輪が 自由勝手旅の醍醐味

第24回 
ラジャスタン州(続)南巡コース1500`/マハラジャに会見★  2002/January

2008/8/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)


これは映画撮影のセットでは有りません。 
現実のマハラジャの宮殿内のプライヴェートルームの一郭です。
      この機会のために日本から持参した献上品を、直接手渡した時の一枚です。



































  
 
 西インド・ラジャスタン州のタール砂漠を走行中のクルーザー
SUVに東京からTel callが有り、驚かされたまま南に走り続けました。
目的地は藩王マハラジャの宮殿が存在するジョドプール市です。
途中白い大理石の採石場を数多く見ました。世界一の廟タジマハルの建立にも勿論使用されました。

 ジョドプルの
Hotelは現マハラジャの経営するパレス・ウメイドバワンです。運良く日程が合致すれば拝謁の機会が生じるかもしれないとMrカプール氏が十分の一位の確率を予言していたのです。どのようなコンタクトが王族との間に往復したのか伺い知れませんが市街に入り昼食を済ませ、丘の上の宮殿とホテルを兼ねる豪壮な建物に着きました。実は宿泊するのは二度目で前回は食事に寄り、レセプションで偶然空室を見つけリザーヴしたホテルから移ったのです。今回はチェックインした時から丁重に扱われました。マハラジャのゲストになるかもしれない私達で有る事が内示されていたのでしょう。

 案内された部屋は三階でしたが寝室が別室の
VIPルームでした。前号第23回で記述しましたが、まさに藩王から大会社の社長に変身せざるを得なかったのは、財を守り州民の生活を保証するには産業経済を重点に州を運営しなければなりません。先ず観光に配慮し世界中からインドを訪れるリッチな人達に伝統美満点のHotelを提供、外貨を産み出す環境に着手してその真半分を改造しメディアに流したのです。
 この宮殿は元来イギリス人の設計に依るもので国内各所に産出する赤砂岩を建築主材とし、見事な建造物として有名でした。現在のマハラジャは4代目の当主ですが
,嫁いできた王女がその広大さと贅沢さに驚いたそうです。500室を超える部屋が有り、プールは地下に設置されて年中遊泳可能です。数えきれない貯蔵庫が並び、世界中の珍味・ワイン・洋酒・食材が眠り、まるで食品工場が倉庫ぐるみ存在していると思ったそうです。なかには固形チーズがブルーチーズになりかけていたとか・・・。
 この宮殿が新築される前の王宮は
10`西の標高200b近い岩山上に築かれた砦城でメフランガルと呼ばれています。大きなS型カーブの行き着く城門は見上げるアーチになって内部もカーヴが続いていました。この形状は戦車ならぬ武装した鞍をつけた象が通行できる目的の為でした。城壁の内側には数層の木造建築の古城が遺跡のように保存され博物館となっています。王族の居室、会議室、外国の遣使との謁見の間などが資料と共に展示されていました。実にインドらしかった部屋は王子達の遊戯場で、全部象牙細工で作られた模型の列車でした。機関車・客車そして鉄橋・線路までが象牙製でした。多分英国に註文したものでしょう。兵舎や井戸、武器庫などのある庭に出て天守を見上げた時、羽音を立てて大鷲が止まった様は風格がありました。
 この新旧の王宮が対峙する間にはブルーシテイと称される繁華な街並みが続き訪れた人々の印象に永く留まります。象の路をゆっくり下り待ってもらった
SUVでウメイド・バワンに戻りますと明午前に侍従長との面会予告のメッセージが届いていました。

 翌朝指定されたメインロビーに行きますとソファに年配の女官がいて
MrsBai ji女史と紹介されました。宮内高官の娘として父君の秘書を務めていた女史は、長じて侍従の立場として王家の子女の教育の職に就いて現マハラジャで二代の王子に仕えて来たそうです。かなりの高齢ですが5代目マハラジャの結婚まで見届けないと引退はしないと眼を輝かせました。
 夕刻、コールがあり控え室に行きますと東館の廊下に導かれ、目立たない扉から狭い通路に入りました。一匹のヨークシャテリアが現われ奥に誘導、犬が咆えなかったので第一関門を通過、マハラジャのプライベートルームに入ったのです。驚いた事にスイングジャズを聴きながらブランデーグラスを持って立ち上がり私達に話しかけました。私の緑のスーツを見て「ビューティフル!君はデザイナーかね?」ワイフには「インドにようこそ」とグラスを上げました。この機会のために持参した世界無比の品(貝合わせ)を献上しました。後刻ご覧になったマハラジャはインド伝統の細密画に共通する美術品と賛辞を伝えてくれました。面会前に「時間は
20分以内、質問は一つだけ」と制限があったのですが興にのられたらしく、ジャズは英国留学中から好み、美術にも造詣の深みをお持ちでした。時間延長の上食事にも誘われましたが、これ以上はと辞退して退出しました。低い確率が針の目を通り得難い体験の一夜でした。その後マハラジャの写真入りカレンダーに金文字でGai Singhji Uと自筆のサインを記して届けられました。

 一両日後なおも南下ソダワスという集落を目指して
SUVは走ります。ガイドも初めてのコースでMrカプールが開発したばかりでヴェールの向うは何色か全く不明です。羊の群れを避けながら3時間、村はずれで道を尋ねました。集まった子供たちが車を追って走って来ます。停車した家の両側に100人程の人垣が出来ました。家の中から一族がカラフルな布・花のレイを手に手に持ち私達を取り囲み一斉に飾りだしました。アレよと言う間にターバンの二階建て、持ちきれない花束と花吹雪!まるで結婚式のような歓迎です。この村に来た最初の日本人だったのです。この民宿は長老の屋敷で中庭も広く、滞在中実に家族的な暖かい待遇を受けました。羊を一頭神に捧げ、聖なる肉で長老みずから調理したマトンカリーは過去5回のインド旅行中最高の味でした。
 翌日は村の男性の半分が集まりなにやら不思議な儀式の中心に座り、呪文とともに酒を奨められましたがガイドが救ってくれました。清めの式が終わった後は自由旅ならではの体験の連続でした。貴金属の彫刻、素焼きの土器類、仕立て屋、床屋、菓子屋など。流通するのは現金よりも物々交換や労働で賄うのが現実で二世紀くらいのタイムスリップを感じました。驚くべき短時間で仕立てて貰ったソダワスのサリーを着て長老の家族と別れてウダイプル
へ走って湖の街に入り散歩しました。写真を撮らせて欲しいと言われカメラに収まりました。翌朝ホテルのレセプションで「貴方達の写真が新聞に載ってますよ」と2部渡されました。駱駝フェスティバルに続いて二度目です。モーターボートで湖上に優雅な姿を見せるホテルを撮影し次の目的地、自然動物保護区に向かいましたが、此方の主役・インドタイガーは神出鬼没、マハラジャよりアポが取り難いとコースを変更して北上しました。
 

 このような素晴らしいオリジナルな自由旅をアレンジしてくれて、特に不可能に近いマハラジャとの会見を実現してくれたMr、カプール氏に感謝の意を伝えますと「マハラジャに紹介したい尊敬する日本人夫妻は貴方達だけだったのですよ」と例の優しい目の笑顔で応えてくれました。ダニャワード

湖の美しい街ウダイプルの遺跡博物館の屋上からの街並みです。
このあと市内を散策中、カメラマンに
取材を受けこのオリジナル扮装で
翌朝刊に載りました。
ラジャスタンで二度目のノーギャラモデルです。


ソダワスの不思議な雰囲気に暖かく迎えられ、
めちゃくちゃ飾られたあと何処でゆっくりしたいかと言われて、
キッチンを希望。
すべて手作りのデザートでもてなされ貴重な思い出になりました。
手にするのはインドの香料
の入ったマサラティーです。