オトナの食育 所感編 第39回(通巻77回)2012/3/10号掲載 千葉悦子(高28)

科学的な考え方を広める年に その3
〜4月から食品の放射性物質の基準値がより厳しくなるが、
「基準が厳しければ全て良い」とも限らない〜

 

 


 2月に食品中の放射性物質の新基準値案を妥当とする答申が厚労省から出ました。
 「今年度使われている暫定規制値では危険」と早合点しないことが大切です。
国際放射線防護委員会(ICRP)では「緊急時の一般公衆について状況に応じて20 mSv/年〜100 mSv/年の間」としていて、この下限の20 mSv/年を基に、十分安全に余裕を持って食品からは5 mSv/年として割り出したのが暫定規制値です。20 mSv/年が、他のリスクと比較してざっとどの程度かは「オトナの食育 所感編 第37回1月号」に書きました。たとえば、バランスの良くない食生活の方がずっとリスクが高いのです。
 なお、新基準値は食品から1 mSv/年として割り出しました。
 甲斐倫明氏が朝日新聞の記事の「数値の意味 社会にしっかり伝えて」で次のように訴えています。赤くした部分は、私が特に大事と思うことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 福島の事故以来、問題になったのは低線量被曝の健康影響だ。高い線量の被曝が、がんの発生率を高めることはわかっているが100ミリシーベルト以下の低い線量では影響があるともないとも言えない。「なさそうに見える」という言い方しかできない。
 
広島・長崎の原爆被爆生存者への50年間の追跡調査でも、高齢になるほど、がんは増えているが、原因が放射線だけなのか、生活習慣病や老化が絡むのか、少ない線量になるほど他の要因の影響が大きくなって見えなくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 甲斐氏のお話は、複数回拝聴しました。一つは、2011年7月のアイソトープ・放射線研究発表会での緊急公開講座「放射線から人を守る―福島原発事故の健康影響を正しく理解するために―」の中の「人体への影響と防護の仕組み」。それから、今年2月13日開催、日本アイソトープ協会ICRP勧告翻訳検討研究委員会勉強会 ICRPを読み解く―第2回―」の中の「ICRPの歴史と防護基準の変遷」です。
 きちんとした科学者は、エビデンスに基づくことしか言わないもので、低線量被曝のエビデンスは広島・長崎の物くらいしかなく、歯切れの悪い表現しか出来ないということを踏まえて、情報を捉えて行きたいものです。
 4月からの基準の元となったのは、昨秋、食品安全委員会から出た「評価書 食品中に含まれる放射性物質」です。その要約から抜き書きます。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 食品健康影響評価として食品安全委員会が検討した範囲においては、放射線
による影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における累積の実効線量として、おおよそ100 mSv 以上と判断した。食品健康影響評価として食品安全委員会が検討した範囲においては、放射線による影響が見いだされているのは、通常の一般生活において受ける放射線量を除いた生涯における累積の実効線量として、おおよそ100 mSv 以上と判断した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 つまり、一生で100 mSvという、非常に厳しい値です。したがって、新基準は非常に厳しい基準で、平時である諸外国と比べても極めて厳しいものです。
 食品安全委員会の評価書が出る頃、その評価書を検討する委員も含めて、厳し過ぎるという批判もかなりありました。「検査するのが難しいほど厳しい基準で、実行が伴うか心配」という声も多々ありました。が、非常に心配する人たちの力に押されたとしか、残念ながら思えません。

■「基準が厳しければ全て良い」とも限らない、のはなぜか?
 私は3月1日に「食のコミュニケーション円卓会議」の見学会として、品川にある都の芝浦屠場における、牛肉の放射性物質検査の全頭検査の現場を見て参りました。その例で考えてみます。
 昨年9月から1日420頭程度の全頭検査をしてきて、昨年12月から、都としてその検査を開始し、検出限界以上は2頭で、52 Bq/kgと55 Bq/kgだったそうです。なお、牛肉の暫定規制値は500 Bq/kg、新基準値は100 Bq/kgですから、新基準値も満たしています。ただし、肉の場合、新基準値が適用されるのは10月以降ということです。
 こういう数字で考えるとき、測定機械の検出限界や精度に注意しなくてはなりません。
 検出限界50 Bq/kgのオートガンマカウンターによりスクリーニング検査(ふるいわけ検査)をまず実施します。50 Bq/kg以上の値が出ると、再度測って、必要があれば外部の精度の高い機械で検査するそうです。

■全頭検査には多額の都税も使われている
 この全頭検査は、国の法律で決められているわけでなく、風評被害から業者・業界を守り、ひいては牛肉の安定供給という都民のために行わるため、都の税金も使っています。
 オートガンマカウンターは1台2,000〜3,000万円程度かかり、3台ありました。また、検査容器が1個120円で、もし1日420頭とすると、1日に50,400円もかかります。プラスチック製の、見た目にはなんてこともない容器ですが、特許が付いていて、検査機械の会社が「指定容器以外を使って不具合が生じた場合、メインテナンスに応じない」ということでした。ちなみに、このオートガンマカウンターはアメリカ製だそうです。
 施設の中に仕切りを作り、この検査場を作るのにもそれなりのお金がかかり、検査用として、商品価値のない筋の多い肉を細かく切り、容器に詰めて20gずつ量るという仕事を、パートを雇い行っています。その他、オートガンマカウンターの置いてある部屋には、3名の方々が働いていらっしゃいました。人件費もかかります。
 1頭ごとに、ナイフやプラスチック製のまな板を変えますから、洗う手間や水もたくさんいります。
 安全というより安心のために、言い換えると風評被害を防ぐために、多額の都税や資源、労力を要し、使い捨ての容器などのゴミも出しているのです。都債も発行し、たとえば都の教員の給料も減額したりするのに!

■新基準値には一般食品よりもっと厳しい基準もあり、検査が難しい
 新基準値の一般食品は100 Bq/kgで、それで十分乳幼児にも対応できるのですが、さらに念を入れて牛乳や乳児用食品は50 Bq/kg、飲料水は摂取量が多いということで10 Bq/kgとなりました。
 このように低いレベルを正確に測るには、精度の非常に高い、数Bq/kg以下まで測定できるゲルマニウム半導体検出器といったものを使う必要があり、この機械はネットで調べると、1,500〜2,000万円程度と高価です。しかも、オートガンマカウンターでは270本自動サンプル測定が可能であるのに対して、一つ一つの検体に20分程度といった測定時間がかかり、サンプル量も多く必要です。その上、専用の設置場所と特別な維持管理が必要です。
 上記の都の検査は最初の内、肉のサンプルが1 kgも必要で、それを細かく切った人が腱鞘炎になってしまったそうです。挽肉機を1頭毎に洗浄するのも、非現実的です。
 あまりに厳しい基準値ですと、検査が無理になりがちで、画餅になりそうと言われます。

■検査費は消費者・納税者持ちになる
 私が長年入っているパルシステムという生協では、「ゲルマニウム半導体検出器を購入。(ご安心ください)」といったことがチラシに書いてあります。安全のためなら理解できますが、安心のために商品の価格を高くすることによって検査機器を買い、人件費を掛け、資源も多く使うなら、問題です。
 生協なら退会するという方法がありますが、税金の場合、抜けることもできません。国の基準が厳しくなり、企業が検査にお金を掛ければ、商品の価格に跳ね返ります。
 また、「価格が高いと売れない」時代、流通などにしわ寄せが来て、パート労働がより厳しくなることもあるでしょう。安心を求めるあまり、知らないうちに無理が弱い立場の人に及ぶこともあるのです。

■生産者の立場も考えたい
 基準値が厳しくなり、万一「基準超え」の測定結果が出ると、ありえないほど大量に食べない限り影響が実質的にはないのにも関わらず、販売禁止になり、風評被害が起こりがちで、その地方の作物や魚介類などが売れなくなります。もし、その立場が自分や自分の身近な人であったらどうでしょう?
たとえば、昨夏の静岡県のお茶について、乾燥状態の茶葉もペットボトルのお茶と同じ基準で判断され、理不尽でした。
 突き詰めると、風評被害を起こさない、賢くて冷静な消費者を育成することが大事、と改めて思います。
 小島正美「誤解だらけの放射能ニュース」の「はじめに」から引用します。赤くした部分は、私が特に大事と思うことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 いまの世の中は「安全」ではなく「安心」を軸に動いている。安心は欲望の一つなので、豊かになればなるほど肥大化する。(中略)
 放射能自体は、大量に浴びれば、体に害があるので、基本的には怖いものだという認識が必要だ。その上で、
どこまでなら許容できるのか、どれくらいまでなら受け入れられるのかというきわめて常識的な判断こそがいま求められている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「科学的な考え方を広める年に」と題して3回も書かせて頂きましたのは、今、非常に大切と考えるからです。メルマガには長過ぎたかと存じますが、ご理解頂けると幸甚です。



引用文献等 
小島正美「誤解だらけの放射能ニュース」エネルギーフォーラム(2012)
食品安全委員会ホームページ 「評価書 食品中に含まれる放射性物質」 (2011年10月)
  http://www.fsc.go.jp/sonota/emerg/radio_hyoka_detail.pdf
朝日新聞2012年2月29日朝刊 シンポジウム 放射線と向き合う
  「食品の基準値 どう見る 食卓の安全 守るために」基調講演 
  大分県立看護科学大教授 甲斐倫明さん「数値の意味 社会にしっかり伝えて」

主な参考文献等
高田純「福島 嘘と真実 東日本放射線衛生調査からの報告」医療科学社(2011)
高田純「お母さんのための放射線防護知識 チェルノブイリ事故20年間の調査でわかったこと」
  医療科学社(2007)
食品安全委員会ホームページ 食品安全委員会委員長談話(2011年10月)
  http://www.fsc.go.jp/sonota/emerg/fsc_incho_message_radiorisk.pdf
厚生労働省ホームページ 「食品中の放射性物質の新たな基準値(案)について」
  http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000023nbs-att/2r98520000023ng9.pdf#search=
    厚労省 放射性物質 新基準値 答申'
2月13日開催、日本アイソトープ協会ICRP勧告翻訳検討研究委員会勉強会
 ICRPを読み解く―第2回―」講演資料 アイソトープ協会のサイトからダウンロード可能
      https://jrias.smktg.jp/public/seminar/view/35
松永和紀(FOOCOM.NET編集長)<「安心」を錦の御旗に、厚労省審議会は新基準値を決めた>
 2012年3月2日  http://www.foocom.net/column/editor/5869/
小林泰彦「食品の放射性汚染と照射食品〜最近の話題から〜」
 (食のコミュニケーション円卓会議 第60回定例会 2012年1月24日 資料)
朝日新聞2012年2月3日朝刊 「放射能と暮らし」「市民測定、企業動かす 
 粉ミルク汚染父母たちの通報で検査強化」「400万円の計器で検出」
日本経済新聞2012年2月23日朝刊「静岡ブランドづくり」「茶 風評被害を解消 自主検査、安全性PR」
日本経済新聞2012年2月24日夕刊「放射性セシウム 食品の厳格基準4月から」
 「厚労省決定 コメ・肉などは猶予措置」 
朝日新聞2012年2月27日夕刊 こころ 生きるレッスン
 <哲学者 森岡正博さんの「正しく怒る」 自分の正義 冷静に分析>
朝日新聞2012年2月29日朝刊 シンポジウム 放射線と向き合う
  「食品の基準値 どう見る 食卓の安全 守るために」
朝日新聞2012年2月29日朝刊 耕論 大阪大教授 菊地誠さん
 <東日本大震災1年 オピニオン 科学者の責任 「危険」説明し極論広げるな>
朝日新聞2012年2月29日朝刊 <「コメ作る」の声届く 条件付き 折れた農水省
朝日新聞2012年3月1日朝刊 インタビュー 東大医科学研究所医師 坪倉正治さん
 「東日本大震災1年 オピニオン 内部被曝と向き合う  測定数値だけで安心は語れない 
 生活見直す材料に 健診に採り入れて 食品検査と併せ 長い目で調査を」
朝日新聞2012年3月1日朝刊 社説「コメの作付け 農家の思い生かすには」