輪が 自由勝手旅の醍醐味

第26回 
ボンジュール!巴里近郊とロワールの城・再々訪★October/2003

2008/10/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)



ベルサイユ宮殿の庭園内にあるプチトレアノン
(ルイ14世から贈られたアントワァネットの隠れ家)のゲート前です。





































  

  海外ばかりの自由勝手旅も30回を越えて正月のショートステイを含めると5回目にまた、PARISを選びました。ルーブル、オルセイ、ベルサイユなど再会したい名画・建築物も指を折るのに足りません。同じHotelにパリで18泊(14+4)、ロワールで10泊、機中泊も2泊の旅程を立ち上げました。ホテルのリザーヴは楽でしたね。宿泊費の上限を決めて日程を英語でFaxすれば1時間でwelcome Faxが着信するのですから。選んだAirラインはヨーロッパ行きで二番目に安いアエロフロート露航空。一番安価は韓国アシアナ航空ですが同乗客のマナーの悪さに前回で懲りていたので露系にしたのです。

 モスクア経由パリ着。ドゴール空港よりTaxiで市西部のHotel・G・ベルチェにチェックイン。メトロに近く、商店街や郵便局・銀行も5分以内で利用できる長期滞在に便利な立地です。お陰で数多くの自由勝手旅ならではの体験機会を得ました。集団スリから、ATMねらいやら、ホテルの見えざる内状や、ドクトルの往診・診断書・請求書、その他いろいろのお国柄の千変万化!これぞ醍醐味の万華鏡で私達夫婦の宝物です。十箇所近い美術館、十五を数える古城と宮殿についてはとても個々に述べる紙数を持ちませんので、印象の強かったエピソードと絡めてご紹介して行きましょう。

 翌日は市内地理の把握を目的に観光イエローバスに乗り、目標となるセーヌ河畔のエッフェル塔や凱旋門、シャンゼリゼ、ノートルダム寺院、オペラ座、ルーブル美術館、モンパルナス、北駅など凡その見当をつけました。遅いランチを摂ろうと北駅前の手軽なブラッスリーに入り、値段でメニュウを決めました。ハウスワインとミニステーキのコンビを註文。食べきれない肉をひそかに処分した直後、消えた肉にウエイターが口笛を吹きウインク。帰路のメトロで改札を出て昇りのエスカレータに並んで乗ったとき、途中で青年に追い越されました。不審に思った瞬間、だらんと下げた左手の指の先にライターが見えました。ステップが消える3段目に指からライターが落ち最終の櫛の歯の上でころころと踊っていて、彼は拾うような仕草で出口を塞いでいるではありませんか!後ろから相棒が追い上げ挟み撃ちです。「何をしている!退け!」日本語で怒鳴り突き飛ばしました。握っていたワイフの手を引き歩道に立つと、男は振り返りもせずゆっくりと歩いて立ち去り相棒は消えていました。
 翌日メトロ9の終点からバスでヴェルサイユに行きました。3度目なので宮殿には入らず庭園内のミニトレインに乗りプチトレアノンで下車。宮廷生活の煩わしさを避けて革命直前まで、ごく少数のお付きだけと暮らしたマリ・アントワネットの安息の館です。周囲はのどかな田園風で、王妃になって最初で最後の人間らしい時間だったでしょう。
 次の日からパリ近郊の古城を連日RER鉄道で、ボルガド城・メゾンラフィット城・世界遺産フォンテーヌブロー森と宮殿・ブルトイュ城・サンジェルマン城と美術館・ロシュギュイン城・モンフォルラモリ城と巡りました。
 そしてリヨン駅から40分のヴォ−ル・ヴィコント城は外す訳には行きません。建築主は財務大臣ニコラ・フーケなる人物。素晴らしい芸術センスの持ち主で広大な庭園の中心に堀を巡らし、今までにない豪奢な居城を実現したのです。完成披露宴に、太陽王と呼ばれたルイ14世を招待したのが悲劇の発端となりました。王の嫉妬の怒りに触れたフーケがこの城の主で過ごせたのは僅か一年だけで、国財横領の罪を負い幽閉され16年後獄死の運命でした。ヴェルサイユ宮殿のモデルパレスを残しての終局だったのです。
 そして城の次の楽しみは美術館です。ルーブルでは二つのM、モナリザとミロのヴィーナスとの再会です。早めに入館すれば団体の観光客にも会わずじっくりと対面出来ます。ダヴィンチ(伊国人)が生涯手離さなかったおかげでフランスの所有となった運命の名画。ミロのヴィーナスはそれこそ手が触れんばかりに無防備に展示され、背面や横顔も鑑賞できますし、並んでのツーショットもフリーです。館内でイーゼルを立て絵の具での模写も許可する芸術への理解は羨ましい限りです。
 ルイ14世の居城であったルーブルに対し、オルセイ美術館は鉄道駅であった歴史を残し、それだけに各所に特徴がみられます。2月革命のあった1848年から第一次大戦が勃発した1914年までの近代作品を展示、一線を隔しています。作品群はミレーの「落ち穂拾い」、マネの「草上の昼食」、ルノワールの「ムーランギャレット」などが心を癒してくれます。

 4日間毎日メトロで通いましたが、東京には無い様々なハプニングとパリらしい場面も忘れ難いものでした。
 若い女ばかりの集団スリ、取り囲む異様さに気が付いたのでリーダーを派手に抱きしめ一緒に床に転がりましたら、笑顔でサッとグル−プを纏め開いたドアから消えました。
 駅の通路には音楽大の在校生が毎日コンサートを開き、その演奏・アクションのサーヴィスの良いこと!観客も投げ銭だけでなくビール、コーラの差し入れもありました。
 ギュスターヴ・モローの自宅美術館も訪れましたが展示画はもちろん、300枚に及ぶデッサンの保存には感嘆の極みでした。

 2週間が経過して一旦パリを離れ南へ240`、新幹線TGVで移動。ロワールのターミナル駅トウールに入りHotelホリデイ・インにチェックイン。駅の横徒歩3分の嬉しい立地。 早速駅前の薬局でワイフの処方箋を出し薬を求めましたが、往診してくれた日本人ドクターの事を思い出して笑ってしまいました。内臓の痛みで紹介された医師に電話した所、親切にもHotelまで来てくれました。パソコンを開き氏名・生年月日を入力した時、西暦で年号をと言われ即答出来なかったワイフに代わり私が答えますとパッと顔を上げて「???」なにが不審だったの?。
 7年前の城巡りの時、アンボワーズ城、シュノンソー城、ブロア城を案内してくれたTaxi運転手ムッシュ・ミシェルを駅前で探した処、写真を見た一人が「彼はリタイアして家にいるよ」写真も渡して貰うことにしました。
 翌日からユッセ城、ロシェ城、アゼ−ルリド城、トウール城、シャンポール城と連日古城を訪れました。ダヴィンチは、アンボワーズ城主・フランソワ一世がパトロンとなり優遇したため、終生手離さなかった「モナリザ」とともに隣接するクロ・リュセ館で没しました。それがこの名画がフランス・ルーブルに残った理由です。彼は、絵画だけでなく建築にも天才振りを発揮。ロワール地方最大の城・シャンポールにも、彼ならではのユニークな設計が、螺旋階段やトップルーフの周回路などに残っています。昇る人間と降る人間がお互いに認識せずに通過する設計は、目の前で目視しても理解するのに時間を要しました。 
 トウール市滞在最後の日は、Cafeや珍しいインドレストランでサバランやマトン料理を賞味しました。

 翌日はTGVでパリに戻り再びHotel・G・ベルチェにチェックイン。パリを去るまでの4日間はフリープランでシャンゼリーゼのブテイックを覗いたり、モンマルトル・近くのテルトン広場の無名画家の絵をみたり、ノートルダム寺院のミサを聞くフリをしたあと、フランスパンの名店?と言われる”D”を観察したりしました。
 同じホテルに帰ってきて、朝食のバイキングにかなりの手加減が有る事に気が付きました。フルーツヨーグルトの種類やチーズのランク、ペストリーの格下げ、果物の消失などが目立つ時は、団体客が宿泊している日です。日本では堂々と弁当を調達する客は居ませんからね!知っていても英語を話そうとしないフランス人の国語を大事にする愛国心を強く受けた旅でした。

     

(左)マリー・アントワネットが愛用していた化粧鏡台です。
鏡の女性はカメラのアングルで入れたもので、はめ込みではありません。
セーヌ河の畔に建つ処刑直前の牢内の鏡台とベッドも見ましたが
まさに鬼気せまる妖気のなかにありました。

(右)不運の財務大臣城主二コラ・フーケの建築した、ヴォ−ル・ヴィコント城の庭園側です。
帰り道で求めたクッションは毎日我が家のソファで城の思い出を投げかけてくれます。