輪が 自由勝手旅の醍醐味

第29回 
トルコ再訪:シルクロードも含むアジア地区の遺跡を巡る★ June/2005


2009/1/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


カッパドキアの奇観 無数の穴が掘られています。理由・用途はさまざまでこれも謎でした




































  
 最初は1998年冬、正月をはさんでのショートステイでしたのでイスタンブル一都だけで帰国したのでした。その時から早や8年が過ぎ、貧乏になった代わりに時間の余裕が出来たので念願のアジアサイドの遺跡と世界遺産を巡るプランを立ち上げました。移動は全行程・フェリーを含めますと3500`になりますが、前回利用した現地旅行社と交渉の結果、ガイド付き旧タイプSUV車をチャーター。ホテルから遺跡の観光チケットまで含む契約を交わしました。当時旧トルコリラは猛烈なインフレで$払いのこちらは有利でした。ホテルのグレードも一部4☆も有り満足でした。往復のエア・ラインは別料金ですので、こちらはロシア系の社を選び、燃料のサーチャージ割り増しゼロのウズベキスタン航空に決めました。勿論北周りでタシケント乗り継ぎの初体験となり、面白い場面に何度か遭遇して国が変われば各の如しとノウハウの研修になりました。私達はリッチな階級ではないので日本の航空便は最初から選択外です。オシボリや妙な年越しそばもどきは運賃にはね返っていますから・・・。
 2005年梅雨時六月下旬HY528便成田15:15発タシケント17:15着。ところが乗り継ぎの発時刻・搭乗機の表示が2時間経ってもブランクです。他のツアーの添乗員がカウンタから戻り、呆れ顔で説明しています。「皆さんの手続きを手書きで進めていますので少し時間が必要です」このITの時代にですよ。レーダーの方は大丈夫かなと首を傾げました。オンボロバスで乗り継ぎ機に運ばれ、シートベルトを締めたのは1時間後でした。それでも時差を入れた当日の22:35イスタンブル着。迎えのSUVで名門Hiltonホテルにチェックイン、落差の激しい初日の印象でした。
 明けてイスタンブルは第17回編で書きましたし、今回はアジア側ですのでトロイ遺跡への移動日。朝食後350`南下のドライヴ、ギリシャの手前でフェリーに乗船マルマラ海峡を横断しチャナッカレに入りコリン・ホテルにチェックイン。ランチタイムに海辺の海鮮レストランですずきのムニエル風を食べたり、フェリーでスナックとトルコ・コーヒーを飲みながらとか、車中では現地ガイドの“二つ帽子”君と(Mrニハットだから)いろいろ話を聞きました。契約時に「ガイドの男性は少し説明が多いかもしれないが愛国心が強いので許して下さい」と聞いていました。ニハット君も自覚していたのか途中で「私の説明はどうですか?」と打診がありました。私は感じたままを答えました。「君の日本語はとてもわかり易いし、表現は正しいです。喜んでいます。一つを除いてはね」「何でしょう?」「セトモノは“陶器”がよいでしょう」彼のおかげでこの自由旅は愉快な思い出になりました。
 最初の世界遺産トロイは、例の木馬の奇策の伝説が客受けしているようで遺跡よりも修学旅行生が目に付きました。SUVで200`走行ベルガマに入り、アクロポリス遺跡到着。紀元前1000年、3千年前の建設による1万人収容の半円形の劇場で目も眩むような勾配に足がすくみます。駆け下りるワイフにニハット君が「チョとマテ!」と慌てる。
 そしてイズミールに一泊。エフェソス遺跡のアルテミス神殿の優雅な雰囲気を仰ぐ。アレキサンダー大王の影響でギリシャ風が強いのは当然かもしれません。車をバムッカレに走らせ世界遺産の石灰棚に遊び、流れる温水に天然現象を感じました。走行距離はかなりになるのですが道路状態は良好で、全国を完全舗装にする計画とニハット君の顔が輝きました。その通り現在はイラク・イランへのタンクローリーが列を連ねて戦火の中を走り抜けています。
 アンタルヤ空港に近いICホテルに連泊。アフロディシアス遺跡やアスペンドス遺跡ではユックリと被写体に接しました。続いてコンヤではHiltonホテルにチェックイン。なんだかリゾート気分でメヴラーナ博物館を見学したりアーケードのウインドショッピング。そしてカッパドキアに250`。トルコらしい佳境に包まれました。自然が創造した世界遺産の素材はアナトリア高原の中部に位置するトルコ第三の高山エルジェス火山が一万年前の噴火で堆積した溶岩と火山灰です。雨と風で浸食されて想像を超えた奇岩が連なる異宇宙星の風景。白、ピンク、茶と色を違えた巨大な茸が林立する現実には、自然の圧倒的多彩な光景に形容詞が足りません。まずカイマクル地下都市入り口の洞窟レストランで食事体験。ひんやりとした空気の中で出された素朴な容器の素朴な歴史的味。ついで案内された地下都市は迷路で現在は居住の許可は出ません。
 翌日もギョレメの谷・ウフララ渓谷を歩きましたがニハット君のガイドは適切でした。連泊後SUVは首都アンカラに疾走し、途中サフランボルで食事中での豪雨はカッパドキアの創成を連想しました。アンカラではアナトリア文明博物館や、建国の父“アタチュルク”廟などを見学して一路ヨーロッパへの接点イスタンブルに戻りました。巡航中何度か8年前の個人観光Taxiの“トモロスケジュール”Mrキャノンに電話したのですが遂に連絡不能でした。エジプト・バザールの若店主にも会いたかったのですが結婚してアメリカに移住。証拠の写真はプレゼント。
 運筆中、ここで半年前の日経新聞のコラム“交遊抄”の記事を思い出したのです。ある大手旅行社の社長の交友にニハット君が紹介されていたのです。この社長がトルコに視察旅行をした際の現地ガイドがニハット君だったのです。彼の愛国心に裏打ちされた情熱こもる添乗ぶりに多く感心した社長はその後ニハット君を日本に招き友情を更に深めました。結びの一文に「彼ほど熱心にトルコを外国人に理解させトルコ旅行を愉しんでもらいたいと熱望する人物を私は知らない。将来「旅行省」が出来たら“ツーリスト大臣”に推薦したい。」とありました。
 イスタンブルで彼と別れの握手をした時、「私の故郷は黒海沿岸です。栗原さん夫妻と再会する時は“黒海ニハットコース”を案内しますと力をこめ真顔で伝えてきました。「私が日本語を勉強する機会を与えられて、それが今の職業に結びついた事は非常に幸運でした。“本当に有り難いことです”」この感謝の口癖はニハット君の言語録として以来私達の合言葉になっています。

これなんだか判りますか?アイスクリームなんです!私達も初見参です。
まるで搗きたての餅みたいでそして溶けないのです。
軽業のように渡されるので子供たちは大喜びでした。




イスタンブルのエジプト大バザール土産店を訪ねたときのスナップです。
会いたかった若店主は結婚してアメリカへ移住。今はこの次男・三男が後を次いで居ます。




コンヤ市街をバックに、熱血ガイド ”ニハット君” をはさんでのスナップ。
彼のユニークなポーズは沢山有るのですが もっと偉くなったら 語録とともに紹介しましょう。
 「有りがたいことです!」