今回のアルバムは、何作目ですか?
ブリーフ&トランクス解散後からのソロアルバムとしては4作目 です。
他に2枚のLIVEアルバムも出されていますね。
『オスシリンダー』とは、とてもユニークなタイトルですが、その意図は?
昔、理科の実験で使った「メスシリンダー」の男バージョンがあったら こんな名前なのかと、
ちょっとした冗談です(笑)。 メスシリンダーのメスは「雌」という意味ではないのはもちろんわかっ
ていたんですが、 「オスシリンダー」という名前のように、僕の曲も、他の誰にも作れない、存在しないものであってほしいという願いを 込めてタイトルを付けました。
どんな時に曲が浮かんでくるというか、作られますか?
「半径5メートル以内の日常生活」をテーマに曲を作っているの ですが、思い出に浸っていたり、友達と会話してる途中でふと「あ!そ れ曲にしたい!」って直感的に思います。 例えば、「かたくり粉」という曲があるのですが、それは、料理中に 「片栗粉を揉む感触って結構好きだなあ」
とか思った次の瞬間、それを曲にしていました(笑)。 デビュー曲の「さなだ虫」は、お風呂上がりに全裸の自分を見て、「な んでこんなに痩せているんだろう? 絶対さなだ虫でもいるんじゃないか!?」と思った瞬間、全裸でギター を取り出し、曲にしました(笑)。
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一押しの曲は?
一押し・・・というのは特にありません。過去の全曲、シングルにして 欲しいくらい、全曲全力投球しました。 よくある「捨て曲」というものは絶対に作らない主義です。
未だに小中高生を中心に人気のあるブリトラの曲ですが、伊藤さんのファンは、どのような層の方が多いですか? |
ブリトラ時代はファンの8割くらい女の子でしたが、 ソロになってからは半分くらいが男性ファンになりました。 ライブ会場で男達が叫ぶ「伊藤さーーーん!」という低い声を聞くと非
常に燃えます(笑)。 下は小学生から、上は親と同じくらいの年齢の方までいます。
温かなファンの方が多いそうですね。
ところで、だいたひかるサンも舞台に登場する際 「ホルモンを飲む瞬間」 (2ndアルバム「ぼくのパラサイト」他収録)を流されているそうですが、その「ホルモン〜」はカラオケでも歌えるようになるとか?
嬉しいです。今でもブリトラの曲を全国的にカラオケで歌っていただい ているようで、
僕の顔を知らなくても、「曲は知っている」という人が今でも増えてい る事にすごく感謝しています。
本当に「ブリーフ&トランクス」で検索すると、ずら〜と並んでいますものね。
では、高校時代のお話を少し伺いたいのですが、 何部に所属されていましたか?
軟式テニス部に入っていました。(途中からソフトテニス部に改名しま したけど)
山上コートですね。思い出は?
夏休みの合宿中、夜中に有慶館からこっそり抜け出して、自転車で函南 の方の吉野家まで行き、
後輩と牛丼を食べて帰ったのはスリリングでしたね(笑)。見つかったら 連帯責任で体育館で深夜練習になる所でしたから(笑)。
あと練習試合中、余裕で勝ってた油断でちょっとエッチなことを考えて しまって、短パンがヤバいことになり、
それを隠すのに必死だった事もあります(笑)
「ブリトラ」は、高校時代に結成されたそうですね?
ブリトラ最初のステージは高校2年の龍城祭。その頃は二人で頭 にパンツを被って、真剣にサイモン&ガーファンクルをハモるという コンセプトで歌っていました。最後の予餞会で僕のオリジナル曲を初めて歌ったのですが、その時の全校生徒の盛大な拍手と笑顔が忘れられず、音楽の道を選んでしまいました。
「小フーガハゲ短調」(3rdアルバム「ボクらのエキス」収録)ですね。バッハの曲に詩をのせた・・・
デビューまでのいきさつを教えて下さい
大学受験に失敗して、浪人していた時、「自分は本当に大学に行きたいのか!?」と自問自答した結果、 デモテープをレコード会社にたくさん送りました。その一週後、 10社中5社くらいから電話があり(びっくりでした)、 それをきっかけに大学進学の道を捨てて上京し、アルバイトしながらデ ビュー目指して腕を磨く日々でした。 そして上京2年後、ついにメジャーデビューが決まり、夜中 3時頃に実家に電話して母親を叩き起こし、 バカでかい声でデビューの報告をした感じです(笑)。
ところで、ライブDVD「こってり祭り2006」からも分かるように、伊藤さんのワンマンライブは、まさにエンターティメ ントだと思うのですが、韮高時代の経験が 影響しているということはありますか?
高校時代は下宿していたのですが、その頃の経験が僕の音楽につながっ ていると思います。 その下宿では、何もない田んぼに囲まれた環境で、何も無い4畳半の部屋で、いかにして楽しい事をやるかという事を 日々みんなで考えて遊んでいました。結果、思い出してみれば、そんな
何もない所でも、毎日朝までみんなで遊んで、睡眠は授業中という日課になっていたくらい(笑)、下宿で過ごす時間 はすごい充実していましたね。 そういう経験が、今の僕が曲を作る「創造のチカラ」の源になっている と思ってます。
伊東の門野中ご出身だそうですから、今でこそ函南駅からスクールバスが出ていますが、当時は 運動部を続ける為に下宿されたのですね。
もし差し支えなければですが、解散の理由を教えて下さい。
僕が病気になってしまって、忙しい活動を続けるのが厳しくなった事と、 他にも事情はいろいろあるのですが、話しだすと本3冊分は行っ てしまうので(笑)、ここは省略させていただきます。
ブレイクし始めて かなりお忙しく、また周りの環境も変わってくるでしょうからね。
身体は資本です。これらもご無理はなさらずに頑張って下さい。
ブリトラ時代とソロになられてからの歌うことに対しての意識の変化はありましたか?
ソロになったばかりの頃は、いつも右側にいた相棒がそこにいないとい う、 すごい不思議な気持ちだった事もありましたが、音楽に対しての気持ちは 昔も今も何も変わっていません。
今年は 「ブリーフ&トランクス」としてデビューして 10年目になるそうですが、それを機に 単発でも「ブリトラ」復活ということはありませんか?
まだわかりません。
細根さんは、音楽活動はされていないのですよね。
では、伊藤さんの今後の活動方向をお聞かせ下さい
アルバムをやっと完成させたので、これを元に、ライブをバンバンやっ ていきたいです。 全国ツアーも計画中です。
1月26日(土)秋葉原石丸電気でインストアーライブ、27日(日)柏ドランカーズスタジアムでイベントライブも予定されているそうですね。詳しくはこちらで。
最後に同窓生のみなさまへのメッセージをお願いします。
同窓生の皆さん、僕が大学に行かなかった事で、一瞬だけ韮高の進学率 を下げてしまって本当に申し訳ございませんでした(笑)。
こんな僕ですが、たぶんこのまま一生音楽やって生きていくと思います ので、 どこかで見かけたら是非、応援よろしくお願いします!
伊藤さんのファンの方を「伊藤マニア」と称するんだそうですね。
マニアになる気持ちが分かるような 楽しいお話をありがとうございました。全国ツアーも楽しみです。
〈平成20年9月10日追記〉
8月の終わりに行われた 元ブリトラ 伊藤多賀之(高47)さんの10周年スペシャルライブに
行って来ました。 会場の渋谷O-WESTは2階席まで満員。
伊藤さん独自の映像を交えた構成には、ブリトラ時代、ソロになってから
双方のファンの方々も大盛り上がりでした。
細根 誠(高47)さんからのビデオレターが流れた際には 熱く込み上げるものがありましたが、
伊藤さんは ずっと音楽の道で生きていける方だなと改めて確信しました。
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