輪が 自由勝手旅の醍醐味

第25回 
神話の国ギリシャの本土とエーゲ海の島々巡り/一ヶ月★2002/October

2008/9/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)




亜硫酸ガス汚染でで黄色く病んだパルテノン神殿の正面に立って、
四半世紀の経過に心中は痛み無理に
笑顔をレンズに向けたのでした。




































  
  「貴方の立つ地球上で一番行って見たい場所は何処ですか?」のアンケートの問いに「ギリシャ・アテネのアクロポリスの丘」と答えた記憶があります。初回‘77/7月に訪れたのですが45℃の暑さに「日本人はよく倒れる」と注意され其の素晴らしさに未練を残して帰国していたからです。それで21世紀最初のオリンピック開催を2年後に控え、国中で準備に懸命なギリシャを選び、コースと日程のプラン立ち上げに着手しました。
 ギリシャ大使館に問い合わせ資料の提供を求めました。ある旅行社が資料・プランニングに協力的と教えられました。オフィスを訪れ「本土と島々を一ヶ月巡りたい」と述べますとかなり複雑でハードな旅程になりそうだと解ってきました。日本の三分の一の面積ですが、エーゲ海には数々の神話と歴史を伝える遺跡を残す魅力的な島々が点在します。フェリー船による周遊クルーズを提供する会社が数社競っています。本船自体がホテルを兼ねていますので島ごとにリザーヴしなくても客室と一緒に移動できると思いました。ところが美しい写真で旅情を誘うパンフレットを読みながら検討してみますと、私達の自由勝手旅には適応しない決定的難点があることに気が付きました。最も妥協できないポイントは上陸して帰船するまでの滞留時間です。朝入港し上陸。徒歩またはバスで遺跡まで運ばれ説明を聞いて町に戻り自由時間。土産を買って船に戻る。肝心の遺跡は旅行規約に準じた通過に過ぎない。せいぜい一泊二日なのです。とても醍醐味に触れる余裕はありません。クルーズプランは廃案とし、4島巡りはJet機で結ぶことにしました。リコンファームの面倒さは負いましたがワイフは喜びましたね。私も往復のフライトを別にして国内線を5度も乗り継ぐのは初めての経験です。これで島巡り10泊12日、本土18泊の旅程が確定しました。

 10月1日、英国航空を初めて利用し機中泊でロンドン経由アテネ国際空港に早朝着きました。空港リムジンでアテネCityへ。オリンピックに向けて全区間工事中でしたが終点のゼウス神殿前で下車。アクロポリスの丘に近いHotelアテネゲートは直ぐ前で歩いてチェックイン。中心街シンタグマは徒歩30分のロケーションで申し分ない位置にありました。
 初日は先ずアンケートで答えたアクロポリスの丘へ向かいました。ホテルを出て直ぐ丘が視界に入り、あの忘れもしないパルテノン神殿の白亜の姿がみとめられました。遂に足下を歩いているのです。仰ぎ見て近づいたのですが不安も脳裏をかすめました。ゲートに向かう人の多さと神殿の黄ばんだ汚れ、組まれたパイプの足場!25年のブランクが亜硫酸ガスの汚染を厳然と突きつけたのです。入場の列に並び、チケットを求めゲートを通る際大理石の柱が病んでいる事を認めました。神殿の全景が望まれる位置に二人で起った時、思わず落胆の溜め息と共に顔を見合わせました。正面の破風を見上げただけで思い出の階段に移動。25年前に立った同じステップに同じ衣裳でシャッターを待った時、声が掛りました。「私にも一枚よろしい?」女性のカメラマンでした。神殿の痛ましさに失望しましたが四半世紀の間に起きた人災に恐怖さえ感じました。
 翌日からは其の名もオリンピック航空の客になり抜けるような青空に飛び出し、蒼く染まりそうなエーゲ海に迎えられて最初の@ミコノス島に着陸、リゾートホテルKeiにチェックイン。島の傾斜に沿った帯のような建築で海のブルーと純白に囲まれたオーシャンビューで息を飲みました。徒歩で海岸に出ますと風車が並び、浜にはレストランがのんびり散歩客を待っています。小奇麗な住居にはブーゲンビリアが満開で、切手にもなったペリカン“ペドロ”は昼寝中でした。静かなのは車を入れず代わりにロバが配達を受け持っています。翌日は風車の先の港からAデロス島にクルーズ。文化遺産のアポロンとクレオパトラの住居跡など時間の許す限り遺跡の道を辿りました。次のフライトでBサントリーニ島に着陸。傑作なホテル・ペリカンに2泊し火山が造った美と像を愛でました。エーゲ海で一番夕陽の美しい島と言われるのを、ロバに乗りティラ遺跡から望み納得。降りてフィラタウンを散策ホテルに戻りました。バスタブに湯を溜め入浴したあと栓を抜き部屋でくつろいでいた時、事件が発生したのです。バスルームからひたひたと温水が流れ出しているではありませんか!悲鳴をあげてワイフがフロントに知らせました。駆けつけた女主人は「栓を一度に抜いたでしょう!ダメです!」ギリシャでは常識らしいですけど?
 翌日、火山が造った海中温泉で泳いだ後、夕陽を機中から堪能しながら飛びCロードス島に着陸。エーゲ海四番目に大きいこの島にはアクロポリス遺跡を始め中世の旧市街・騎士の宮殿・考古学博物館・・と興味が尽きないロケーションが連続します。パレスHotelに4泊して新市街や水族館まで観光しましたが毎朝レストランで「Good morning! Madam!」と挨拶されました。軍人か看守みたいなドイツ婦人に比べれば小生の方が女性に近く見えたようです。愉しい誤解を後にDクレタ島・イクラリオンに1時間のフライト。東西300`のエーゲ海最大の島で3700年前のクノックス宮殿遺跡が目的です。発掘された各部分の再現補修が秀逸で、当時のイメージがそれぞれ印象に残りました。魚を綱に通して肩に担ぐ若い漁師、イルカが泳ぐ浴室など海が背景にありました。
 2日滞在後、本土のアテネに帰着。午後エーゲ海への港・ピレウスportへ散策し定宿アテネゲートに再チェックイン。
 翌朝アテネ駅よりギリシャ国鉄インターシティ特急で500`北上、ブルガリアに近いテッサロニキに到着。車内の印象は、なんでもOKの良さ?席は指定でも空席はフリー。ビュッフェは居酒屋かファミレス。英語を話さない国民ですが此方には興味津々。駅前のホテルから徒歩で海岸に出てロトンダ廟遺跡、アレキサンダー大王関係の考古学博物館、そして愉快な連中に囲まれた魚市場見学。翌日も市内を歩きましたが英語には拒否反応ばかり。此方もΣ・α・θ・γ・位しか判読できないのでバスの行先がやっと!それでも次の目的地メテオラ行きに乗れました。発車してから3時間あまり運転手の横に陣取り絶え間なくしゃべり通したおっチャンには驚きましたが、これもソクラテスを産んだお国柄。メテオラとは「宙・天空」を意味し、下界と一線を画しより天界に近く祈りを結ぶ修行の場として建てられた修道院で、今は5院が世界遺産として訪問が可能です。私達は全部をガイド同行で訪れましたが、行き難い院ほど丁重に扱われました。本来は昇る階段はなく降ろされる網かごに載って引き上げられるのですが、途中から特別の階段で救われました。
 翌日迎えに来たTaxiは予約した車でなく別人のドライヴァーでした。「デルフィ遺跡と周辺を見たい」と言いますと「了解。博物館も・それから美味しい料理も案内するよ」と親指を立てました。英語を話すので一安心。デルフィは世界の中心:大地のへそと呼んで有名ですが、アポロン神託が告げられた聖地としてP谷に面した野外劇場の様相で観光客も少なく充分雰囲気を愉しみました。博物館も充実した内容で出土品の展示も流石ギリシャならではの感に浸りました。車は街並みに戻り展望の良いレストラン前で下車、後刻迎えに来ました。料理の内容は景色でカヴァーされました。結局ドライヴァのキャラクタに惹かれてアテネまでの150`を、彼のおごりのティータイムを含めて2時間半のベンツレースになりました。
 首都アテネから西へ190`、運河を渡ってからコリントスに始まってミケーネ・エビダヴォロス・オリンピア・スパルタ・ミストラ等など多くの遺跡を有するペロポネソス半島はギリシャ古代文明の故郷にして、ギリシャの偉大なる田舎と称され私も同感です。時間を守れない交通機関が、逆に其の個性を保護しているように思えます。

 2年後にオリンピックを迎えるアテネを再訪し、その準備のため休館中だった考古学博物館の前で出会ったギリシャ人の笑顔が浮かびます。「改装中で一年クローズだヨ TOKYOから?そりゃ気の毒だ。でもオリンピックに、またオイデよ!」

ペロポネソス半島のミケーネの遺跡です。
   紀元前2世紀ごろ栄えたアガメムノン国が祖で、この近くに
「アトレウスの宝庫」と呼ばれている珍しい円形ドームの墓地があり、
古代人の石材建築の技術には神がかりが感じられました

     
パルテノン神殿に使われた石柱の中心部分の一個。
25年前この石の前で新婚旅行と間違えられてイタリー人の婦人と一緒に撮りました。
衣裳もそのときと同じでこの日のために日本から持参したのです。