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今でこそ、韮山高校生徒の男女比は半々ですが、ひと昔前は女子生徒の数は一学年の1クラス分くらいの人数しかおりませんでした。そのため男子生徒の視線は、当時女子高であった三島北高校の生徒に向いたものでした。 ところが、この両校は実は大変近い関係にあったことを知っている方が少ないので、あえて紹介したいと思います。 明治32(1899)年の高等女学校を受けて、田方郡下では、三島高等女学校(現三島北高校)の設立気運が高まりました。これは明治31(1898)年に旧制韮山中学校が県立となったため、田方郡に財政上のゆとりが生まれていた背景もありました。 校地は現在のゆうゆうホール(三島市文化会館)の近辺が選ばれ、当時は小松宮別邸を借用する形で校舎が建築されました。その校舎、実は旧制韮山中学校以前に使用していた伊豆学校時代の校舎を移築したものでした。 山上コートに建築した伊豆学校校舎でしたが、生徒数の増加により、現在の地に新たに校舎を建てたため、建築して10年余りの新しい素材でしたので、これをそのまま移築して三島高等女学校校舎としたのでした。現在も当時2階バルコニーに掲げられたエンジェル像が同校で保管されておりますが、これも伊豆学校時代からの名残りとなります。
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