社会人野球から見た 昨今の若者像

                   JR東日本硬式野球部監督 堀井哲也氏(高32)

 11月16日、志龍講堂で、三島・田方地区中学校・高等学校生徒指導連絡協議会「教育講演」が行われました。
講師は、本校から慶応大学に進み、三菱自動車川崎の選手・マネージャーを経て、三菱自動車岡崎の初代コーチに就任し、8年間の監督時代には、4回の都市対抗野球出場(うち準優勝1回ベスト4入り1回)を果たした堀井哲也氏(高32)。
現在は、JR東日本の監督として、昨年に続き出場した今年の都市対抗でもベスト4入りしています。目下、都市対抗では13勝6敗という輝かしい記録を更新中です。
 今でも親しい交流があるという秋津教頭先生の講師紹介の後、在学当時の思い出などを皮切りに講演が始まりました。

             
写真:講演前の堀井さんと秋津教頭

社会人野球の現状

 30年くらい前は200あった社会人野球(企業)チームも、現在は87に減ってしまった。
今期限りで、志太先輩が創部したシダックス野球部が解散してしまうのは、とても残念だけれども、それは経営判断なので仕方ないこと。昔は、プロに行かなければ社会人という受け皿があった。また、三菱自動車川崎に入社した頃は、海外輸出部に配属になり、午前中仕事をして午後から練習というような時代だった。けれども、今では95%くらいの時間を野球に費やす時代だけに、社会人とはいえ、よりプロフェッショナルを求められている。

三菱自動車岡崎コーチ時代(谷佳知選手)

 コーチ3年目に谷佳知選手(来シーズンから巨人)が入団してきた。大阪商大時代の谷選手は、五冠王を取るほど活躍はめざましく、プロ入り間違いないと言われていたが、4年の時に肉離れが原因で活躍できず、プロからの指名がなかったのでスカウトに行った。
当然入団当初から、谷選手の実力は他の選手に比べ秀でていたが、気持ちにムラがあり、まだ自分の力を発揮するすべを知らなく、どちらかというと扱いにくい選手だった。
ある日の練習中、「声出せ」との指導に「ムカツク」と小さくつぶやく声が聞こえた。
そこで、こんなことをしていたら谷はいくら実力があっても、プロで取ってもらえない(まわりに評価してもらえない)と思い、その場で監督に時間をもらい、
「そんなことをしていたら、自分が損する」と指導した。
1年目が終わる頃にはすっかり成長し、アトランタオリンピックの合宿にも参加し、その後オリックスに入団したが、まさかここまで活躍するとは思わなかった。
後に谷選手が「ベースボールマガジン」という雑誌で、「今の自分があるのは、堀井コーチに言われた言葉のお陰だ」という旨のコメントが載っていて驚いた。ただ、プロ入りしてからも、独身時代には、シーズンオフの自主トレに毎年チームと合流してくれ、柔チャンと結婚してからも、お正月には顔を出してくれたりしていたので、気持ちは伝わってきていた。

監督就任

3年で監督に就任した。自分はコーチとして近いところで選手に接していたので、選手の気持ちは分かると自負していたけれど、どうも手応えがない。キューバ人も2人入れ強化したにも関わらず、都市対抗野球の予選で2連敗してしまった。通常野球人というのはプライドがあるのか、他の分野の人にアドバイスを求めることはあまりしないものだけれども、、秋田の有名な社会人バスケの監督さんを紹介してもらい、何かヒントはもらえないかと、秋田まで出向いて一緒にゴルフをさせてもらったりした。けれども、いっこうにアドバスをしてくれる気配がない。それではわざわざ足を運んだ甲斐がないと、最後に何か秘訣のようなものはないかと伺うと
「やんなきゃダメだよ。やることやるしかないんだよ」とだけ言われた。

考えてみたら自分は選手によく思われたいと思っていた。そこで岡崎に帰って、選手に「絶対怒らないから言いたいことを書け」と言ったら、書くは書くは、、、
選手編成も新たに考え、今までは自分と考えの合う選手を起用していたが、あえて自分に反抗的だけれども、考えを持っている選手を軸にもってきた。
試合で結果を出せなければダメと、とにかく厳しい練習をやるだけやって、勝った達成感を味あわせたいと思った。
そして、1998年 都市対抗に初出場した。

監督5年目に、ドイツのクライスラーから出向したエクロート氏が副社長に就任した。サッカーにしか興味のないドイツ人に、経費もかかる企業野球のことを理解してもらうのは大変だったが、たまたま見に来た2001年の都市対抗野球準決勝(VS日本通運戦 6:4)で、会社一丸となって勝ち得たことに感激してくれ、社長就任後も声をかけてもらったりした。

JR東日本移籍

岡崎の選手は、鍛え甲斐のある三流選手といった感じだったが、JR東日本の選手は、プロを蹴って入団する選手がいるほど格が違うという印象だった。それだけに競争も激しい。
ある時、当時の常務に「リーダーシップはメンバーシップ」という言葉をかけてもらい、今までと同じやり方ではダメだなと感じた。そこで、その時 調子のいい選手を使おうと決めた。
あくまで結果で判断してきた。
ただ、やはり一番辛いのが選手の入れ替え時期で、引退する選手には、
「今まで厳しいことを言ってきたが、それは野球のこと(技術)だけであって、人間性やその人格を否定したわけではない。だから、これからは自分を磨きながら頑張ってほしい。野球をやってきたことは、人生の中で決して無駄ではない。試合で結果を出せなければダメだと言ってきたが、本当は過程が大切なんだ」と声をかけるようにしている。

監督というのは、瞬間の判断ミスで試合の流れが変わってしまう厳しい世界にいるわけだけれども、不利な立場になった時にどうすればやっていけるか、この状況をプラスに変えるにはどうすればいいかと常に考えてきた。
これからも、日本一を目指して頑張っていきたい。


<あとがき>
今回の講演は、秋津教頭先生のお計らいで実現したそうですが、生活指導研修にはぴったりのお話だったように思います。
社会人野球界で、確実に成果を出されている堀井監督ですが、お人柄や考え方、選手に対する言葉のかけ方などをお伺いし、そんな堀井監督だからこそ結果が付いてくるのだと思いました。
本来は、録音を元にきちんとした形でまとめさせて頂きたかったのですが、機械のトラブルで録音ができず、このようなニュアンスのことをおっしゃったというまとめ方しかできませんでした。とても残念ですがご了承下さい。

                                               
                           龍城のWA!