輪が 自由勝手旅の醍醐味

第28回 
エジプト再訪//まだ未発掘のピラミッド?/王墓か?★2004/Oct〜Nov/

2008/12/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)



ギザ地区第三のピラミッド・メンカフラ王の玄室への入り口間近のショットです。
此処まで足を伸ばす観光客はほとんどいません。
チケットのチェックをするガードマンは良くご存知で入場した私達を呼びとめ「カメラ」と言いました。撮影禁止で預かると思いきや、慣れた手つきでシャッターを押しカメラを返して寄こしました。
 当然チップは必要経費でしたがこんなショットはとても撮れませんでしょ!



この階段ピラミッドの地下は迷路のようですが
最近新しい謎が解明されつつあります。
未公開なので入場出来ませんがニュースが待たれます。
  




































  
 この年の夏、エジプトから考古学ニュースが発表され私達の興味を惹いたのです。1980年にナイル河に沿ってピラミッドや王家の谷を訪れたのですが、まだ未発見・未発掘の王墓や謎の遺跡の可能性が、発達した探索機や衛星のカメラから証明されて来たのです。

 2004年晩秋の季節にEGYPT航空・MS865便成田からの直行で当日23時カイロ空港に到着。例によって入国審査官の興味の対象の眼に追われながら?迎えのワゴンに乗り、パレス・マリオットHotel&カジノにチェックイン。3Fの中庭に面した部屋に第一泊。朝食はプールサイドを回ってカジノのある別館のフロアでした。ヴァイキング式でしたが料理の多様さ、デザート類もヨーロッパに近い故か品質も秀逸でした。卵料理はオーダー可能で好みの味・メイクで眼の前で調理してくれます。デザートもヨーグルトからケーキ類、フル−ツも豊富!ただ日本人客の要望でしょうが、味噌汁とジャパニーズ・ピクルスには幻滅しましたが・・・。
 南から北方向に流れる世界一の長河(6600`)の左岸に建つこのホテルからカイロ市の中心街へは橋を渡って約2`、カイロ駅や考古学博物館もこの範囲内に入ります。時差解消と方角や目標定めに歩くことにしました。そして驚きのトップは信号の無いことです!20年前には車が少なかった故か気になりませんでしたが、今回は馴れる必要がありました。横断歩道も無いので現地の人の要領を観察して二度ビックリ!もう老若男女:ドライヴァーとの駆け引き、タイミングの合致が絶対条件です。とても2〜3日では習得出来るものでは有りません。ただ見ているだけでは時間が過ぎ去るのみです。見かねたサラリーマン風の男性が二人、私とワイフの前後に付いて誘導してくれました。目的の考古学博物館の前庭池に育つパピルス(紙の語源になった植物)を見ながら古代エジプト人を想像しました。 

 次に市民の日常生活を一番理解できる市場・店舗街の面白さを垣間見て歩きました。帰りはあのサーカスみたいな横断を繰り返してはとても今夜中にホテルに着かないのでTaxiに乗りました。メーターが付いていませんので料金を決めて発車。信号が無いので一方通行が多く、メーターはあまり意味の無いのを納得しました。
 カイロとなればギザの三大ピラミッドが一位です。24年前には最大の“クフ王のピラミッド”でも到着すれば待ち時間もなく石棺の在る玄室まで、階段の蒸し暑さを我慢するだけで入室可能でした。その後観光客の増加により一日300人に制限されプラチナチケットになっていました。私達は顔の効くドライヴァーが全て解決してくれました。これもカジノ付きホテルのマジックでした。
前半の一週間のカイロ周辺のスケヂュールは毎日このオーナードライヴァーのK氏に頼み、ガイドは勿論・通訳・ビデオ等のカメラマン・値段の交渉まで便利にお世話になりました。一般公開されていない遺跡を管理人の住居を通過して案内してくれたり、土産を一切買わない私達にワイフにどうぞと香水の問屋の研究室に連れて行ったり・・・。一日だけ前日予約したのに迎えに来ないのでフロントで尋ねますと「もっと良い仕事が入ったのでしょう」と代車を手配!こちらも負けず気の利く老年の紳士でした。

 9日目、国内便で800`南下アスワンに着陸。ナイル河の右岸で探偵小説家:アガサ・クリスティの定宿前から500b上流の中洲に建つイシスHotelにチェックイン。中州に在るので何処へ行くにも専用船の乗客になります。アスワン5日間滞在中ここでもユニークな現地ガイドに出会いました。Mr.アリは時間に正確な、しかもユーモリストでした。毎朝必ずロビーに先着していて挨拶する人柄でした。一緒に乗船しナイルの神秘さを説明し「もうすぐ大きな魚が貴方を迎えに来る」と予言したので見ると少年がぽっかり浮かび上がり船べりに身を吸いつけて「幸い有れ」。一ヶ月前にシナイ半島のリゾート地で観光客が20人殺されたテロ事件の後だったのでTaxiに自動小銃を持った兵士が添乗し、或る区間は全速で走行した時は緊張して遺跡よりも強く印象に残りました。演習でなく実戦の淵を渡ったのですから!この時の英国系ママさんガイド・Mrs.マリアさんは今もメル友です。
 次の日小型ジェット機で250`南のアブシンベル大神殿を往復。以前にはバスでしたのでこれも混雑の加速です。一夜王墓の天井のような満天の星空を仰いで(やす)み、またジェット機で200`ナイルに沿って北上、ルクソール市に入りました。この街はカイロ周辺に負けない遺跡の集まったエリアです。ナイル東岸(生者の国)にはカルナック神殿、ルクソール神殿と巨大さを競う神殿が並びファラオの壮大さを誇示し続けています。西岸(死者の国)にはメムノン巨像に始まり、ハトシェプト葬祭殿からツタンカーメン王墓の大発見に至る歴代ファラオの王墓群は、世界一の遺跡として万人の認める処です。私達の訪れた時、丁度ツタンカーメンのミイラの本格的な医学検査の最中でした!CTスキャン、DNA体の採取、後頭部下の怪我の謎解明はその後発表され話題は尽きません。

 スケヂュールの17日目再び空路カイロに戻りました。マリオットHotelに再チェックインしますとレセプションのスタッフの態度に大変化が起きていました。迎える満面の笑顔、部屋はエグゼクティヴ・フロアに料金据え置きで代わりウェルカムパーティの招待までオマケ付きでした!理由は直ぐ察しました。8日前アスワンに移動する朝にフロントに苦言をを書いた日本語の手紙を渡して置いたからです。禁煙フロアなのにベランダの植木鉢には吸殻が林立、ルームサーヴィスのだらしなさ、東洋人を蔑視する態度などキッチリ漢字で書いた抗議文です。日本大使館か代理店で翻訳したのでしょう。世界の中の小宇宙グレイト・カイロに戻ってからは快適なホテル環境に満足し、再びMr.KのTaxiをチャーター、市内・郊外を私達の眼で愉しみました。前半で一日すっぽかしの理由はやはり地中海のアレキサンドリア往復観光の「良い仕事」が入ったからでした。お詫びの意味も有って特別コースを選んで巡ってくれました。動物好きの私達を念頭に置いて、農家に立ち寄り仔羊と遊んだり、蜂蜜の採取をさせてくれたり、ピラミッドの裏で発見されたレバノン杉製の船博物館を見学したりしました。市内ではカイロタワーに昇ってナイル河の恵みで発展した小宇宙を最高視点から望みました。「此処の料理は高い建物なので不味いのに値段も高い」と笑わせ、眼下に見えるカイロ大学を指して私の出身校と説明しました。K氏は勿論イスラム教徒なのでムハンマド・アリ・モスクも案内し、スーク市場も裏側見学の機会をもらいました。ナイル河からファラオがピラミッド建設前後に歩いた、いわゆる本当の王道を4000年後に歩いたり、発掘中の遺跡の洞窟で写真を撮ったりしました。パピルス博物館にも案内され実際に古代と同じ製法で紙を漉き、着色・筆描きの行程も見ることが出来ました。

 ドライヴ中、カイロ市の交通の話に及んだ時、現在はカイロにも地下鉄が開通し多くの市民が利用していると発展振りを強調しましたが、面白いエピソードも披露してくれました。メトロ車内では非常に痴漢が多く女性は大変迷惑をしているそうです。世界中で一番痴漢の多い国だと言って肩をすくめるので「では二番目は?」と問いますと「JAPAN」と言って敬意を表しました。今回のエジプト再訪は交通手段の選択が広がり便利になった反面混雑も増加していましたが、エジプト人の国民性の多様な面に接することが出来ました。何と言っても「自由勝手旅」は止められません。

(左) カイロ・ギザ地区の中で最大規模のクフ王のピラミッドの前です。
約2dの石が230万個積み上げられています。
その圧倒的な威圧感は眼前に仰がないと実感できません。
玄室に至る階段で古代エジプト人の頭脳と技術に理解できない感動が湧きます。


      

              (右)ダムで水没するので400m後退させ、
              4体の巨大像を再建したアブシンベル神殿の入り口です。
               ガードマンと並んだワイフが手にしているのは入り口の鍵です。