輪が 自由勝手旅の醍醐味

第27回 
★イギリス再訪/真実と逆の面白さ★May to June/2004

2008/11/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)



このゲートの奥の建物がケンジントン宮殿です。
バッキンガム新宮殿が建築されるまでの王宮です。
悲劇の故ダイアナ皇太子妃が十数年短い生涯を複雑な思いで過ごした館で、
今は優雅なドレスのみが過去を伝えています。





































  

 元日をはさんで暮から新年を、パリからロンドンの近郊をのんびり散歩した事は有りますが、今回はアイルランドを残してぐるりと巡る23日間の自由勝手旅を立ち上げました。ロンドンをゲートに南イングランド・バース・コツウォルド・ウェールズ地方・スコットランド・ニュウカッスルからロンドンへ、時計回りに鉄道を移動手段として組み立てました。
 今回のタイトルは、再訪した国・イギリスの本物とその裏に在る逆の物の面白い対比を各所で眼にしたからです。議会政治の真っ当さと、王室内部の乱脈さ。世界一の航空機や車のエンジン。シェクスピアに代表される文筆作品。歴代首相の完璧な英知と硬軟両面の弁舌・ユーモアなどです。衣類の生地や資質、競走馬や猟犬の優秀さも入れたくなります。料理や食材に就いては末筆に纏めましょう。

 5月21日:翌朝のフライトが8:00と早いので成田のHotelにチェックイン。夜明けに起床し6時にスーツケースのチェックを受け搭乗券を受けとりました。ソウル経由ロンドンに北周り直行。現地時間17時ヒースロー空港着。入国審査で、旅の目的と旅行中に会う友人の名前を聞かれました。テロのチェックを受けた初体験でしたが、ワイフはフリーでした。
 空港から鉄道で市北西部のパディントン駅で下車、黒の伝統あるロンドンTaxiで5分、名前だけは立派なリバリイシティHotelにチェックイン。ここで、イギリスの一般的なホテルにはエレベータの無いことを知りました。スーツケースを引きずり上げ辿り着いた部屋の狭い事!ツインベッドの一台は傾いていました。交換を申し出ると、マットの下にタオルを押し込んだだけ。三流ホテルの見本と諦めました。朝食も見事でした。白一色の殺風景な部屋に餌台があって、食パンとコーヒーサーバーと紅茶、紙のように薄くスライスしたチーズだけ!こんな朝食はどんな安価な宿泊代でも経験なし、3泊だけの仮の宿と覚悟しました。
 一日目は市内の方角を知る為の手段で、オープンの観光バスでルートを確かめました。テムズ河、ビッグベンの議事堂、バッキンガム宮殿、ハイドパークやロンドン塔などを仰ぎ見ました。この首都に来たからには大英博物館を外す訳には行きません。チューブと呼ぶ地下鉄で下車、正面から入館。無料なので応分のコインを地球儀に投げ込み、エジプトの部屋でファラオのミイラに再会。次いでギリシャのパルテノン神殿から持ち出して展示してある女神像の本物を見上げながら、持ち出した理由や方法を推理しました。まだ返却されないのは何故でしょう?
 午後の紅茶は中華街で愉しむことにして街を散策し、赤い飾り門からクラシックなチャイニーズ飯店に入りました。日本語が併記されたメニュウから、北京ダックと包子とジャスミン茶を註文。小学生の頃、旧満州でよく食べた本物の味に満足した頃、店の中でワゴンサーヴィスが始まり、なんとスープ麺を眼の前で作るというのでチャーシュウ麺を註文。これも天好でした。店を出たのが8時過ぎでしたがまだ明るく、この季節ロンドンが白夜であることを知りました。
 翌日から二日間、南イングランドの古城・リーズ城・ドーバー城・ヘスティング城と近郊鉄道で巡りました。ヴァージンという私鉄でしたが、乗降にはチョットした知識が必要でした。停車駅でドアを開けようとしましたがノブが有りません。慌てましたが、後に続く男性が、開いてる窓から外に手を出しレバーを引き上げオープン!ここはイギリスです!
 城そのものは、個性的ですが重厚で暗く寒そうで冬は住みたくないと感じました。それだけに立地は春向きで、広大な敷地は小高く、池があって黒鳥が泳ぎ、緑の芝生は周辺の樹林と見事に調和していました。やはり馬上の騎士が主役だったでしょう。
 5月28日、パデイントン駅から国鉄の準急で1時間20分、世界遺産のある街バースに移動しました。ローマ時代の温泉が残り「風呂」の語源にもなった街です。偶然にもこの街には小学校のクラスメートが住んでいる事が、スケジュールを決定してから判明したのです。出発の二週間前、東京のタウン紙に某女流作家のインタヴュー記事が載りました。このご本人は私と同じく戦後日本に引揚げ、東京の大学に在学中アメリカに留学、そのまま消息が不明になっていたのです。留学先で英国人と結婚、人類学者の彼と行動を共にし、日本に帰ることなく各国を経て彼の故郷に住み、教師や文筆業として過ごしました。娘に乞われて自分の故郷を小説に描き、日本で出版した自分史に就いての記事だったのです。出版社に郵便を依頼してから一週間、私のパソコンにメールが届きました。私のレターヘッドにe-mail-adが入っていたからです。それは彼女の玄関の呼鈴を押す10日前でした。
 バース駅前からTaxiで2`走り、広い芝生を前庭にしたベイグルックHouseにチェックイン。フロントには日本人女性が勤務、正しい標準語に嬉しくなりました。廊下で連結された数奇屋風スタイルのリゾートホテルで、すっかり気に入りました。ソファのある広い部屋と寝室に続いてバスルームはスイートの設備でした。ロンドンと比べると天と地、木賃宿と宮殿の差がありました。ロビィで紅茶を飲みながら教えられた友人宅まで、ワイフと散歩をかねてローカルな並木道を辿りました。木造の西洋館のクラシックな扉の前でベルを押しますと、ドアが開き招かれました。52年ぶりの再会でした。築200年の館のダイニングで話し込みましたが、ブランクが埋まる訳も無く、滞在中毎晩の招待を受けました。ロシアの級友にも電話したりサプライズの連続でした。
 5月末日、バース駅から90分、自然環境の良さで知られるコツウォルドに入りました。チェルトナム駅から1`、BandBのロンズデールHouseにチェックイン。40代の夫婦が経営する4部屋の規模でしたが、小奇麗で優しさのにじむ雰囲気に迎えられました。案内された2階の一室は、花の刺繍で花壇のようなベッドを中心に椅子が置かれ、窓からは隣の家の吊り輪式鳥の餌台が望まれて、私達の興味を引きました。午後からは人もまばらな路を散策、日本には絶対にないオリジナルデザインの文房具店を見つけ、博物館を見るように棚やケースの品々を愉しみながら選びました。
 翌日から、シェクスピア所縁のストラスフォード・エイボンやオクスフォードをバスで周遊しましたが、何処も観光客で溢れ、閉口したのみ。イギリス自由旅中ぴか一のハートフルな家庭料理を出してくれたマリンスン夫妻のBandB が、一番の憩いの場所でした。
 3泊後、列車で4時間、ウエールズ地方のコンウェイに移動。名前の片鱗が残るカッスルHotelに投宿。エレヴェータ、リフト無し。コンウェイ城探検後、翌日列車で約5時間、スコットランド地方エジンバラに移動。駅前でTaxiを拾いホテル名を告げると、「近いから歩くべきです」。スーツケースが有るからと頼み200bをワンメータで両方サンキュー!
 エジンバラ城へはホテルから徒歩30分。市内を一望できる螺旋砦式の城で衛兵の立つ橋を渡って入城、一巡するのに時間は掛かりませんでした。戻る時、ウエストハイランドの古城巡り1日バスツアーを見付けてチケットを求め翌日参加しましたが、各城を味わう時間が不足で消化不良の状態で帰着しました。
 次の移動は列車で90分、ニュウカッスルのHotelクオリティにチェックイン。駅に近く便利ですが態度がいかにも事務的。訪れたホリー城の係員も観光客を眼で追うだけで、城内のレストランも平均点以下のお粗末さでした。
 再びロンドンへ列車で3時間:英国鉄の利用でしたが発車ホームの案内はカウンターの指示ミス:訂正したホームの駅員は英語の能力小学生クラス:これで先進国の国鉄かと疑い、確実な線路のポイント切り替えが可能なのかと不安が先立ちました。客室内の携帯電話の無作法さは、発展途上のステイタス誇示と見うけました。伝統的にこだわりの本物は素晴らしいのですが、逆の面は落胆の印象が強く刻まれ、情報の早すぎる難しさを痛感しました。
 ロンドンに戻り、以前は新年で入場出来なかったロンドン塔とケンジントン宮殿を訪れました。塔といっても砦を増築してきたので外観は城です。それも牢獄であり、処刑場を併設したので血生臭い歴史を秘めています。今は、中世のコスチュームを纏ったガイドが人気を集めていました。 ホテルから近かったケンジントン宮殿へは歩きました。王族の住居も兼ねヴィクトリア女王の寝室も残っていますが、何と言っても悲劇の故ダイアナ皇太子妃もこの宮殿と深い因縁が有った事実でしょう。今は、ダイアナ妃の魅力を世界にアピールした有名デザイナーによるドレスの数々が、亡きシンデレラの面影を忍ばせて列を構成しています。宮殿を後にしてホテルに帰り着くまで重い気持ちは晴れませんでした。

 フランス人の英国評の一例に「あのような不味い料理を平気で食べる民族は信用出来ない」と言うのがありますが、けだし名評と私は納得します。代表的な料理として「Fish and chips」を上げます。京都の代表的会席料理の前名人店主は、「日本料理は芸術品:他国のそれは“餌”です」 同感。


コツウォルドから美しい田園地帯をドライヴして訪れたオクスフォードの香水博物館内のガーデンです。
 花の香りとひと時の静寂に包まれました。



牢獄の重く暗いイメージの中で、思わずホッと和やかな空気に引き戻される
キャラクタの真っ赤な色彩に救われたのです。
 ロンドンタワーでの救いのスポットでした。