龍城のWA!第34回 2008/7/10韮高メルマガ掲載

自由に生きることは難しい
   ジャズトランペット奏者・田中哲也(高38)

6月号メルマガで紹介した 長泉町でのジャズコンサート。
私(ドラえもん)は同窓会清水町支部長の石井巌さん(高10)をお誘いして行ってきました。
会場は満席。立ち見が出るほどの大盛況。
スタンダードナンバーからの選曲なので、聞いたことがある曲ばかり。
ジャズはあまり興味なかったという石井さんも大興奮!!で、
「彼をもっと早く知っていれば、8/9の総会で演奏していただきたかったのに残念だ」と・・・。
(総会も講演にこだわらず、プロとして活躍する同窓生のステージを企画してみたら?・・・私の思いつきです)
 高音を出すとき、Yシャツの首周りが弾けちゃうんじゃないかというほど首が太くなるんです。
オーバーじゃないんですよ、漫画的だけど(笑)
ライブ情報は掲示板に掲載しておきますので、実際の音を聴いて首回りを見てきてください!?(byドラえもん)

北条先生     檜澤先生  
    
                     
注 : この写真は、
2003年35回生同期会で撮影したものです。
先生の顔が赤いのはそのためです(笑)



6/22コンサート終了後の田中さん
後方ブルーのシャツは
ジャズピアニスト・伊賀拓郎さん(国立音大在学中)

北条先生と檜澤先生
 1、2年時の担任が
ブラバンの天敵・北条健ちゃん。空手部の顧問だから講堂でハチあわせすると、いつも「お前勉強は?」ってイヤミ言われてましたね〜。音楽に関しては全く理解がないというか、少しでも楽器の音がすると怒鳴りこんできてましたよ。ドラムの音への憎悪は並々ならぬものがあって、職員室から飛んで来てました。
「空手に集中できない」と言われると「音楽だから音がして当たり前」と反論して、まるで子供の喧嘩です。
ブラバンのみんなは「北条健をやっつけろ!」の合い言葉で団結してましたね。
よく「田中、勉強してほしいのはもちろんだけど、何かスポーツやったら?」ってな調子で、文化系部活を軽蔑してるフシがありました。そりゃ文武両道してないけど…
健ちゃんはブラバンの天敵だったけど、あのぶっきらぼうで強情な感じは、子供っぽくて憎めなかったな〜。でも、よく部の集会で話題になったのは「北条健対策」でした(笑)。

 3年は檜澤先生でしたが、この先生とはなぜかウマがあいました。
意外と現実主義というか、勉強勉強とうるさい先生の中では比較的先々の現実を見据えるような示唆をしてもらって、僕としては何かあたたかいものを感じましたね。
ひ〜ちゃん(檜澤先生)に関しては、生徒の好き嫌いがはっきりしてました。 (先生の自宅がある)長泉の人間だからかもしれませんが、3年の担任時は放任のふりしてずいぶん心配してもらったような気がします。
 3年になってすぐの頃は、多分成績が後ろから10番以内だったはずで、今から手遅れだけど音大目指すか、プロミュージシャンになるために修行するかということが頭に浮かびました。でも、音大行くにはクラシックの奏法などまったく勉強してないし…、プロになるったってブラバンの周りのラッパのやつよりヘタクソだったりするし(これは致命的だった) いや〜、もうお先真っ暗。最後の龍城祭だけは、後のことを省みずハチャメチャに頑張った思い出があります。
 で、抜け殻状態の6月初め、ひ〜ちゃんに呼ばれたんですよ。これはその後の自分にすごく影響与えましたね。

絶妙なタイミング!檜澤先生の言葉でトランペットを封印
 あのとき檜澤先生は、ただ「
世間の誰もが知ってる大学に行きなさい。とりあえず大学に行けばいくらでも音楽がやれる。合格するまで猛勉強してトランペットは見えないところに隠しておけ」と概ねこんなことだけを言われました。
 音楽1本に絞る本格的な決意を固め始めていた時だったから、くじかれた感じでしたね。でも、その日一晩考えた結果、確かにこの程度のラッパだとどこ行っても通用しないから大学入って本格的スタートでもいいだろうと… 。そこからは飯、風呂、寝る以外はひたすら勉強の日々がはじまりました。しかし、要領悪いというか成績は少しも上がりません。トランペットも封印…地獄のどん詰まり。だから卒業するまで廃人と化していました。
 先生は「本当に大学行ったらいくらでもどうにでもなる」というのと、「大学受験は甘くない」ということを言いたかったんだ、と僕は理解して好意的に受け止めています。 あのとき以外は、自由放任でしたね。
 卒業式のあとのハナムケの言葉が、「あとはお前ら自由に生きろ、ただこれだけは言っておく、カネとオンナで失敗するな!」でした。女の子数人いたし、ずいぶん乱暴だな〜と思ったけど、社会に出てカネとオンナで転落した人をけっこう目の当たりにしてるからさすがひ〜ちゃんだな〜と感心してます。

「刑務所入ってた」と思うことにして浪人
 結局現役時代は東京の私立大学5つ受験して全部×。1週間寝込みました。
もう韮高の授業のしがらみから解放されたし、再び大学進学やめて音楽へ…というのが頭をよぎりましたが、もう1年ならなんとか気力がもつだろうということで浪人することにしました。
 来年の2月末までのトータル1年8か月を、刑務所入ってたと思うことにしました。ひたすら部屋と予備校の自習室に閉じこもって飯、風呂、トイレ、寝る以外は勉強の日々。結局、東京の私立、偏差値的には上から下まで8つも受験して、立教と日大2つしかうからなかったけど、立教に関しては千載一遇の奇跡でしたね。6大学でしかも都心の池袋にキャンパスだから、1年8か月の刑務所から楽園に行ったかのような気分でした。
 立教の合格が決まった次の日、本当に1年8か月一切手をつけなかったトランペット、ケース開けたら錆びついてました。

錆付いたトランペットから
 すぐ立教のビッグバンドのサークルの門をたたきましたが、当時はクロスオーバー、フュージョン系に人気があって、ビッグバンド=スィング=じじくさい みたいな感じで先輩部員が5〜6人、新入部員は僕入れて5人くらい。ビッグバンドって16人いないとできないからジャズ研状態でした。もともとたいしたことない上に、1年8か月のブランクがたたってほぼ初心者状態。サークルは週1度みんなで集まってジャムセッションする程度。それでも、真面目に授業は全部休まず出席して、個人練習もたくさんしましたけど… 。 入学半年もするとなんかこの大学、早稲田、明治、法政にくらべてスマートなんだけど熱くなれない=軟弱な雰囲気でもの足りなさを感じましたね。 最初の1年は東京の華やかさを目で楽しんで受験勉強の疲れをとるリハビリみたいな感じでした。将来プロなど恥ずかしくて言えるような状態ではなかったですね。














◆6/22長泉の演奏曲で一番好きな曲と一番デキがよかった曲は?

 一番と言われると難しいですが、あえて言うとスターダストでしょうか。トランペットがいちばん映えるバラード曲ですし。 一番デキがよかった、これも難しい質問ですね。何曲か
フリューゲルホーンで演奏しましたが、自分ではしっくりいった感じがしました。特にラテンリズムでやったミスティーですね。トランペットはいつもより気持ちよくできた明日に架ける橋ですかね。それとアンコールでやったA Night In Tunisia です。いずれにしてもPfの伊賀拓郎君とライブを重ねるたびに息が合うようになってきて全編気持ち良く演奏できてた気がします。
◆どうして今、故郷でプレイしたいと思うのですか?

演奏家として全国津々浦々行きましたが、ふと気づくと静岡県東部で演奏してないなぁというのが率直なところです。これを機会に地元の方々にもっと演奏を聴いてほしいです。

◆地元の人たちの反応(感触?)をどう受け止めましたか?

終わったあとは良かった、楽しかったなどの感想をいただきありがたかったのですが、本番中はみなさん静かに聴いてましたね。本来ジャズのライブはもう少し活気があるものなのですが…。今回だけで終わらずに、回を重ねるごとにジャズのライブの楽しさを伝えていきたいです。
田中哲也プロフィール
(2008/6/22 田中哲也and伊賀拓郎DUO LIVE at Nagaizumi パンフレットより)

長泉町出身。長泉小、北中時はピアノ、トランペットなど音楽に親しむ。
韮山高校入学と同時に吹奏楽部に入部し、本格的にトランペットを始める。
 以後、世界的なハイノートトランペッター、メイナード・ファーガソンの影響を受け、パワフルな演奏スタイルを目指すようになる。
立教大学進学後は母校はもちろん、他大学の都内有名学生ビッグバンドに客演しハイノートヒッターとして活躍。
大学卒業後もプロとして、角田健一(Tb)ビッグバンドTOKYO LEADERSビッグバンドマイク・プライス(Tp)ジャズオーケストラエリック・ミヤシロ(Tp)EMバンド守屋順子(Pf)ジャズオーケストラなどいずれも日本のライブシーンのトップを行くジャズオーケストラのリードトランペットとして長期間在籍。
また、日本の一流のメンバーを擁した自己のバンド田中哲也ビッグバンドを主催している。

さらに、リードプレイだけでなくソロのアドリブプレーヤーとして自己のデュオ、トリオ、、カルテット、クインテット編成のバンドを率いて縦横無尽のライブ活動を行っている。
ハイノートヒッターとしてだけでなく、リード、アドリブ、すべて一流のレベルで演奏ができる日本で唯一無二のジャズトランペット奏者である。