龍城のWA!第18回 あの夏から10年
「リメンバー甲子園」 2005/11/26 平7韮友会の呼びかけで、あの夏に燃え上がった人々53名が集まりました。 注目は岩科監督と選手9名。 飯田充喜・飯田友也・山田健之・山田友也・白石紘泰・鈴木健司・長倉靖明・平井渉・向井田近俊(敬称略) 会場で知り合った当時の生徒会長さんに 貴重な思い出を書いてもらいました。 |
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49回卒業生の中島卓志(たくじ)と申します。 前回のメルマガで51回卒業生の冨田さんの投稿があり、予備校教師をしていたという記載がありましたが、私は彼女が活躍していた職場で働いております。 中学3年生はほとんどの生徒が2学期期末テストを終え、いよいよ1月以降の入試へ向け、気合い十分がんばっています。中学生にとって高校生活はとても興味があるのでしょうが、甲子園に関する質問がとても多いです。当時の野球部員の話や、野球応援の話をしてあげると、本当に喜んでくれます。そういう生徒に囲まれ、自分も毎日楽しく日々の授業にあたっています。 先日ある校舎で授業をしたときの話です。 男子生徒がしきりに私を呼び、「見て見て!」と一冊の冊子を手渡してきました。びっくりしました。それは、甲子園出場を記録した記念誌だったのです。 私の顔写真が載っているページを差し出し、「本当に韮高はすごかったんだね!」と喜んでいるのです。韮高合格を目指して一生懸命がんばっている生徒なのですが、ますます韮高合格への意気込みが強くなった様子で、うれしく感じました。 今回は応援する立場としての体験談を・・・とのことでしたので、いろいろ思い出して書いてみたいと思います。 生徒会長をやらせていただいたことは、本当にラッキーでした。 よい思い出がいっぱいです。 応援の裏仕事での印象深かったシーンです。 野球部が甲子園に出発する日の朝、三島駅南口で出発式が行われました。そこで野球部を激励する布幕をたてることになりました。 幕を支えるのに2本の長い竹を使うのですが、韮高より三島駅まで生徒会スタッフで運ぶことになりました。電車で運ぶのですが、朝の混雑する時間帯に長い竹材を持って電車に乗り込むわけには行かないため、前日に伊豆箱根鉄道さんにお願いをし、三島駅で一晩保管してもらうことになりました。 前日の昼間、スタッフ総出で三島駅まで竹をかつぎ歩きました。 竹をかついで電車に乗り込む姿はやはり目についたのでしょう。 大勢の乗客に「何に使うの?」と聞かれ、いつしか車両の半分くらいの乗客が甲子園の話題で持ちきりだったことをよく覚えています。 非常にあせった思い出があります。 甲子園1回戦で見事勝利したときのことです。 大歓声が場内に響き渡る中、ある先生が駆け寄ってきて、「このままでは新幹線に間に合わない!」と言うのです。急いで片づけをし、駆け足で甲子園口駅へ向かうと大混雑で、ずいぶん前に出発したはずの大勢の生徒が何十メートルも並んでいる状態でした。 田辺高校の関係者が、気を利かせて特急への乗車を優先させてくれていました。おかげでなんとか新大阪駅で新幹線に乗り込み、「生徒会スタッフ全員乗りました!」の報告をトランシーバーでした時に、ちょうどドアが閉まったという間一髪の状態でした。 また、生徒会スタッフをやっていたことで、様々な方から声をかけていただきました。 大阪のレストランで出会った熱海市長の川口さん、甲子園球場前で記念写真をいっしょに撮っていただいた森野元校長先生など、いい思い出です。 森野先生は私が入学した時にはすでに引退されており、直接ご指導を受けたことがなかったのですが、甲子園後に達筆のお手紙をいただきました。今も大切に持っています。思い出を書き出すと尽きません。 今まで同窓会活動にあまり興味を持っていませんでしたが、今回「リメンバー甲子園」に参加したことで、あのときの感動がよみがえりました。また、韮高ならではの卒業生同士のよい結束を感じました。これからは積極的に同窓会活動に関与していきたいと思っています。 今回は野球部中心の同窓会でしたが、すばらしい会だと感じました。 今後もしできるようであれば、当時応援した生徒や関係者が大勢集い盛り上がれる、そういう同窓会があってもよいなと思っています。 中島卓志 秀英予備校 東部本部 室長 (平成7年度 生徒会長) |
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投手・平井渉さんにインタビューする遠藤行洋さん |
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キャプテン・飯田充喜さんと岩科泰弘監督 |