輪が 自由勝手旅の醍醐味

第36回 
★お国柄いろいろ・忘れ得ないエピソードあれこれ集
2009/9/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


結婚式以来毎年5月26日に同じ写真館で同じカメラマンに写してもらっていました。
今まで頑固にモノクロできましたが、正規のエジプト民族衣装を自前で持ち込みましたので
初めてカラーで撮影。皆さんが喜んで下さるのでテレカに発展しました。
まだ携帯は普及してない頃の発案です。
またこの日はワイフの誕生日でも有りますので我が家のW記念日です。






































  

 「輪が自由勝手旅」には描き切れない程の驚き・感心・珍妙・習慣・人間性などの事件が列を作ります。本編はその幾つかを埋もれては惜しいのでご紹介しましょう。

 その① 先ず日本から海外へのフライトは必ず国際線に搭乗します。サプライズはスチュアデスに迎えられ指定のシートに着いた時からスタートします。ピンセットに挟まれてお義理の笑顔で配られる電子レンジ通過のペーパータオル。5~10粒のピーナツが入った“つまみ”。そして飲み物の選択をせまられますが、不思議にミルクとトマトジュースは用意されていません。コーラはちゃんと有るのに!
これらの珍妙なサーヴィスの元祖は日本の国際線から浸透したものと想像します。オシボリや梅干の出る他のエアラインを私は知りません。

 その② 私は横浜生まれですが、何の記憶も無く父の転勤で中国東北部(旧満州)の大連を経て商・工業都市奉天の千代田小学校に入学しました。ピカピカの一年生のクラスメートに金髪で碧い目の白系ロシア人ユーラ君がおり、机を並べて同じ教科書でサイタ咲いたと勉強をともにし遠足・運動会・スケート・修学旅行まで一緒でした。昭和16年米英と開戦。原爆に続いて終戦、全員の同級生の消息が不明になってしまいました。
 ’93年ユーラ君の行方が判明してから翌年私が訪ロ、’95年資産家の息子ロマン君の同伴を条件に彼の訪日の機会が実現したのです。小学生のロマン君にとって外国日本は不思議の連続でした。N堂社製のゲーム機なんて何時間ピコピコやっても飽きません。商店前の歩道をはさんで車道側に積んである商品の山。何処の所有物か理解できません。頑丈な鉄柵や要塞の中でなく空き地に無造作に駐車している乗用車。お国では2時間で消えてしまうからです。それにもまして大のお気に入りになったのが彼方此方に立っている様々な飲料その他の自動販売機!初めてお目にかかった魔法の箱です。なにしろ金額を読んで所定のコインを入れるとがたんと音がして欲しい物が落ちて来るのですから!帰国する日の空港までこのご機嫌は続きました。
 でも不幸なことにこのロマン君は小遣いに不自由ない生活に溺れ、麻薬中毒症となり成人前にあたら前途ある人生に終止符を打ち早逝の運命を辿りました。

 その③ モスクワ経由でフランス・ロワール地方の古城巡り自由勝手旅に行った時のことです。パリに滞在中ワイフが内臓の不調を訴えました。以前印度でも私が同様の突発に遭遇した事がありましたが友人のコーディネイターが善処して救われました。今回は無案内のフランスの首都です。一計を考えて、ある旅行社のパリ支店の電話番号をガイドブックから探し出せたので救い舟とダイアルしますと窓口に通じました。事情を説明しますと、なんとパリ市内で開業している日本人医師の℡ナンバーを教えて貰えたのです。通話口にアローに続いて「もしもし」と聞いて安堵しました。病状を伝えますとホテル名を確かめ夕刻往診してくれるとの返事です。本当に地獄で仏の思いでした。
 ドアがノックされ中年のドクトルがUSA製のジュラルミンケースを提げて現われました。ワイフのベッドの横に座りケースからカルテ用のパソコンを膝の上で開き、病状を聞きながら「生年月日は?」ワイフが「昭和十・・」と言いかけますと「西暦で・!」言いよどんでいますので私が「1936年5月26日」と答えます。カタカタと入力しながら「え?」初めて顔を上げ、私達をしばし見比べ考えておいでの様子でしたが抗生物質の注射をして「明朝診断書・請求書・処方箋を届けます。現金を用意して置いてください」と帰られました。ドクトルの“疑問の顔つきの原因”を解する私達。無事帰国し、完璧な診療書類の提出で、保険から100%の還付を受けました。"メルシー“

 その④ 最多の訪問回数のインドにはそれこそ数え切れないエピソードが有って頬がゆるみます。印度人の何でもありの無邪気さ、ユニークさ、可愛らしさ、民族的独創性の幾つかを紹介しましょう。
 首都デリーの郊外に建つ8階建てのプチホテルから見た、ごく普通の市民のストレートな姿をイメージしてください。日時は正月元旦の朝6時頃でした。インドの人達には12月31日の次の日、1月1日であるだけです。ハッピー・ニューイヤーは外国の習慣です。朝モヤの中から毛布のような生地を身体に巻いた中年の男性が、水2ℓ入りくらいの缶を下げて歩いてきました。電柱の下で立ち止り、草むらからY字型の針金のついた竿を取り出し電線にひっかけました。パチッと青いスパークをみて男性は缶をさげて小路に消えました。用便をして左手であとを洗いにいったのです。見事な省エネ法でしょう。だからインドでは不浄の手として左手で子供の頭を撫でません。感心するほど可愛らしい習慣が残っていると思いませんか? 
 郵便局でのなんでもありの一例は、規格より大型の封筒に絵葉書と手紙を入れ日本向け航空便と指定しました。頷いた局員は重さを量り切手をよこしました。驚いたのはその枚数の多さです。金額にあう切手が無いというのです。Noというと切手をつなげたまま少しずつずらし重ねて文字のない空き地に全部貼りつけて、OK.。
 究極の食器清浄法としては使用済みの皿を腰掛の上にずらりと並べ、バケツから水を手ですくいあげチャッチャッと振りかけ布で拭いておしまい。見事な水資源と時間の節約に舌を巻きますネ。
 世界遺産のある街ハンピの、プールもある三ツ星クラスのホテルでの珍事のお話。前日夕方から少し熱があり検温しますと37度の微熱でした。携行した風邪薬を服用しベッドで安静に休むことにしました。ルームサーヴィスで軽い朝食も済ませたあと枕を3個重ね頭部をやや高くし、氷嚢で冷やそうとワイフが氷片を註文しました。程なく厨房のコックが大事そうに器にいれた氷片を持ってきましたがなんと親指大の氷が6粒だけです。そうです! 冷蔵庫の製氷皿に出来るあの氷です。とても足りないと言いますと次は2時間後になると真面目な顔付きで告げ、くるりと背を向け悠々と職場に戻りました。観光客も宿泊する☆☆☆のホテルでの本当に体験した珍妙でユニークなお話です。