オトナの食育 所感編 第37回(通巻69回)2012/1/10号掲載 千葉悦子(高28)

 科学的な考え方を広める年に その1
〜ゼロリスクを求めず、リスクのトレードオフや無駄をなくしましょう〜


 


 新年おめでとうございます。今年は大きな災害がなく、賢く平和に暮らせるようにと願います。
 「賢く」と入れたのは、昨年12月になってもメディアで放射性物質のことが過剰に心配され、食品のリスクについて、遺伝子組換え・BSE等も含めて、誤解が広まったままだからです。このままでは税金を適切に使えず、日本にとってマイナスに違いないと考えるからです。

放射性物質について
 最近、黒田玲子著「科学を育む」を読みました。10年ほど前の本でして、昨年の原発の問題よりずっと前に書かれたわけです。原発の問題が実際に起きてから、とやかく言うのではなく、また、黒田氏は生物化学の東大教授でいらして、中立の立場で書いていると受け取れます。
 この本から大事な部分を載せます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 たとえば放射能は危険だと一口に言うが、もともと自然放射能が高い地域もある。また、花崗岩や大理石を多く使った建物の近くに行くと少しだけ放射能の数値が高くなる。そうした放射能レベルが人体やその地域の生態系にとって危険なものかどうか、判断しなければならない。さらに、放射能関連の事故が起きた場合に、通常の自然放射能が検出された場合、あるいは通常の場所の自然放射能よりは少し高いが花崗岩を多く使った建物の近くの放射能の値より低かった場合、これを、放射能が検出されたというのか、されなかったというのかで、一般の人は全く違った印象を持つだろう。これまたグレーゾーンの問題である。これらをどう扱ったらよいのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 NHK関東の夕方のニュースで、「原発事故前より空間線量が高かった地点」を読み上げますが、東日本はもともと自然放射能が低かったことも考え合わせないと、精神が参ってしまい健康に悪い、ということも考慮したいものです。
 再び、黒田氏の「科学を育む」から載せます。赤い部分は、特に私が今回ご理解頂きたいことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この世の中に100パーセント安全なものなど存在しない。科学的観点からはそのようなことは断定できない。(中略)
科学者は謙虚に、正直に、科学や人間の限界を公にして市民の理解を得た方がよいのではないだろうか。
100パーセント安全でなければ受け入れられないという市民の考え方も変わっていかなければならない。
 たしかに、安全性に対するこのような誤解が生じるのは市民だけが悪いのではない、過去に行政に携わる人や科学者などが、科学がすべてを解決できるような印象を与えたことの「つけ」が今まわってきているのかもしれない。
科学は確率しか与えることができないものだということ、科学者は現象・事象のすべてを理解しているのではないことを、また、人間は間違いを犯すものでもあるのだということを、もっと、日常的に科学に携わっていない人びとにも理解してもらわなくてはならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 科学者や行政官の責任もあるとはいえ、普通の人も科学の受け取り方を身につける必要をつくづく感じます。

放射性物質だけを気にして、リスクのトレードオフにならないように
 リスクのトレードオフについては「オトナの食育 所感編30回・通算60回2011年4月10日号」をご覧ください。
 畝山智香子著<「安全な食べもの」ってなんだろう?放射線と食品のリスクを考える>を読むと、普通に食べている食品などのリスクの方が、20 mSvの被曝による発がんリスクより高い場合が多々あると分かります。
 たとえば、ざっくりした計算ではありますが、アクリルアミドの発がんリスクの方が20 mSvの10倍、米に含まれる無機ヒ素を考えると、毎日ご飯を食べるのと20 mSvは同じくらいということです。なお、アクリルアミドは、ポテトチップスやカリカリに焼いたパン、コーヒーなどの加熱食品に検出されます。こういった食品は、誰もが疑いなく食べているでしょうから、20 mSv程度の放射性物質を過剰に恐れて、世の中には他により大きなリスクがあるのにも関わらず、優先的に国や地方自治体に対策を要求するのは、公平性に欠けると思います。
 また、食品安全委員会などが再三説明していて、「100 mSv未満では現在の知見では健康影響の言及は困難」です。国際放射線防護委員会(ICRP)では「緊急時の一般公衆について状況に応じて20 mSv/年〜100 mSv/年の間」と目安をまとめています。20 mSvというのは、そういう数字です。
 放射性物質ばかりに気を取られ、他のもっと大きなリスクを知らず、バランスの悪い食生活や、偏った食生活により重金属やアクリルアミド、あるいは脂質等をたくさん摂取する方が、ずっと発がんリスクが高くなったり、病気になる確率を上げてしまったりします。「知らぬが仏」と言えるでしょう。
 なお、こういった食べ物のことより、喫煙の方がずっと危険性が高いということも忘れてはなりません。

遺伝子組換えについて
 私がここ数年間に教えた学生の反応を振り返ると、過半数が「遺伝子組換えのことはよく分からず、自然ではない感じで、とにかく危険そうで避けたい。」というイメージを私の講義の始まる前には持っていました。反面、今年度の学生1人は「これからは世界の人口が増えるし、遺伝子組換えは大切な技術で、『心配』などとは思わない。」という風でして、少しずつ変化があるのかもしれません。
 「食品安全委員会が安全性を評価しているので、商品として出回っている遺伝子組換え作物やそれを原料とした食品は、食べる分には安全」ということは広まって来ていて、以前よりは反対者も「食べて危険」とは言わず、「環境が心配」と言うようになって来ています。とはいえ、多くの科学者たちによって否定されているにも関わらず、「遺伝子組換えは危険だ」と受け取れる古い情報がネットに現在も出ていて、学生がレポートに例として書くことがあります。
 正直なところ、もし、「生物・化学の再教育講座」を数年前に受講せず、「食のコミュニケーション円卓会議」にも縁がなければ、私も学生と同じように見分けがつかなかったことでしょう。

日本人が遺伝子組換えを毛嫌いし続ければ、外国(企業)は得かも!
 「この納豆には遺伝子組み換え大豆を使っておりません」といった、「使っていません」の表記をよく見かけます。企業にとっては一種の戦略なのでしょうが、それを見続ける学生は「遺伝子組み換えは悪いのだ」と思い込むそうです。
 また、これまでの日本の消費者は「ゼロリスク」を求め、食べたときの安全性や環境影響の小ささなどを証明するデータのハードルが高くなっています。<もうダマされないための「科学」講義>の、松永和紀氏によると、データをそろえるために、凄まじい資金と設備、労力が必要になり、小さい会社は撤退し、大資本の会社ばかりが遺伝子組換えの研究に残っているそうです。こういった話は、数年前から私の耳に入っていました。ただ「話」であると、書きにくかったのです。背景を考えずに「遺伝子組換えは、大企業に牛耳られるから反対」と言うのは、身勝手と考えます。いたずらに「ゼロリスク」を求めるのではなく、「十分安全なら良い」と考える方が賢い場合があるのです。
 日本の企業が遺伝子組換え作物の研究から撤退し、市民の理解が得られないからと公共の研究所にも予算が十分回らない状況では、日本の遺伝子組換えについての研究が世界の中で遅れます。米国だけでなく、中国も遺伝子組換えを含めてバイオの研究にも力を入れると耳にします。私はきちんと確かめることは出来ませんが、ロケットも打ち上げる国なのですから、さもありなんと思います。もし、将来、知的財産権を外国に牛耳られたら、私たちは貧乏な国になってしまいそうです。
 一方、日本は中国から食品をたくさん輸入しているという現実があります。近い将来、中国では遺伝子組換え作物が主流になり、非遺伝子組換え作物は非常に少なく、高価になり、買えなくなるかもしれません。しかも、三石誠司著「空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆」に次の部分があります。赤字にした部分は特に大事と考える部分です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 (前略)私たちがしっかりと認識しておかなければならないことは、
 少なくとも世界の農産物貿易という視点で見た場合、単一の輸入国と
 しての
日本の相対的地位が大きく低下する可能性が高いことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本より魅力的な市場が、他にたくさんあるようになれば、日本のために手のかかる非遺伝子組換え作物を安価に作る生産者はいなくなるという可能性があります。
 松永和紀氏が書いていらっしゃるように、遺伝子組換えという単一の技術に大きく依存するのは危険と考える半面、毛嫌いすることにより、上記のように自分たちが不利益を被る場合もあるということも、わきまえたいものです。
 寒い時期に怪談より怖い話となり、申し訳ないですが、私が知り得た範囲で、私がこのところ憂慮することをお知らせしたいと存じました。書き足りないことは次号で補います。
 良い年でありますように。


■引用文献等  
黒田玲子「科学を育む」 中公新書1668(2002)
三石誠司「空飛ぶ豚と海を渡るトウモロコシ 穀物が築いた日米の絆」 
   日経BPコンサルティング(2011年12月)
日本経済新聞2011年12月1日夕刊「明日への話題」「遺伝子組み換えと日本人」
食品安全委員会ホームページ 「放射性物質を含む食品による健康影響に関するQ&A     
  http://www.fsc.go.jp/sonota/emerg/radio_hyoka_qa.pdf

■主な参考文献等
畝山智香子著<「安全な食べもの」ってなんだろう?
放射線と食品のリスクを考える
    日本評論社(2011年10月) 
菊地誠・松永和紀・伊勢田哲治・平川秀幸 飯田泰之+SYNODOS編 
  <もうダマされないための「科学」講義>光文社新書(2011年9月) 
日本経済新聞2011年12月7日朝刊「粉ミルクからセシウム」
   <「明治ステップ」30ベクレル、規制値下回る」「大気から混入か」「40万缶を無償交換」
朝日新聞2011年12月18日朝刊「出回らぬコメ 悲嘆の福島」「消費者も外食業者も敬遠」
朝日新聞2011年12月20日夕刊「乾燥量でセシウム検査やめて」「干しシイタケ産地 疑問の声」
朝日新聞2011年12月29日朝刊
    「ニッポン前へ委員会討論 3・11後 見えたリスク 一人ひとり向き合う時」
日本経済新聞2011年12月31日朝刊「食品の輸入拡大 1〜11月 12%増
    15年振り水準 円高や震災影響」
日本経済新聞2011年12月31日朝刊
    「金・銅・トウモロコシ、最高値 11年 商品市況回顧 欧州危機で年後半に反落」
日本経済新聞2011年12月31日朝刊
    「コメ・水産物・青果物など 原発事故に揺れる 風評被害で出荷ストップ」