平成16年4月9日、みしまプラザホテルにおいて 三島異業種交流会
   
(会長 西原宏夫氏・高22回) 主催のセミナーが行われました。
    講師は 、(株)フジテレビジョン 映画事業局長 亀山千広(高27回) 氏。
    「あすなろ白書」「ロングバケーション」「踊る大捜査線」などの人気
    テレビドラマをはじめ、昨年 興行成績No1となった「踊る!大捜査線 
    THE MOVIE 2
」のプロデューサーのお話が聞ける というだけあり、
    会場は満席、立ち見も出るほどの大盛況。東京都内から新幹線で駆け
    つけたファンも多数。
     今回の「龍城のWA!」では、あらゆる分野でのビジネポイントを秘めた
    お話を あえて亀山さんのお話方そのままにアップさせて頂ました。
                      
   交流会 会長 西原氏(高22回)による「日本で一番映画を作っているのはフジテレビだと、そこで一番お客さんを集めた映画が亀山さんが作られた『踊る!大捜査線』だ ということは、おそらく日本で一番のプロデュサーだということだと思います。今日は、その真髄といいますか 中身の一番本質的なところを伺えると 楽しみに思っております。皆様 お時間の許す限り亀山ワールドを楽しみください。」との ご挨拶の後 講演が始まりました。

「踊る大捜査線から見えるもの」〜エンターテイメントこそ命〜
                                        
                                     講師 亀山千広 氏(高27回)


 この近辺で5、6回しゃべらさせて頂いてまして、何度も何度もお話をお聞きになって下さった親戚縁者関係者以外の方もいらっしゃると思うんですけど、その頃に比べ成長してる風に見せなきゃいけないなと思って、ずっと来る新幹線の中どうしたらいいかなと思ったんですけど、「まぁいいか」と、偉そうなことをここでしゃべってもしょうがないので、ここから約90分くらい みなさんがこれから映画やテレビをご覧になる時に「なるほど」と、映画やテレビが今よりも3、4倍楽しく見れるような裏話といいますか、話ができればいいなぁと思っておりますので、どうぞお付き合い下さい。

映画監督になりたかった
 元々テレビ局が映画を志した理由というのは、今を遡ること約20年くらい前、1980年 ちょうど僕がフジテレビに入った年くらいからなんですけれども、それを遡りますと 、もう映画の世界に帰ってくることはないと思いますが角川春樹さんが角川映画を創設されて、本を売るためのプロパガンダ宣伝として映画を使ったことが、ある種 低迷していた日本映画を変えた。その時期に学生生活早稲田大学 政経学部卒)を送ってまして、当然映画が好きで映画監督になりたいと個人的には思ってまして、そんなことを親も許してくれるわけもなく、今日来てますけど「学校の先生にでもなれ」と言われまして、嫌でたまらなくて、まぁ先生になるのが嫌だってことではなくて映画にともかくいたいということで、ちょうどいい流れの時期でした。その頃何となく若いお客さんが付き始めまして、そこから新人が何人か生まれてきたわけですね。つまり角川さんは映画のプロではありませんから、市川昆さんとは仕事されましたけど、優秀なたとえば大島渚さんと仕事すれば、ゼッタイ 監督というのはわがままですから、本を売る為に映画を作るのに何で自分の芸術性がみたいな話が出てくるわけですね。それだったら言うことを聞く若い監督を使おうということで、森田芳光君であるとか大森一樹さんであるとかが出てきて、これはひょっとして僕にもチャンスがあると思っていたんです
当時、三島に五所平之助先生という大映画監督、日本映画監督協会の会長さんをやられてまして、名誉市民にもなられたんですが、その方の門をたたいたというか、何とか映画界にコネを作ろうと思いまして、日参して人を紹介してもらおうと ただ単純な理由だったんですけど、いつのまにか書生になりまして、犬のえさを作らされたり、庭の掃除をさせられたり、先生がたまに句をやられるんですけど、時節の挨拶に来た葉書に一句書かれる墨を刷らせて頂いてですね、かばんを持って東京の裏町をぷらぷら歩いたり、まさに書生でございまして、誰も人を紹介してくれませんでした。だた、そうやって通ってるうちに、当時映画監督協会の会長ですから、若き頃の大島渚さんであるとかが、やっぱり映画界を憂いてわざわざ三島に来て先生の周りでお酒を飲んだりしてるお酒を運んだぐらいで、いつ紹介してくれるのかなぁと思いながら最後まで紹介してくれないまま、就職の頃になって「テレビへ行け」と「映画はダメだ」と言われまして、当時の会長さんがダメだと言うんだからよっぽどダメなんだろうと思って、泣く泣くテレビ局に行きました
あれから20年 考えてみると 映画をやってるんで人生は捨てたもんじゃないなと自分なりには思っておりますけど、そんな中で記録を作れたりすると、これから先プレッシャーになるだけんなんで、どうしたらいいのかと日々思っている今日この頃でございます。

ゴールデン洋画劇場
 三島での生活というのがあってテレビ局に入ったたのが1980年なんですけど、その頃 みなさんβマックスってご存知ですか?VHSと張り合って負けたんですけど、いち早くソニーがβマックスの家庭用ホームビデオを出したのが1980年なんですね。で、最初にもらったお給料全額はたいて、当時20万もするようなホームビデオを買いまして、四畳半にはふさわしくないんですけれども、何を一番最初に録ったかというと 映画劇場の映画を録った。ドラマより先に映画を録りました。なぜそうしたかったかというと、当時はレンタルビデオ屋も当然ありません。ですから、初めて見逃した映画を観るのはテレビでしかなかったなかったわけですね。しかも、未だに変わってませんけれども、公開してから3年までかけれないわけです。で、1977年とか76年は、実は「スターウォーズ」とか「未知との遭遇」が出た年なんですね。それで1980年に買い込む、要するに初めて放送できるわけです。ところが、当時のお金で「スターウォーズ」にいろんなものが付いて、20何億というとてつもない金額が払われるわけですね。でも、それはテレビでしかできませんから価値があったわけです。たった1回の放送の為だけですけど、「はい僕らはスターウォーズ持ってますよ」と言うと、ここ2週続けて視聴率よくないけれども、「スターウォーズ」を出してもらうまで提供し続けてくれるスポンサーがいるわけです。ある種は資産効果を生むために買っていたんですが、20何億を競り合いをやるわけです。どこの局も欲しいですからどんどん金額が上がっていく。バブルの土地の時と同じような状態になりまして、その時 はたとうちのTOP、今の会長の日枝久(
ひえだひさし)とか村上光一(現社長)とか鹿内春雄さんという もう亡くなってしまった親分がいたんですけど、「20億あったら何本映画が作れるんだ.。だったら自分達で作りゃいいじゃないか」と、つまりゴールデン映画劇場と当時言ってましたけど、そこにかける為に30何億使うわけですね。それは払ってたった1回放送するだけ、視聴率がよかったですというのでスポンサーをつないでるだけ。それよりも、映画を作れば、まず興行で儲かるかもしれない。儲かった上に、ただでかけてスポンサーのお金も頂くという最高のビジネスだろという風に思い始めて、80年から積極的に映画を作り始めました。

「南極物語」のタロ・ジロ

  最初に作って大騒ぎしたのが「南極物語」。僕が入った年だったんで編成という部署にいて、パブリシティーというか、今で言うところの踊るのキャンペーンですけれども、それを担当しろと言われてなんとたまたまドックトレーナーの家が近かったが為に、タロ・ジロの番をやらされました。あれには、荻野目慶子ちゃんとか夏目雅子さんとかきれいどころがいっぱい出てましたし、何しろ高倉健さんが出てたわけで、役者さんの番をしろと言われれば喜んでやったんですけど、「お前は犬の番だ」と、「どうしてですか?」と言うと、「家が近い」というだけでやらされまして、ところがですね、その経験が非常に僕の中で生きてます。つまり何かと言いますと、高倉健さんとかほとんどキャンペーンなんて来ないわけですけど、試写会があると 健さんって袖から出て挨拶してものの3分で引っ込むわけですね。握手もしてもらえなければ 実は一緒に並んで写真撮ることなんて不可能です。ところが、犬は文句言いませんから会場の外に置いとくと、撫でることもできれば「一緒に写真撮っていい?」 と言われれば「どうぞどうぞ」と写真が撮れる。つまり親しみがすごく沸くわけですね。その瞬間に映画に愛着が百倍くらい持てるわけです。で、それをどういうわけがやってみるうちに、タレントさんが一番反応してくれるわけですね。あのタロ・ジロというのはスーパースターで、タモリさんとも共演したし、たけしさんとも共演したし、さんまさんとも当然したしという、当時フジテレビの看板番組全部出ましたから、今時そんなスーパースターはいないんだと思いますけれども、木村君でも無理だと思いますけれどもね。映画というのはテレビと違って、何かそこにアクセスする力が必要なんだなというのを 後付けですけど 、その時 ふと胸に感じたんだと思いますね。やっぱりタロ・ジロ番をやってたのは悪くなかったという風に 今では思います。

フジテレビの映画
 つまり何が言いたいかと言いますと、テレビっていうのは一方的に送りつけるもの。何月何日何時何分からこれをやりますよっていって、基本的にはその時間に見て頂かないとダメなものなんですが、映画は何日間かのアローワンスがあって、そこで興味があれば自分が観たい時に行けばいい。だけど行くっていう作業は、もうひとつモチベーションが必要になるわけですね。そこに単なる興味だけじゃなくてもうひとつ何か、最初からその映画に愛着が沸いているか沸いてないか、当然 裏切られたらショックは大きいわけですけれども、ある種のギャンブルなわけですね。1800円 わざわざ往復の道のり使ったりコーヒーだのご飯食べちゃったら、家族で行ったら平気で一万円くらいかかるんですけど、家族が喜んでる顔、彼女が喜んでる顔を見た瞬間にその一万円は安いわけですね。で、テレビはなかなかそういう風にはいかないメディアなわけです。
実はテレビと映画のメカニズムの違いをご説明したいと思うんですが、その前にさっき言った「南極物語」が成功したが為にフジテレビは積極的に映画を作っていこうと・・・自慢ではありませんが、歴代のアニメを除く、「もののけ」と「千と千尋」があまりにもすご過ぎるので、実写映画で興行収入のベスト10内に6本フジテレビの映画が入ってます。ちょっと胸張って言いますけど 、1番が「踊る大捜査 MOVIE 2」 170億ですね。 2番に「南極物語」 3番が「子猫物語」 4番に「踊るのPart1」 で、6番目に「ビルマの竪琴」 っていうのがきまして、「タスマニア物語」が9位か8位にいます。なぜかと言いますと、自分たちで作って自分たちのゴールデン洋画劇場というところにかけるのを楽にしようというために作り始めた。つまりテレビに帰って来ることを考えて作ってますから、全部エンターテイメントじゃないといけないわけですね。

エンターテイメントこそ命
 「座頭市」ってこの間テレビでやりましたよね?あっ!別の武さんのやったんだ。「座頭市」が今度テレビにかかる時いくら数字取るのか非常に楽しみです。あれはエンターティメントかエンターテイメントじゃないかって分かれますけど、要するにテレビにかかる作品というのは、どうしてもエンターテイメントをしないと視聴率をとってくれなくなるわけですね。それを意識する為には、作家性であるよりも 何よりもお客さんが楽しむことを考えなければいけない。そういう宿命で作らされてますので、僕らは芸術性だとかそういうものにはとんと縁がありません。だからこういう赤いの(
リボン)を付けてますと日本アカデミー賞の嫌な思い出が蘇るわけですけれども、11部門もノミネートされまして どれひとつ取れない。「なぜにVシネマなんだ」と中井喜一に 後で文句言いましたけど、「僕に言わないでよ」と言われ その通りだなと思いまして、まぁすばらしい映画なんですけれども、所詮芸術性とかそういうことからは遠ざけられるんで、非常に残念なんですけれども、それはそれで映画っていうのは 別にやってくれている人たちがいますから、僕らがやる必要はないのかもしれません。ともかく、自分のとこのテレビの枠を埋めるために作り始めたといのが本音です。それがフジテレビの映画戦略の基にあり、未だに貫いてるひとつの精神だと思い ます。で、よその局さんがやられてます。でもどっかで事業性とかリスクヘッジとかっていう中で動いてますから、どうぞご覧になってみると分かると思いますけど、TBSとか日本テレビとか名前が入ってる映画は、だいたい6社から7社くらいの他の出資社がいるはずです。たとえば「千と千尋」お宅にもしDVDがあっておうちに帰ってご覧になるといいと思うんですけど、電通、住友商事かな、日本テレビ・・・覚えてないや 7社か8社 出資社として名を連ねてるわけですね。これって、僕 ちょっと生意気な言い方しますけど、自信を持ってエンターテイメントとしてものを買ってくれって見せる時に、ずらずら要するにお金出してる人が並んでるってのは、自信がないって証拠なわけですね。これはゼッタイ当たると思ったら総取りしたいですから 全部お金出しますよね?経営者の方もいっぱいいらっしゃると思いますけど。ところが、こけた時のリスクヘッジを背負う為に10億かかる作品に1億ずつ10社選ぶわけです。傷は1億で済むわけですよ。で、制作何とか委員会ってのは基本的にすごく美しい名前に聞こえますが、みんなで痛みを分け合おうねっていう会なんですよ。そんな要するに何社も並んでるやつを大作だっていう風に思って見させられるより、あぁ自信がないんだって思って映画館でご覧になった方がいいと思います。大体つまんないです。むしろ単館系の一生懸命作りたくて、お金がないのを手弁当でやって、やっとスポンサーを2社くらい付けた映画の方が、数倍映画としては楽しめると思います。つまり、思いもあるし 踏ん切りもいいし 何が伝えたいかがはっきり分かります。で、フジテレビの映画の潔いところは、5社以上は止めましょう。僕になってからは3社4社がぎりぎり。それ以上は、お付き合いは結構ですが名前も載せないと嫌われてますけど、でも、やっぱりサービスっていうのは、そういうことじゃないか。僕らが自信持って送ってる振りをしてないと見ている方たちは自信を持っ観に行ってもらえないんじゃないかって基本があるものですから、僕が事業局長になってからはそうさせてもらってます。何でこんな強気なことが言えるかというと、勝ったというだけじゃなくてですね、実際問題 ものを作る時ってのは誰が親分なのか、誰が旗を振るのかってのがすごく大切なわけですね。で、その人の下に集まって来てる。決してそれはプロデューサーである必要はないです。監督であっても構いませんし、原作者であっても構わないし、脚本家であっても構わない。 大体往々にして失敗するのは、役者が頭になる時は失敗なんですけれども、それでも構いません。まぁトム・クルーズの「ラスト・サムライ」みたいなのもありますんで、許してもらってもいいかなと思うんだけど、いずれにしてもその映画の顔になる人がいなきゃいけないわけですね。そこから類推してくっていうのが、大体今の映画を観る人たちの見方ではないかなぁと思います。

テレビは人気者を作り、映画はスターを作る
 ただ、テレビは残念ながら顔になるのはタレントさんだったりします。一番大事なことは、テレビっていうのは 人気者は作れますけど、スターは作れません。なぜならお金頂いてませんから。初めて新人を連れてきて、つまり木村拓哉君を人気者にすることはできるけれども、まだ木村君は映画に出演して何人もお客を呼んで興行で儲けたという記憶がないんで、彼はまだ実はスーパースターになってないんですね。それを本人が一番悩みなわです 今。むしろ織田裕二の方が人気はないまでもマネーメイキングはしてるわけですね。お金を払って電車賃使って、要するに織田裕二を見に行ってる可能性があるわけです。だから高倉健さんって 相変わらずスーパースターなんですね。僕らも健さんに対しては一目も置くし、つまりテレビっていうのは人気者を作れるけれども、映画はスターを作れる。なぜスターを作るかというと、お金を払って しかもそこまで辿り行かなきゃいけないメディアだからそうなるわけです。
                                               
                                                        
          
                 亀山さんは、2000年7月発行 龍城11号「龍城山下のなかまたち」にも登場頂きました。