輪が 自由勝手旅の醍醐味

第30回 
チュニジア古代史に栄華を刻んだカルタゴの現在は?★December/2005


2009/2/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


スファックスのメデイナ(市場)で見かけた靴職人です。
通行人を見ながら仕事を続け、ときには自らモデルの役も務めて何がしかの稼ぎにしています。






































  

 新しい王墓に至るかものエジプト、残しておいたトルコのアジア地区に続いて、イタリア半島・シチリア島の爪先の小国☆チュニジアの遺跡や民族に惹かれて資料集めを開始。北は地中海に面し、南は広大なサハラ砂漠に導かれる地形は、ローマ時代からイタリアやギリシャを先頭に様々な民族が攻め入ってこの国チュニジアにモザイク画のような歴史を創りあげたのです。資料を集めながら、なお一層興味とワクワク感が湧いてきました。交通が不便なのはサハラ砂漠と連結しているので当然の問題です。それだけにヨーロッパの人達は多様なテクニックを駆使してチュニジアの新鮮な感動に接してきたのが理解できます。日本の約半分の国土に一千万人が住み、95%がアラブ人、残りがユダヤ人とヨーロッパ人ですから殆どイスラムの世界です。モロッコ・エジプト・インドにもイスラム系の友人がいますが、やはり強烈な個性の持ち主です。無論日本人と比較すればの話ですが・・・。
 直行便もありませんのでアリタリア航空でミラノ乗り継ぎ、首都チュニスに入りました。 ミラノで一泊しましたので妙なイタリア料理と、ホテルのスタッフの陽気な歓迎?は毎度のことでした。チュニス空港はゲートですが規模はローカル並みで入国審査も空いていました。スーツケースをピックアップ、ロビーに出ますと西郷どんタイプのアラビアンに迎えられました。現地ガイドのMr.ロトフィとの出会いです。駐車場に案内され契約した4輪駆動車(4WD)に荷物を収納して走り出しました。今夜の宿泊地ケロアンまで約200`、車中お互いを紹介しながら、まだ樹木や村落のある2車線の舗装道路を時速70`位で進みます。Mr.ロトフィの説明語は英語と片言の日本語ですが、凡その意味は通じます。チュニジアの第一外語はフランス語なので、これは当方が苦手です。4WDはmade in Japan、ランドクルーザー。砂漠には非常に強いベストな車だが値段が高いと彼は説明しました。
 途中で食堂?に寄って昼食。羊の肉と野菜の煮物、パンはモロッコに次いで焼きあがり・食感も負けませんでした。走り出して間もなく道路に並行して水道橋が続いています。ザグアン水道橋でローマ軍の侵略時代の遺跡で砂漠には絶対必要であった建築でしょう。ケロアンの宿はHotelカスバ。翌日はケロアン街の大きなモスクと砂漠では貴重な水溜り・貯水池を見せられた後ランチ。濃いデミタスコーヒーを飲んでからオアシス都市へ300`、トズールへドライブ。道路も直線、3時間で走破してネーミングもずばりの“パームビーチ”にチェックイン。冷え込んだ一夜が明けて熱いアラビアンスープで温まり4WDで10分、西部劇に出てくるような駅舎に着くと5両編成のクラシックな列車が入線。ガタガタでも名前がユニークで“赤いとかげ号”と嬉しい。機関車は赤く塗られたディーゼル車、汽笛一声で走り出し、トンネルを抜けたところで3分停車の写真タイム。終点で待つ4WDに乗り換えアトラス山脈を越えてミデスに走行。ベルベル人村が点在するころ、周囲は砂漠地帯となり、駱駝も眼につき、下車して歩くと砂漠が創ったデザートローズを見つけたり、民族音楽の演奏にシャッターチャンスも増えます。変化に富んだコースに興味を満たされ、モロッコの旅で知った誇り高いベルベル人と再びテントの中で身近に音楽や飲み物の交歓が出来た事を喜び合いました。彼らに見送られて幻想的なブルーピープルに別れ、4WDでトズールに帰着しました。
 翌日はまさに旅とはトラブルが語源になるのを納得する事実に直面したのです。次の目的地クサールギレンへ荒れた道路を走行中、地図に無い川に行方を閉ざされました。Mr.ロトフィの説明では、昨夕降った雨が虹と共にこの貴重な水を恵んで去ったのだそうです。後続の4WDが強引にトライしましたが立ち往生。渡河を諦めスケジュールも3日分変更となりました。
 スファックスの市場をひやかした後100`北上、エルジェムに入り世界遺産の円形闘技場の観光です。ローマのコロセウムに匹敵する規模にスタンドやグランドに起ち実際に感動しました。此処で4WDを首都チュニスに先行させ、列車での移動になりエルジェム駅のオープンフォームに立ちました。特急なのに45分も延着。でもそれ故に住民との出会いが生じ醍醐味を受け取ったのです。乗車位置でMr.ロトフィと話をしていますと中学生らしい二人の女の子が線路沿いに歩いてきて手を振りながら反対側に消えました。一分後、母親や叔母達とホームに駆け上がって来ました。写真を撮った記念にワイフがボールペンを配り住所を求めたのです。アラビア文字でしたがMr.ロトフィに英訳を頼みました。この醍醐味には後日談が芽生えてeメールのお陰で色々な展開が今も続いています。
 特急の指定席は滅茶苦茶で“何でも有り”。着いたHotelアフリカは5☆で全てが最高のグレードでした。最初の観光ポイントはバルドー美術館。モザイクの展示・収集数では世界一で、その製作品の技術段位は他の追従を許しません。館内を何度も巡りながら作品の魅力に時間の経過を忘れました。夜の食事は旧市街のメディナ近くのレストランで民族音楽の演奏を聞きながらチュニジア料理を味わいました。聖者のようなウード奏者も旅の終焉に思い出を残してくれました。翌日の世界遺産はドウッガ。300bの丘上に建つローマ人造りの神殿、円形劇場も1900年前の建築ですが保存も良好です。バルドー美術館の傑作は此処から出土したと知りました。ランチはこの地に唯一のドウッガHotelのレストランで摂りましたが懐かしい味に会いました。熱いピリ辛スープにアフリカ焼飯クスクスと猪の煮込みです。帰路4WDで走行中初めての雨に会いました。砂漠では珍しい現象でしょう。
 チュニジア最後の夜が明け、ハイライトは勿論世界遺産・カルタゴ遺跡です。チュニスから13`ですから30分で博物館に到着。徒歩で建造物、墓地、浴場、軍港を巡りピュルサの丘に立って、栄華を欲しいままにした頃と同じ潮風を受けて当時を偲びました。
 自由勝手旅・チュニジア編も終局になりました。思わぬ日程変更も体験の一頁になりましたがこの国の存在する位置が大きな意味を持つ条件であることが改めて脳裏を交差します。南のお国はあのリビア、東に大国エジプト、西にアルジェリアとモロッコ、この複雑な組み合わせが古代から営々と微妙なバランスのモザイクの歴史を築いて来たのでしょう。頼り甲斐のある現地ガイドMrロトフィが別れる直前に「また是非チュニジアに来て下さい。我が国は石油を噴き出す井戸が有りません。だからとても安全です!」けだし名言の外交辞令でしょう!エルジェム駅で出会ったイスラムの少女SAMIHAちゃん。聡明さに輝いていました。後日談は次の機会に!


世界一と自他共に認める、チュニジアのモザイクです。
そのグラデーションと精密な製作技術は二千年前から他の追従を許しませんでした。
 (チュニス・バルドー美術館にて)



サハラ砂漠を 駱駝でなく4WDで巧みに案内し、ガイドをしてくれた頼れる面々です。
ワイフの隣の西郷どんがMrロトフィです。他はドライバーと現地の人です。
右下の帽子の影が私です。