス?」そして手を振ります。「一日掛る。私のベンツなら観光つきでホテルのデイナーに間に合う」「ドルでいくら?」「xy$」片言の英語が通じることと一切お任せでホテル横付けだし、ルートも興味がありました。荷物を積み走り出すとすぐガイドが始まり「冬はスキーができる」と山側を示しました。中腹を走りながら「水源公園を案内する」と主道を折れ緑の森に入りました。小さな滝があり、清流が橋から池をつくり、木製のテラスがあってピアノのライヴを演じているではありませんか。ギリシャのデミタスコーヒーを飲んで文句なしに満足でした。「よかった?」と自信有りげにokサインを送ってきます。車窓に逆光の海のオレンジ色を見ながら山地を下り平野の国道に入りますと、ベンツのスピードが上がりました。120キロ以上です。ループを回って高速道路に入りました。料金所はノンストップと言うより無視です!4車線プラス退避線の5車線ですがまるで自動車レースのように抜きつ抜かれつの映画のシーンです。ワイフも私の手を握り締め身を乗り出してきました。スピードメータは140〜150キロあたりで振れています。その時100メートルくらい前方で砂煙があがりドーンという衝撃音も届きました。#1レーンと#2レーンの事故だったようです。ぐっと速度が落ちたのでMrドライヴァの解説も聞くことができました。今日はギリシャの休暇日で高速道路はフリーパスだったのです。「でもこの事故は特別であまり見ることは出来ません」こんなスペシャル・イヴェントのおまけ付きですが、命がけの醍醐味ドライヴでした。