青島裕先生 ご退職によせて       

          
           
文責:N.S (高40回)















平成19年3月末日をもって、韮山高校において教鞭をとられていた青島裕先生(S54〜H3)が定年退職をなされました。この場を借りて先生の長年の熱心なご指導に感謝を申し上げると同時に、先生の新たな道が幸せであることを心よりお祈り申し上げます。

 青島先生には1年生と3年生のときに生物を担当していただいた上、3年生の時には担任として細かく生活のことから進路のことまでご指導いただきました。

 県内の公立中学校から韮山高校に進学した者は、まず大学入試を睨んだ早いペースの授業に圧倒され悩むことがありますが、私自身もやってもやっても追いつかない予習、復習や難しい課題に、入学2―3週間で登校するのが憂鬱になりました。その中、青島先生は教科書の上で暗記するのは限界がある、自分の目でみてひとつひとつ確かめることが最短の道とおっしゃって、実験を授業に多く取り入れられ、また図をつかったり次々に生徒を当てて問題意識を高めたり一つの解答を反覆させたりして、無理せずに記憶に残る授業をしてくださいました。生物の授業がある日は前の晩から学校に行くのが楽しみだったものです。

 2年生のときには、先生に進学の相談をしたことがありました。今となっては幼い悩みですが、当時目の前に立ちはだかる入試の壁はあまりにも高くただただ恐れをなすばかりでした。先生は「今の成績なら射程内なのだから、悩むより努力しなさい」とゆっくりはっきりおっしゃってくださいました。先生の明るい笑顔で、「射程内」という言葉を言われたとき、「自分には無理だ、どう考えてもやり遂げられない」と悩んでいた重荷からすっと解放されたのを今でも覚えております。

 卒業式のとき、先生は「大学に進学する人」「短大に進学する人」「進学をめざしてもう一年がんばる人」「家の手伝いをする人」「家の手伝いのために専門の勉強をする人」「社会人になる人」とクラスの人全員に呼びかけてエールを贈ってくださいました。韮山高校では大多数が進学をします。先生方の3年生に対する訓示は受験に対するものがほとんどですが、青島先生の言葉の中に進学以外の進路をとる少数の学生を大事に思ってくださった事を感じました。先生は私に優しく寛大な先生でしたが、同時にまた、全ての生徒にとっても温かく心をよせ見守っていてくださる大きな先生でありました。
決して名物先生というわけではありませんでしたが、いつも太陽のようににこにこと暖かく学生と見守り心をかけてくださった先生のお人柄に支えられて私たちは素晴らしい学生生活を過ごすことができたと思います。

 私たちが卒業後、先生は教育委員会のお仕事や管理職を経られ、最後は沼津工業高校の校長を勤められました。また私生活では、お子様を立派に成人させよき父親として家庭人の務めを果たされたと伺っております。僭越ではございますが、先生に教えを受けた生徒を代表してこの場を借りてそのご指導に深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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