輪が 自由勝手旅の醍醐味

第35回 
★続々 忘れ得ない印度、そしてユニークなインドの人々・・・C
2009/7/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)



あれよと言う間もなく黄色の重いレイをかけられて、馬車に乗ることに!
これでメインストリートを走れば「ラジャラニ!」と掛け声が飛ぶのも、
「映画の撮影か?」と言われるのも仕方ないでしょう。
並木から猿まで見物にぶらさがりましたから・・・・





































  

 印度の首都、デリーを頂点とする三角形をゴールデン トライアングルと呼ぶ観光コースがあります。南西方向(左下)の街はジャイプル、東南方向(右下)の街はアグラで、それぞれ世界遺産を市内に所有しています。デリーはレッドフォート城、アグラはタジマハル廟、ジャイプルは風の宮殿とアンベール城など・・日本でイメージしてもらうなら東京・伊豆下田・浜松/浜名湖と言った一辺200キロ前後の三角地点でしょうか。鉄道またはバスで三泊4日の初歩プランです。私達も一週間巡りましたがその後6回のインド旅行の原点となりました。十指に余る人々との出会いの醍醐味が存ったのです。

 5回目の印度への旅でアブドゥル君に逢えなかったのは返すがえすも残念でしたが、彼・アブドゥル君を忘れるわけには行きません。1985年一月ピンクシティを訪ねようとジャイプルへ繰り出しました。一番賑やかな風の宮殿通りは色々な店が軒を連ねていて、冷やかして歩くのは本当に面白い。それに子供や少年、青年まで何時の間にか何人もの野次馬がゾロゾロ付いて来るではありませんか!身長・体重・握力を測る商売(5ルピー)に挑戦。耳だけ掃除する珍商売にも初めて体験。20人の観客注視の中で終わった時みんなの期待は私の満足度と料金!親指と1$で歓声。野次馬はなおも興味津津で列を成して付いて来ます。ワイフのサリー用のサンダルを買おうと店に入り一足を履いてみますと口々に“それいいよ”“それいいよ”と日本語で言うではありませんか!店を出て風の宮殿の前に来た時、何処からともなく私達の前に現われたのがアブドゥル君。それも百年の知己の様に満面の笑みで話しかけて来たのです。「僕の店に遊びに来て下さい。風の宮殿のすぐ隣でブティックをやっています。勿論何も買う必要はありません。お金なら持っています。貴方がたは友達です。」何が気に入ったのか私達にバラのレイを架けてくれ、象の彫刻のついた象牙のネックレスと足首にはめる銀のアクセサリーを当然のようにワイフに着けてくれたのです。
 楽しいひとときを過ごして別れの時、名刺を渡されました。そしてワイフに囁きました。「君と僕は丁度いいね、ホラ身長もぴったり」後で名刺を見るとボールペンで I love you と小さく書いて有りました。名刺は今でもアルバムに貼ってあります。
 郊外の広い芝生の庭園の彼方に沈む夕陽が美しいクラークス・アメールHotelに一泊した朝、訪問客が現われました。ロビーに行きますとアブドゥル君にあの笑顔で迎えられました。スロープに軍用のJeepが此方を向いて駐車しています。まだ20歳を越えたばかりの青年が4Wの自家用車を乗り回せる時代ではありませんでした。特に印度では・・・。  

 私達が2度目の印度訪問の時、東京から彼に電話しました。到着日を告げて再びジャイプルを訪れました。風の宮殿の前で車から降り立つとまるで風の様にアブドゥル君がレイを持って眼の前にすっと現われたのです。時刻までは告げてないのに本当にアブドゥル君は神出鬼没、身のこなしが素早いのです。ずっしり重いくらいの黄色い生花のレイを二人にかけてくれて、自身は店を空けられないからと私達を馬車に乗せ、街を案内するように弟に命じたのです。何故こうまでしてくれるのか不思議でしたが、アレよと言う間に馬車が来て並んで座ると走り出しました。大きな花のレイを架けた二人が街を行くと道行く人が首を横に振り“アッチャー”!また親指を高く上げる人“ラジャ・ラニ!”と叫ぶ人。(これはマハラジャ:藩王、マハラニ:王妃を一緒にしての呼び名)“よう!ご両人!”と言った処でしょうか。まるで結婚のパレードみたいな行事が終わり彼の店に戻るとアブドゥル君は「ちょっと留守番ねがいます」と言い残しワイフを連れて出て行きました。車道を隔てた向かいの店に入り、どれでも好きな品を選ぶようにと促し、金糸で織った民族衣装バンジャム・スーツを再度プレゼントされたのです。☆このサリーの店の男性店員が5度目の「印度・ラジャスタン州南巡りコース3,000キロの旅」で立ち寄った折、24年の経過があったのにワイフとその日のプレゼントのスーツまで覚えていたのには驚くばかりでした☆ そのゴールドのパンジャムを着てカジュラホの寺院群を2日かけて見学した時は、見学が見学されているような場面が度々ありました。ジャイプル式ターバンを買うことになり、アブドゥル君がターバン大店へ案内してくれました。色も絞りも種類が豊富で迷うくらいです。長さ9bのシフォンのターバンに決め、巻き方を教えてもらったりしていると、見る見る人だかり。“何だ!映画の撮影か?”と言う人もいたり、仕事に行く鞄を持ったビジネスマンらしき人も次第に前に出てきて、ワイフの眼の前まで進み飽かず最後まで一部始終を見届けて行きました。
 そして5度目の印度旅行の折アブドゥル・ブティックを訪れましたが、かたく施錠されていました。でも看板はそのままです。実家に行きますとアブドゥル君の息子がいて、彼はフランスへ行っているとの返事です。息子はその場で父親にTELコールしますと、アブドゥル君はすぐ電話口に出て話をすることが出来ましたが会えなかったのは残念でした。彼はフランス人と結婚し、現在イタリアに住み立派な店を経営しているとのことでした。するとこのインド人の息子は?どうやら二度目の結婚らしいことが推察されます。24年の歳月が彼をどのように変えたのか本当に逢って見たかったのです。

 「日本の男性は駄々っ子のままアダルトにならずにおじちゃんになる」と言われていますが彼アドブゥル君は若冠24歳にしてジャイプル銀座の目抜き通りにブティックを持ちJeepを乗り回して、今でも裸足で何も食べる物が無い人達があふれる印度で、25年も前にこのような事を実現できたのはそう簡単ではなかったと思います。彼は童顔ながらやる気満々と言う情熱が感じられました。観光客相手に土産屋の主人には納まりきれない才覚とセンスの持ち主でした。そして何より男気があり、人を楽しくさせる人間的魅力を兼ねそなえていました。彼はフランス女性にもイタリア女性にも、もてたに違いないでしょう。やっぱり魅力あるアダルトな男性をそれと知る女性が放っておく訳がないでしょう。
 今やアブドウル君は国際的宝石商として活躍しているとの事でした。そして今年イタリア・ミラノの彼のブティックからダイレクト・メールが届いたのです。URLも有るし連絡をとるところです。



アブドウル君から贈られた金糸のパンジャム・スーツを着て、カジュラホの寺院群の中を見学しました。
巡礼のカラフルなサリーの女性たちに、見学を見学されているような妙な気分のひと時でした。




ジャイプルのシンボル ピンクの「風の宮殿」前でのスナップです。
彼アブドウル君はちゃっかり真ん中でワイフの肩を抱いているでしょう。
 「君と僕は背もぴったり」はこの時のセリフです。