輪が 自由勝手旅の醍醐味

第31回 
太平洋の楽園? 江ノ島VS.ハワイの珍比較!★January / 2006
2009/3/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


”North shore (北海岸)”の浜辺です。
 一月なのに常夏の海岸には中国人のサーファーも来ていて、
時代の流れに大きな変化が波のように押し寄せているのを実感しました。
 特に中国育ちの私には神経の揺さぶりが在ったのです。





































  

 世界中で一番行きたかった場所は、世界遺産・ギリシャ・アテネのアクロポリスの丘:パルテノン神殿と答えて来ました。反対に一番行きたくない気分のワースト・一位はハワイと決まっていました。それが行かなくては済まない破目になったのです。結婚式の招待状が舞い込んで来たのが発端です。二人分の航空券と教会での式典参加と3泊のルームチャージ付きです。ご祝儀を用意しても義利を欠く訳にはいくまいと、本当の気持ちはヴェールに包んで出席の通知を投函しました。個人旅行では決して利用しないJALで成田を離陸、時差を逆行して午後のホノルル空港に東から着陸しました。

 工場の連絡通路みたいに殺風景な屋舎を歩き、入国審査を無造作に通り抜けて迎えのバスに乗りました。天候だけは間違いなく夏の陽光でサングラスは必需品でした。ホテルのバスは観光も兼ねていて空港から繁華街を紹介しつつワイキキの浜辺を通過、動物園の周辺を迂回してダイヤモンド・ヘッドを望む丘でホノルル市を見返りUターンして宿舎着。ハワイ・マイヨットHotelはワイキキビーチの東端に位置しロケーションは良いと言えるでしょう。部屋は椰子の並木越しにオーシャンビューで夕陽も楽しめる4Fでした。
 最初のディナーはウエルカムパーティでしたが、これは見事にアメリカナイズされた落第クラスでした。先ずウエルカムの欠けらも無いのは普通なんでしょう。ワゴンサーヴィスで運ばれたコールドビーフは自慢げにゴシゴシと厚く切っただけ!とても二人掛りでもやっつけられる代物でなく、小錦関に払い下げました。大食い大会に参加したのではないので、デザートのフルーツだけで退散しました。
 翌日は、控え室でこれだけはカタログ通りにウエディングドレスに着付けられた花嫁が、子供たちに長い裾を持たせてヴァージンロードを神父の前に進みました。ここがハイライトですから「汝と汝はいま・・・」指輪をはめて軽いキスで無事終了。オルガン演奏と米の雨で、あとは証拠の写真撮影が続いた訳です。
 当方のお付き合いはここ迄で、後は自由勝手旅のペースに戻りました。なにしろウエルカム料理の不味さに懲りたので、ディナーは中華料理と昨夜のうちに決めておいたのです。ワイキキビーチの中央あたりにレストラン街を見かけたからです。その前に動物園に入りました。猛獣はワニくらいで鳥類が多く、中には放し飼いで私達についてきた鶴もいてご愛敬でした。
 Hotelマイヨットの次の角に日本では見たことの無いアイスクリームの店を見つけました。ピチピチのヤンキーガールが註文を訊きますがトッピングの種類を選ぶわけです。特産のマカデミァンをはじめカシュー、アーモンドのナッツ類、葡萄やいちじくのドライフルーツ・・これらをチョイスすると大変な腕力で仇のようにミックス、ジャンボなコーンに盛り付けてフィニッシュ!愛好家のワイフは毎日素通り出来ませんでした。私も同様。
 教えられたバス停から市内循環コースに乗車。このドライヴァーの賑やかなこと!まるでワンマンショウのタレントの如くパフォーマンスの連続。最終コーナーは土産品マーケットの屋根の下。何処でも「土産一切無視」の私達にドライヴァーが喚きました。“買わないなら降りてくれ”後で知りました。ハワイの救急車は有料で基本料金は600$だそうです。その夜の中華料理は中国人経営でも海鮮ものを避けて正解でした。素材の差は如何ともならないからです。たとえ一尾400万円の値がつく黒マグロが釣れたとしてもその日のうちに航空便で築地市場に直行のIT時代の昨今ですから・・。
 残る一日を有効にとホノルル市を含むオアフ島を一周しようとフロントでルート・交通を尋ねますと、完結した道路は無いと意外な返事でした。観光Taxiと交渉する条件で予約をしました。朝食後、迎えのセダンに乗りルートと大体の値段を決めて時計回りにスタートしました。日本語と英語の混合語を話す日系の中老ドライヴァーでした。真珠湾の軍港は“ニイタカヤマノボレ”の暗号無線電信をご記憶の方も少なくなりましたし、日米共にあまり印象の良い場所では有りませんのでゲート前を通っただけで北に走りました。ゴルフ場と荒れた農地が続くので、ドライバーにパイナップル畑が無い訳を問いますと、「ペイしないから」との答え。でも食べる処は有るからと案内されたのは公園のようなスーパーマーケットで、観光客と住民が便利さを共有しているようでした。その場でナイフをふるって輪切りにするパイナップル、西瓜、ポップコーンからサーフィン用具、ゴルフセット、ゲーム機や本屋、床屋、etc 幾つか試食後、車に戻り走り出しました。
 キャンピングカーが目立つようになった頃、海辺の駐車場に割り込みました。“North shore(北海岸)”サーフィンの世界選手権が毎年開催されるメッカです。サーファーにとっては鳥肌の立つ夢の舞台でしょう。浜辺に立って見ましたが、この日の波は優しい表情で、白い波頭は彼方沖でした。この先は別荘地帯で立ち入り禁止が多いとの説明で別のポイントにハンドルを切りました。なんとなく日本の宿場もどきの交差点で、幕の内弁当は有りませんでしたが洋風掻き氷を試しました。ショートカットしてホノルルに戻りながら車中、この島の短いけれども多彩な歴史に思いを馳せました。

 ハワイ諸島の発見者は1778年世界の海を二隻の帆船で探検航海したイギリスのキャプテン・クックとされています。二十世紀になってからもいろんな経歴の人物がこの島の住人となっています。大西洋を無着陸で初横断したC,リンドバーグは終焉の地を此処に選びました。いろんな意味で最高の有名人である大韓民国初代大統領・李承晩は最後のライン引きをして百歳の天寿を終えました。同じようですが夫婦で別々に脱出して悪名を轟かせた、フィリピンのマルコス / イメルダ大統領&夫人も一時期逃亡していました。日本人の例は・・私は殆ど存じません。最近になって微笑ましい事実は、今年黒人として初のアメリカ大統領に選ばれた“チェンジ!バラク・オバマ氏”がホノルル小学校の卒業生だったことです。韮山高校卒のS氏が首相になりませんかね!? 
 もう一つ醍醐味に加えたいエピソードとして、諸島最大でまだ活火山でもあるハワイ島マウナケア山の頂点に設置された日本技術の結晶“すばる光学天体望遠鏡”です。太平洋の楽園のアメリカ地区のトップに光る☆の味です。
 それから昔ながらの心優しい青年の親孝行のお話。日本の関東地区のある所に生まれ育った少年がいました。実直で働き者の両親に育てられ、母を亡くした後も男手一つで立派に成人させてくれた父親にかねてから海外旅行をプレゼントするのが念願でした。就職後望みを果たす機が熟しワイキキのビ−チチェアに座らせますと、周囲の人混みを見渡した親父殿「ナンダ、江ノ島と同じじゃないか!」
 最後に米国が非常に羨ましいのは国宝級の日本美術の数々が、我が母国より数段の差で収集保存を世界に誇っている事実です。慙愧に耐えません。



ホテルのアプローチにはまだクリスマスの飾りつけが残っていました。
このような場所に立つなど今でも不思議な気分です。
ワイフもこんな衣裳で・・・・・これも旅先ならではの思い出になりました。