【最後のセーラー服組】  高21回文芸部OG 記


 昨年、仕事で下級生と思しき男性に会う機会があった。初対面の同窓生の紹介には何年度卒という定冠詞か゜付いていて、その次に名前が来るのが恒であった。ところが彼は「最後のセーラー服組ですね。」と言った。最初、面食らったが、そういう記憶の方法があるのだと妙な感心をした憶えがある。
 「次の学年の女子生徒から制服が変わる」と先生から告げられたのは一年生の暑い夏の盛りの記憶がある。セーラー服廃止反対を唱える男子生徒り存在も聞こえてきた。我々女子生徒にとって夏服は結構融通が利いたから、セーラー服以外は不自由ではなかった。セーラー服は冬が耐え難い。漠然とだが何か新しい風が吹き込んでくるように思えた。「ついては皆に意見を聞きたい」と図書室に集められ、デザイナーを交え凡そのデザイン・色等、聴聞会のようなものを持った。結局、スーツで、スカートは大きな箱襞、近隣高校の紺の制服を考慮し色は黒になった。我々の学年も着用でき、翌年の夏服に新デザインの制服を着た人が数人いたが、なぜか冬はセーラー服に戻った。
 近年、セーラー服にお目に懸かることは稀である。我々が新しいと感じた制服は今では普通であり、それ以上にバラエティに富んだ制服姿が闊歩している。要は、中身の問題と思うが、セーラー服開始反対を唱えた当時の男子生徒は、今どう思し召すだろうか。

(背景に使用した写真は21回生からお借りしたの遠足の風景です)


【セーラー服への想い】    高18回卒 小川昌平 記


韮高に入っていきなり親しくしてくれる友達が現れ、彼の父親に引き合
わされました。私は身体障害者で、著名な音楽家の彼の父も又、当時
下半身不随だったので、私を精神的に励ましてくれるつもりだったようです。 
それを契機に韮高在学中は彼の家に入り浸りになりました。 
彼の父の指導で、彼がトランペット、私がクラリネット、そしてミス韮高と僕ら
だけ思っていた明美ちゃんがピアノの、ジャズバンドトリオを結成しました。

 セーラー服への想い……ですが、憧れのミス韮高の明美ちゃんが、
どんなセーラー服を着ていたのか?いくら今思い出そうとしても
浮かんでこないのです。 
彼女はたしか2年生になる前、掛川の方へ転校していきました。 
彼女が転校してから、柔道部のおっかない先輩に、
明美ちゃんの写真を取り上げられましたが、
その数枚の写真だって確かセーラー服姿でほほえむ綺麗な明美さんの
はずなのに…。 
 
無二の親友ペット吹きの尚ちゃんは、大部前逝っちゃてます。
勝手にひとりで……。

 僕らの時代も青春は戦場みたいで、男女の区別なく同期は戦友です。 
この短い投稿文は、セーラー服に名を借りた、
無二の友尚文君への追悼文になってしまいました。 合  掌


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