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江川家第37代当主であった江川英敏は、その在任期間が短かったためかあまり知られていない存在です。 坦庵公が亡くなられた1855(安政2)年に家督を継ぎますが、1862(文久2)年に早逝します。1839(天保10)年の生まれですから23年間の生涯でした。このため代官在任は7年あまりでしたのでめぼしい業績は少ないのですが、実は反射炉は英敏の時に完成しています。 反射炉といえば坦庵の代名詞のように思われていますが、実はこの建設中に坦庵は亡くなっているので、完成をみたのは英敏の時になります。英敏は坦庵没後すぐに品川大場備砲上覧試射を指揮しています。18ポンド砲が反射炉で試作されたのは1858(安政5)年の3月のことになります。
しかしながら1862(文久2)年8月に英敏は急逝し、弟の英武が代官に就任していきます。知名度こそ低いかもしれませんが、英敏も坦庵公の意志はしっかりと受け継ぎ、次の英武へ確実にバトンタッチをしたといえます。 韮山高校の歴史とその周辺 目次 |