輪が 自由勝手旅の醍醐味

番外 
★奇縁 ポルトガルとロシアの不思議な人生模様★ October/2001
2009/11/10号掲載  栗原 一 (高2回卒)





poltogal  最初のガールフレンド ワイフの提案とカメラ・ワークです




































  


 日本人とベルギー系多国混血夫人のカップルが経営するポルトガルの教会改造農場に興味を惹かれ、5日間のホームステイを東京から電話で予約。首都リスボンから140`ほど北にあるQuintaセント・マタイ農場の奇妙な作風の門に、アマリア・ロドリゲスのファドを聴きながら到着しました。まるで墓地のような雰囲気です。閉ざされた扉を運転手が叩きますと、オーナーの是月さんがゆっくりと現われて、一番南端の部屋に案内されました。白一色の部屋ですが湯が出ません。母屋の2階でシャワーとのことで、階段を上がったダイニングで国際人ニーナ夫人を紹介されました。18歳の画家志望の娘アーヤさんは、リスボン芸大に合格し来週からアパート暮らしとのことでした。少し遅いランチはスパゲティ・tomatoソース。ここは夫妻で無農薬の自然食主義とのことでした。だから夜食のメニューは炊きたてですが玄米食、副食はトマト・茄子・豆腐旨煮?なんとかのどを通して、正体不明のお茶に辿り着きました。
 Qintaセント・マタイ農場の第一泊目は、10月初旬というのに蚊の集中攻撃に見舞われて散々でした。とても寝ていられませんので母屋に助けを求めました。ご返事は、蚊取り線香はあるが貴重品なので分配はできない、自然になさいでお終い。此方の対策はタオルを濡らし飛び交う敵に叩きつけ、ひるんだらガーゼを被って寝たふりをして一夜を過ごしました。
 朝食は9時にダイニングでした。ライ麦の自家製パンと少し不純物のある蜂蜜、国籍不明のピーナッツバター・ブラックカラントジャム そしてコーヒーでした。終わってユニークな動物たちの紹介。みどり色の眼の黒猫グリングリン。ゴールデンレトリバーの♂犬ユーキ:勇気?大型犬だがシャイ、とても恥かしがり!鶏15羽、兎2羽、七面鳥3羽、山羊雄1、乳をとる雌6頭、草は自然。
 農場の中をニーナ夫人の案内で歩きましたがかなりの面積です。25エーカーと聞いてもピンと来ません。500x500平方メートルだそうですが、やや菱型なので長径は700メートル位だそうです。直径10メートル近い石組みの鳩の巣も初めて見ました。2000羽のアパートだそうですが1650年ごろの建築で貴族の趣味でも有ったのです。強国スペインに脅かされて、なるべく目立たないように隠れ家も墓地の雰囲気に似せたそうです。主な作物は葡萄で、緩やかな南向きの斜面が栽培に向いていたので購入を決断したと聞きました。ご主人とは大阪万博で知り合ったようで「夢の延長線が似ていたからでしょう」と微笑みました。母屋へ戻りながら、「ワインは一万リットルくらい採れるがまだ採算が合わない」とのことでした。家屋は余裕が有るので自然食レストランにと、こちらが本音のようです。自生の大根を採取しながら帰宅しました。
 ランチは散らし鮨もどき、玄米では評価も無理というもの。午後は庭のあちこち探検・旧い家具・樽・石臼・古木の根など動かすのにも大変でしょう。日が暮れて夕食時間:出ました!恐れていた魚がメインディッシュ。スズキ?らしいが思った通り生臭く、白身ですが不味い事、言をもちません。これを良しとしている方には本来の旨さを説明しても無駄です。一切れを皿に移して部屋に退散しました。昨夜はワイフのアイデアで白い壁に血の十字架を並べて防ぎ、この夜はレースのショールで蚊帳を作り安眠しました。
 朝7時、庭で勇気が呼んでいるので行きますと、やっと手からビスケットを食べました。朝食後ブノフの村へ散歩に行きますと、「ボァタルデ」と皆気軽に挨拶をしてくれます。日曜なのにカフェが開店していたのでカウンタに座り、カプチーノに葡萄一房を註文。「Quintaにいるのかい?」太った親父さんがワインをサーヴィス。猫を抱いたおばさんにカメラを向けただけで大小の青いりんごを1ダース押し付けて「帰って食べなさい」とパントマイム。のどかな村でしたね。心の和む醍醐味を反芻しながら農場にもどりました。
 昼食後、芸大に合格した画家を目指す彩さんはリスボンに出発しました。夜になって硝煙臭いニュースが入って来たのです。詳しいことは不明でしたがアメリカがアフガンのタリバン引渡しなどが火種だったようです。これは国同士のニュースですが、私の方はロシア中部のウラル地方に住む小学校時代の同級生に電話連絡する平和的フレンドシップの醍醐味です。彼はユーラ・シチューキンという白系ロシア人です。(輪が自由勝手旅の醍醐味・第14回旧友ユーラをウラルに訪ねて:参照)旧友ユーラに電話するきっかけは、ニーナ夫人がロシア語も話すことが出来ると言うマルチなことを知ったからなのです。時差を確かめて在宅を祈りながらニーナ夫人がダイヤルを回しました。短い会話の後、ユーラ君とお互いを紹介しあって私に受話器が回ってきました。
「もしもしユーラ君」
「あークリハラ君!君のやることは何時も驚かされるけど今夜もそうですヨ。どうしてポルトガル婦人から電話が繋がるのですか?」
「僕と映子が旅行中だから」
「素晴らしい!エイコさんに代わって!」
『看護学校に入学して恋人も出来て心配で仕方のなかった孫娘のカーチャの結婚後の様子は?』
「心配の終点は神だけがご存知です」
 ☆忘れられない思い出になりました。
 Quinta農場最後の日は雨でしたので、タクシーを呼んでもらいヴェリーデ駅へ。ところがコインブラ行きの列車は勝手に運休。これがポルトガルなのです。でもヨーロッパはタクシーの利用が容易で、待つこと10分で帰り空車に乗りました。40分でコインブラの川のほとりに中華レストランを見つけて食欲優先を決めました。ニーナ夫人には悪いのですが、数日間の自然食はご辞退の極に来ていたのです。いえ、動物達の愛らしい歓待とオーナー是さんのユーモア溢れるネーミングの楽しさは充分もらいましたけど・・・。中国人の経営する店はコインブラを訪れる観光客に恥じない本物のメニュウでした。メインデイッシュの北京ダックをはじめ海鮮料理も中国人の世界的組織の実力でしょう。川を渡り1290年創立で国立としてはヨーロッパ最古の歴史を誇るコインブラ大学に至る右回りの坂を歩む途中、CTT郵便局で切手を求めました。イタリアと違ってシートで売ってくれました。当たり前ですけど面白い国民性ですね。そぼ降る雨も歴史のヴェールのようでした。
 最後に100段の階段を昇り広い石畳に出ました。黒いマントの学生達がグループごとに幾つか集団を作っています。この日のセレモニーを訊いて見ますと入学式とのことでした。学部としては「医学・法学・文学・理工・経済・心理・体育・薬学」があると知りました。国が違えばシーズンの相違も不思議では無いものと納得したのです。名門中の名門校に選ばれて今日の晴れ舞台に集まった彼ら、彼女達ですから私の片言の英語の質問にも魅力的な表情、仕草で応答してくれました。 オブリガード