鯉之助の・・・通になれる?気まぐれ落語講座 
其の九

 
落語いまむかし〜幕末風雲編 の巻 


太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず

 幕末。
 お茶の銘柄の上喜撰と蒸気船をかけたこんな狂歌が庶民の間で流行りました。
 嘉永6(1853)年に浦賀沖に黒船が来航して以来、徳川十五代将軍慶喜が慶応3(1867)年に大政奉還するまで、そして明治2(1869)年に旧幕軍の抵抗が終結するまでに、小説やお芝居、映画などでご存知のとおり様々なドラマを生みますが…、その頃、噺家たちは何をしていたのでしょう?

 ちょいと時代を遡りまして、文化文政期から天保中期にかけて120軒余にも増えた寄席は天保の改革(1841〜43)でわずか15件に。改革中断後はそのリバウンドで安政2(1855)年には寄席172件、講釈場220軒に激増。
 こんなに寄席があったら噺家の皆さんさぞ忙しかったろうと思いますが、やはり寄席にも格がありまして、たとえ真打になったとしても一流の寄席でトリをとるのはなかなか難しかったようです。
 そんな幕末の時代に人気を博していたのは初代麗々亭柳橋の門人・人情噺の初代春風亭柳枝とその弟子・柳朝(後に二代目柳枝)、四代目桂文治※1、初代瀧川鯉かん※2 門下の三代目麗々亭柳橋と三代目立川談志※3、三代目司馬龍生※4 門下の二代目柳亭(りゅうてい)左楽、道具入り芝居噺の三代目金原亭馬生、二代目圓生とその弟子の三遊亭圓朝など。
 初代柳枝は人情噺の名手で独自の演出で人気がありました。酒好きのため「柳の枝に赤い花(鼻)咲く」などと言われ、つけた戒名も「酒遊院」。
 三代目柳橋は後に名前を長男・小柳に譲り、本人は麗々亭柳叟から春錦亭(しゅんきんてい)柳桜を名乗り明治前期の大御所として君臨します。この頃すでに大看板、『四谷怪談』なんかやるともの凄かったんだそうで。ちなみにこの人の前座名が初代の瀧川鯉之助。五代目(オレ)はこんなに偉くなれそうにありません…。
 明治の大看板・圓朝もこの頃はまだ若手で、人気役者の声色を使った道具入り芝居噺で若い娘にキャーキャー言われていました。しかし芸は二代目志ん生、三代目柳橋に心酔し、このころ既に、あの名作『怪談牡丹灯籠』などを自作自演しています。

 また、文久(1861〜1864)の頃から明治初めにかけて文化人のあいだに初代可楽にならった三題噺のブームが起こり、粋狂連、興笑連といった三題噺の会ができます。ここに名を連ねていたのは戯作者の仮名垣魯文と山々亭有人(ありんど)、狂言作者の河竹黙阿弥※5 に三代目瀬川如皐(じょこう)※6、その他多くの文人、浮世絵師や書画の版下書きなども。落語家は初代柳枝、四代目文治、三代目談志、二代目左楽、初代五明楼(ごめいろう)玉輔、三代目朝寝坊むらく(後に四代目可楽)、三遊亭圓朝など。
 落語家はもちろん作った三題噺を口演しますが、戯作や歌舞伎台本なども、三題で作りちゃんと出版したり上演したりしていました。すごいですねぇ。

 しかし世間では勤皇の志士と佐幕派が対立し様々な暗殺や弾圧や密約の飛び交う中薩長同盟が幕軍を追い詰め大政奉還と相成ったその最中、こんなことやってたんですからねえ。ま、清水の次郎長の乾分の森の石松が淀川の三十石船の中で「寿司食いねぇ」なんてやってたのもこの頃ですが。
 それでもやはり戊辰戦争(1868〜1869)の戦火が江戸に及んだ時は大変だったようです。最後に、唯一この動乱にまきこまれた噺家のエピソードをひとつ。
 前出の四代目三笑亭可楽、もとは旗本の倅で薩長軍の江戸入府に腹を立て、会津藩士と結託し市中に地雷火を仕掛けた。どこぞの寄席にも爆弾を隠していたそうで。ところがこれが事前発覚、一時地方に逃走したが再び東京に舞い戻り身を隠していた。で、よせばいいのに浅草の火事の野次馬に出かけたところ…、役人に見つかって御用。
 なんかこのへんが噺家らしくていいんですね。明治2年佃島で獄死。ついたあだ名が「爆弾可楽」※7。なんともはじけた名前です。

 さあ、激動の時代が過ぎていよいよ文明開化となりますが、これはまた次回のお楽しみ!


※1四代目桂文治…三代目文治の弟子。
 “文治”はもともと大坂落語初期の名跡だが、二代目可楽門の翁家さん馬
 が大坂で初代文治の長女と世帯をもち三代目を襲名して江戸に戻った。
 三代目と四代目は江戸文治と大坂文治がいる。
 以降は七代目以外すべて東京。これに関して大阪の人はおこっている。

※2
初代瀧川鯉かん…やっと出ました、瀧川の元祖!
 浮かれ節でならした人。うちの師匠がこの名前を継ぐのかどうか…。

※3
三代目立川談志…当代談志はこの数え方だと七代目になるが、
 五代目と称している。
 目立たなかった初代と二代目をなかったことにしたと思われる。
 この数え方でいくとこの談志が初代。こういうことはよくあるのです。
 まったく問題ありません。

※4
司馬龍生…かつて初代目圓生の弟子の初代龍生を祖とする
 司馬という亭号が戦前までありました。瀧川みたいに復活しないかなあ。
 しないだろうなあ。

※5河竹黙阿弥…『白浪五人男』とか『極付幡随長兵衛』とか
 『天衣紛上野初花(くもにまごうえののはつはな)(河内山宗俊)』とか
 いろいろすごい台本を書いてる方です。

※6瀬川如皐…『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)(お富与三郎)』を書いた人。
 この人がいないと♪死んだはずだよお富さん〜♪はありませんよ!

※7爆弾可楽…名前を代数だけで区別するのはまぎらわしいので、
 このように本人の特徴、住居地、本名などであだ名が冠されていること
 がある。本文中の二代目左楽は「歯っかけ左楽」、三代目談志は
 「花咲爺の談志」という。



                    2008/11/10 韮高同窓会メルマガに掲載

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明治2年の落語番付 豊原国周画





初代春風亭柳枝






二代目柳亭左楽





三代目麗々亭柳橋





三代目立川談志