4年前のMrカプール氏です。我が家のアルバムにもありますが一番最近の映像を提供していただきました。

輪が 自由勝手旅の醍醐味

第32回 
★不思議と神秘と官能の国印度・そして魅力的なインドの人々
2009/4/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


こちらの集合写真は撮影現場のショットです。
     右側のその人と判断できる長身の方がカプール代表です。














































  


 何度か訪れて忘れ得ないこれらインドの魅惑的な雰囲気は、映画「印度への道」で英国の名監督ディビット・リーンがあます処なく描いている通りです。文明に毒された人達が癒やしを求めて訪れる所もまたインド。ロマン ロランも語っています。インドこそ安住の地だと。そこには人間の“根源的な原点“が存在するからなのです。数度の訪問で至福の時を過ごしたインド。印度の風物と共によみがえる、この地で巡り会った忘れ難い人達。この友人たちを紹介できる幸せを感じないではいられません。
日本の8倍の国土 9倍の人口 ヒンディ語、英語、タミル語、カナウジー語、カッチー語、サンスクリット語etc 16に及ぶ公用語(後:州により不特定)、ヒンディ教、イスラム教、ジャイナ教、仏教などの多宗教・・・ノーベル賞作家タゴールは国歌の作詞者としても有名です。ごく一部はジプシイのルーツの民族で4〜6世紀に中東部ヨーロッパに流民としてさすらいの歴史をつくりました。
 最初の自由旅の立ち上げとしてアジア圏のフィリピン、ヴェトナム、タイ、カンボジャを跳び越えてインドに飛んだのは、夏でなくても象と泳げるというスリランカが候補地でしたが、航空券が入手出来ず印度に変更!このチェンジがインドへの興味を強く招く結果に連結したのです。中でもユニークで個性的な人物との出会いが原点でした。

 第一番に登場願うのはチャンドラ・モハン・カプール氏です。温厚な物腰の紳士で、まるで日本駐在インド大使のようと言っても過言ではないでしょう。“郷に入れば郷に従え”ということわざを使うほどの日本通です。日本人は“忙し”過ぎて自分を見失っているのだそうです。日本字は書けませんが、FAXやカードにはローマ字綴りでGobusata siteimasuga Ogenki Desuka? と添え書きがあって驚かされます。私達に神秘的なインドの不思議さを教えてくれた旅行学教授です。カプール夫人は日本人ですがインド系美人の娘さんは、アメリカ人と結婚しニューヨークに住む国際派一家です。友人に紹介されてオフィスで旅行のアドバイスを受けてからすっかりファンになりました。インドに関しての博識にも驚かされましたが、特別なご縁の有るのも感じました。芥川賞作家の遠藤周作さんの「深い河」の総合コーデイネータも務め、試写会でも同席しました。カプール氏の人脈の多様さはインドで生を受けこの国を愛し続けた結果です。縦糸と横糸を人間の個性で紡いだ織物のようです。映画やドキュメンタリィの映像には絶対に欠かせない要素です。特筆すべきは印度の王族である藩王マハラジャ一族との親密な関係でしょう。信頼の人間模様を意識せずに内に秘めている紳士です。
 砂漠に生きる民の重要な財産CAMEL:らくだ市を探訪したくてプランの立ち上げを相談しました。一週間で壮大なスケジュールがFaxで送られて来ました。内容を確認しながら読み進んで行く内にとんでもない予算になると感じたのです。ダイヤルした電話に出たカプール氏の第一声は「ノープロブレム」心配無用とのこと。NYの同時多発テロ9月11日事件から間もない頃だったので、ディスカウントの条件が有利だったようです。宿泊するホテルはオール宮殿クラス、移動は専用のドライヴァーと、通訳を兼ねるガイド、カマル君付きのSUVです。ハイライトは現役マハラジャとの会見です。「マハラジャに会ってみたいと思いませんか?必ずとは約束出来ませんが可能性は0%では有りません。」との話です。後日“マハラジャに紹介したい日本人は栗原夫妻だけ”とまで持ち上げられました。
 らくだ市を探訪するスケジュールの中にタール砂漠のテント・ホテルに泊まる星空の夜が組まれていました。残念な事にその日の夕方から高熱に見舞われ、砂上のオープンテーブルには座れませんでした。翌朝迎えの幌つきJeepに乗り砂丘を走りだした時、カマル君が「電話です」とモバイルを差し出しました。まだケータイが出現したばかりの頃で手にしたのも初めてです。「クリハラさーん大丈夫デスカ?」なんとTokyoのカプール氏からのコールだったのです。「大丈夫です。熱はワイフの薬で下がりました」「ヨカッタ!ドクターに連絡して有るのでビョーインに急いでください」モバイルも驚かされましたが、カプール氏の誠意を深く感じた朝でした。国道に出た地点で待っていたSUVに乗り換え病院に直行。すぐ診察室に入りドクターに会いました。インド医術は信用出来ます。診察の後ベッドで点滴を受けました。ワイフが一番心配した肺炎は脱出できたのです。旅行社の担当責任者も見舞いに来てくれました。カプール氏の配慮に違い有りません。大勢の看護婦や患者衆の好奇の表情の中午後退院しました。新聞社の取材は有りませんでしたが、ガイドがカメラを構えると忽ち人垣ができて笑顔のプレゼントをうけました。思い出と一緒にです。

 日本では絶対に有り得ないインド式人情鉄道ダイヤを紹介しましょう。カプール氏が「栗原夫妻はツアーでの旅は似合いません。体験に一度乗ってみるのも良いでしょう」との提案でデリーからジャイプルまで急行列車の手配をしてくれました。夜明けの発車でしたが駅は照明も暗く不気味でした。列車は入線していましたが、車輌の入り口に座席の位置が手書きで名前が記されているのに初対面。10分遅れてゆっくりと発車。次の駅に到着するときも3キロ手前からスピードダウン。理由は飛び乗り・飛び降りで怪我人が出るからだそうです。走り出して間もなく朝食が配給されました。暖かいカレーとナンにマサラ・チャイこれはサービスで無料。運賃に含まれているのかも知れませんが、ユックリ急行と暖かい食事に心も和んでジャイプルに着きました。
 市内で民族博物館を見学しましたが、このとき館内を案内してくれた若者は鮮やかに印象に残っています。巻き舌のインド訛りは有りますが、かなりの日本語で説明してくれました。出口で驚きの質問を受けました。「マゴノテの意味は何ですか?」私達の会話の中で正確に記憶していたのです。勉強の内容を聞き何か役に立つ事を打診しますと印⇔日辞書を希望しました。約束して別れました。

 インド民族は、必要に応じてと言えば平凡ですが正に語学の天才です。0・零の発見者もインド人です。IT革命の中、世界に通用する頭脳が進出しています。神秘的です・不思議です・そして官能的な民族です。インドで味わった醍醐味は汲めども尽きることはありません。
 私は入国審査官に何度か女性と間違えられました。貴女のトイレはあちら!ユーモアかと思いましたがさにあらず。解決策は「次の時からヒゲを付けて来なさい!」 「何処から来た?」「宇宙から!」自分も外へ出て空を仰ぎ、戻ってきて「ほんとだ!」 こんなインド人がとても好きです。