オトナの食育
所感編 第56回(通巻90回)2013/10/10号掲載 千葉悦子(高28)
分けて考えるべきものは分けて、
予防原則ばかりでなく、ALARAの考え方も大事に
―第3回FOOCOMセミナー、斗ケ沢秀俊氏「科学報道の問題点。
どのように変えて行けるのか?」を拝聴して―
このように書きますと当たり前過ぎますが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということは、実生活では多々ありそうです。斗ケ沢氏自身は脱原発派ではあるそうですが、「原発に対する姿勢と放射線影響の評価は、分けて考えなければいけない。」とお話なさり、私も共感しました。そうでないと、科学的・合理的に考えることが広まらず、たとえば、脱原発派も含めて東北応援をすることができないし、その他の地域や今後の風評被害もなくならず、結局は日本全体・日本の消費者にとって不利益となります。なお、斗ケ沢氏のこの主張は、小島正美著「誤解だらけの放射能ニュース」座談会3の斗ケ沢氏の部分にもあります。 予防原則ばかりでなく、ALARAの考え方も大事に 9月12日放送のNHKクローズアップ現代、「謎のミツバチ大量死、EU農薬規制の波紋」を視聴した時、ネオニコチノイド系農薬が「予防原則」の考え方をもとにEUで規制され、2年後には再度検討するということでした。私も「予防原則」が大事な場合があるとは思いますが、いかなる場合も「予防原則」を基準にするというのは問題と考えます。 また、科学技術は進展していくので、新事実が分かれば柔軟に変えて行くべきで、年月を区切って検討するのは、賢いやり方と受け取れます。 さらに、斗ケ沢氏の「マスメディア報道の総括、放射線影響を的確に伝えられなかった原因はどこにあるのか」というお話の中に<「予防原則」は正しいか?>もありました。「低線量被ばく(あるいは内部被ばく)=分からない=予防原則に従って、できるだけ低く抑える」というのが社説の定番だが、ALARAの立場が適切ということで、私も共感しました。 ALARAとは、as low
as reasonably achievableの頭文字で、「合理的に達成可能な限り低く抑える」という意味です。 検査技術が向上した現在、昔なら「検出限界以下」ということで、リスクがゼロのような安心感を持てたような食品にも、ごくごく微量の危険な物質が入っていると分かるようになりました。そうなると、「ゼロではないけれど、十分安全性が高い。したがって食べて問題ない。」と考えないことには、何一つ食べられなくなります。他にもっと大きなリスクがあるのにもかかわらず、非常に小さくて問題にならないリスクばかりに気を取られていると、結果として風評被害が生じたり、リスクのトレードオフとなり個人の健康を守れなかったりします。 この他、大事なお話がいろいろありました。「質の悪い記者が、質の悪い記事を書くのは止めようがない。」ということで、読み手もこれをわきまえておきたいものです。また、新聞はニュース性がないものは書きにくいので、SNSなどを用いて本当に重要なことを長期的に書くことは大事ということでした。そういう意味で、この「オトナの食育」もそれなりに役立つのではないか?と考え、書き続けたいと改めて思いました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■主な参考文献等 |