輪が 自由勝手旅の醍醐味

第23回 
ラジャスタン州・北巡コース1500`走覇の青空・夜空★  2002/January

2008/7/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)




最初の被写体になってくれたカラフルな働き者と母親に押し出された姉妹と 
目立ちたがりの子牛が一頭

神様のお使いで本物の醍醐味の提供もお役目だから  アタシも!














































      








 今回の5度目のINDIA自由勝手旅は、今までの旅で知り合った印度の友人達の暖かい心からのサポートで実現しました。生涯最高の自由旅のプレゼントでした。01/September/11の直後の世界情勢と無関係で居られる訳がない時期に、インドに関する豊富な知識と経験に依ったコーディネイターMr. C・Mカプール氏が、動物や現地住民との交流・出会いを好む私達夫婦の興味を織りこんだ壮大なコースをアレンジしてくれたのです。贅沢なのは私達2人に、ガイド兼通訳と、ラジャスタン州の地理に詳しいジョドプル出身のドライヴァーに、TOYOTA:SUVがクルーなのです!オール遺跡指定の砦Hotelや宮殿を次々に結んで、約3000`余りの行程を反時計回りに自由勝手流する31日のスケジュールとなりました。

 日本と同じくらいの面積のラジャスタン州は5千万人の人口がいます。北西地域はパキスタンと国境を接し、タール砂漠が続いている軍事の重要地帯です。千年前イスラム勢力と勇敢に戦ったラージプート族の本拠地で誇りと独立の精神が強い故に、中央インドで優勢を誇示しはじめたムガル帝国に制圧されました。その後植民地化の目的で進出したイギリスと同盟を結び独立しましたが、マハラジャの驕りにつながる流れとなる結果を招きました。そして革新のインデラ・ガンジー派に、その地位と俸給制度が民主化されて、財産権の差し止め状態も余儀なくなったのです。藩王から大会社の社長になったようなもので経済通で商才も必要になってきました。

 近代に向け数世紀の間、民族・藩主の間や外国からの圧力などを交えての激しい戦火・謀略のせめぎ合いを潜って生きて来た歴史の子孫、当時を物語る建造物を訪ねる自由旅の出発点に向けて成田を離陸。サリー姿のスチュアデスに迎えられてシートに着き二度の機内食を受けてデリー空港に着陸。カプール氏の弟、デリー支社長に迎えられてHotelにチェックインしましたが、これが5ッ星のタージ・パレス、普段とても高価でリザーヴ出来ない名門です。翌朝はブレックファーストだけで迎えのランドクルーザーに乗り込みました。忙しすぎてガイドやドライヴァの紹介も車中でしたが、3千`のスタートが切られたのです。これから25日間、泊まるホテルは別ですが終日一緒のクルーです。

 初日は300`西のマンダワへの移動です。デリー郊外の国道に出て「チョットstop」が多くなります。羊の群れや市場や学校、此方も珍しいが向うさんも興味津々、早速興味の一つに出会いました。オート三輪です。其れも貨物車のエンジンです。ボンネットを開けて停車しているのを発見したので前に停車。私だけ降りて覗き込みますと直ぐ数人が寄ってきました。エンジンは水冷の短気筒ディーゼルでした。皆の顔はまだ不審げで見ています。通訳のカマル君が来て「何?」エンジンが見たかった と答えると彼らは、物好きな外人 と笑顔になりました。ドライヴァのハビル君がSUVを指さすので見ると、あちらにも人垣が出来ています。戻るとワイフが車中でカメラを構え「降りて来てと言うの」母親と娘姉妹、頭に荷物を載せたサリーの女性数人と子牛が一頭。こちらはワイフに興味を持ったようです。最初の被写体との出会いでした。隣に緑の葉のついた根菜を売る荷車がいます。小大根のようなので食べる仕草をしますと「アッチャ」といって齧って示しました。インド人が生野菜を食べるのを初めて見ました。私も試食して「アッチャ!」少し走って雑貨屋らしき店を見つけ「チョットstop」ジュースから飴類、食器等ナンデモ屋のようです。ラジャスタン州のMapの有無を尋ねますとヒゲの老爺が「若い旅の人、インドは広い広い大国でとてもあんな紙の中に入りきれるものではない。近くに行ったら親切な人に教えて貰いなさい。」以前の旅でも「知らない」と言う人はなく教えて呉れました。殆ど本人も知らないようでしたが…。

 遺跡の古城、宮殿、砦などのHotelをタイムスリップしたような気分で連泊しながら西へ走り、駱駝も目にするようになってCAMEL祭りの本拠地ビカネールに到着。北方向はタール砂漠で戦車も散見され、きな臭くなってきました。チェックインした宮殿Hotelはスイートに案内されましたが、広すぎて浴室からベッドに入るまでに風邪をひきそうでした。星空の中庭で人形劇をみながら宮廷料理を楽しみ、王様の気分で夢を結びました。駱駝祭の渦の中に入りましたが、数多くの催し会場で珍しい体験の連続でした。化粧Camelの品評会、直線コースの砂塵レース、御者達のヒゲコンテストもありました。濃厚ならくだの乳も飲みました。ワイフは何処もVIP扱い、駱駝に二人で乗る時など集まってきた女学生達に「ヴェールを上げて!顔を見せて!」翌日の新聞にもカラー写真が載りました。

 パキスタン国境まで40`のジャィサルメールでは、遺跡砦のHotelで歴史的環境はたっぷりでしたが、「バスの湯がぬるい」と言いましたら昔と同じく奴隷が熱湯を運んで来たのに驚きました。

 愈々砂漠の実体験エリアのオシアンに入り、国道の?地点でSUVを降りるよう指示され車は去りました。近くの藪から駱駝が三頭姿を現し御者が騎乗を促します。昼食をはさんで宿営地まで8`の行程だそうです。初めてでは有りませんが不安でした。10分も揺られていると尻が痛くなり始めました。
 中間点でランチが用意されていましたが、驚いた事にjeepが厨房器具を設置し調理中だったのです。食後、痛い尻部を浮かしながら砂丘を登り降りしていると、右手に白いテントが現われました。ガイドが頷いています。登りつめると緩やかな斜面に兵舎のような大きなテントが設営されていました。
 内部にはスーツケースも運ばれベッドも二台、温シャワーも水洗トイレも完備されています。11人のスタッフもいました。ディナーは、一切の調理器具を完備したワゴン車がカレーやチキン料理を造り、ナンを焼いてキャンプファイヤーの横のテーブルに運ばれサービスされました。それに加えて手風琴、ボンゴの楽器を奏でる民族音楽の実演つきです。たった私達二人の為にです。もっとも気が付いて見回してみると周辺の砂丘の淵に点々と等間隔に座っている三角形の人影が見えました。
夜になると砂漠は冷え込みます。だからこの観客はちゃんと毛布をまとって無言で座っているのです。視力も聴力も動物並みですから最初は異星人のような私達を好奇な眼で鑑賞し、演奏が始まってからは伴奏付きで星空の下のショウをじっくりと無料で愉しんだことでしょう。私達もHotel側の苦労が、100人を越す特別ゲストを迎えていくらか緩和されたような気分に救われました。
翌日にはこのゲスト達が、友人・家族にも自慢げに語り伝えられたことを想像すると、自由勝手旅の醍醐味がよみがえります。今回はわずかにCamel味も混じっていましたけど・・・・。

 Jeepで国道の?地点まで送られSUVに乗り換えタール砂漠の西サイドを南下し始めたとき、ガイドから携帯を渡されました。
「クリハラさーん!ナマステー!おくさんもお元気ですかー?砂漠のテントHotelはOKでしたかー? つぎはマハラジャのいるジョドプルですよー」Mrカプールからでした。
砂漠を走っているクルーザーに東京から電話が架かるなんて想定外でしたから。




こののっぽの駱駝に乗る時は大変でした。
周辺でチャンスを待っていた女学生がわっと円陣をつくりヴェール
を引っ張り、
サングラスに手を架け顔を見たがったのです。
大人の男性が制止しなかったら事件になるところ
でした。 


ワゴン車が丸ごと厨房になっていてマトンカリーから
 チキン料理・ダ−ルスープ・焼きたてナン・デザートいろいろ
スタッフ11人が私達夫妻と特別ゲスト100人にサービス
 ほんとにご苦労さま。