2018東北応援バス(防災学習バス 通称ボガバス)
        催行決定!! 
 
 高30回生有志が中心となり2011年3月の東日本大震災の翌年から毎年、南三陸町中心に被災地を訪れていた東北応援バスですが、現在20名の参加申込を受けて今年も催行を決定しました。
 10月27,28日、27日早朝、韮高発、日本橋経由で宮城県南三陸町 平成の森泊の1泊2日の旅です。
訪問先は、福島県楢葉町 Jヴィレッジ、宮城県名取市の閖上の記憶などを予定しています。
なお、これから参加を希望される方は下記幹事までご連絡ください。

 先週8月4日(土曜日)に今回の豪雨災害で甚大な被害と多くの犠牲者を出した場所の一つである岡山県倉敷市真備地区に水害の後片付けに行ってきました。
これも30回生有志4人が計画した中に加えてもらったのですが、この日お手伝いした家も2階まで浸水し、水が引くまで3日も掛かったそうです。その光景を見て60年前の狩野川台風の記憶が蘇ってきました。
後片付けはまだまだの状況であり、お手伝いをしたお隣ではお年寄りが女手一人で黙々と片づけをしているというような状況です。
人手が足りず、ボランティアの数も全く足りていないということでした。

今回の参加メンバーの中は倉敷でのボランティア活動再挑戦を企画している人もいます。ご関心のある方は30回生 大嶽信義さん(kaisey-nobuyoshi-531@ezweb.ne.jp)までご連絡ください。

                                               2018/8/10掲載
            2018東北応援バス 幹事 大野 洋(ohno@swan.ocn.ne.jp)

 予定が詰まっていて残念ながら今年のボガバスには同行できないのですが(すみません)、7月21・22の土日で、一足先に倉敷市真備町と愛媛県大洲市でボランティアをして来ました。
 その様子はFacebookに書きましたので、アカウントをお持ちの方はご覧いただけますと幸いです。

 同時期に伊東さんが愛媛県宇和島市に入っていました。彼とは松山で会えそうだったので連絡を取り合っていたのですが、結局会えませんでした。伊東くんはまさに東奔西走、我らの誇りですね! 

 9/30~10/1には大学生約40人を連れて南三陸町に実習に行くことが決まっており、今のところ、韮高ボラバスで10月末に続けて入る日程確保が難しい状況です。
 上記の実習では、これまで知省くんや祐子さん、由美さんたちが築いてくれた人脈を活用して、旧戸倉小や大川小にも立ち寄って麻生川元校長や紫桃さんにお話が聞けますし、伊東くんのつなぎで、千葉さんのところでボランティアもできそうです。
伊東くんとは高校時代は全く接点がなかったのですが、ボラバスのお陰でこうやってつながることができ、仕事にも役立っています。
ここに集っているすべてのみなさんに感謝です!

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    中口 毅博 (なかぐち たかひろ) 高30卒



今年のボガバスを
出せるのかどうか、
去年参加者で作ったメーリングリストで参加を呼び掛けをしました。

その中で、中口さんから届いたメールをご紹介します。

東日本大震災に始まった私たちの活動が、同窓会を越えた大きな繋がりを作っていることを知り、とても嬉しかったです。

西日本豪雨の被災地、倉敷市真備町へのボランティア行
                                                      土屋 知省 (つちや ともみ)

 今年7月の西日本豪雨災害は、九州、四国、中国、岐阜と、これまでに全国のボランティアが対処してきた災害4つ分(直前の大阪北部地震も含めれば5つ)はある。
ボランティアが足りない!と切実な声が各地で上がる。東北のバス企画のメンバーから西日本を手伝わなくていいかという声が上がり、河川決壊により町の3分の1が水没し多くの方がなくなった岡山県倉敷市真備町へ、伊豆からの遠征、往復1200キロ、を8月3-6日(活動は4、5日)に、同窓生5名で試みた。3名(大野、大嶽、土屋知省)は車、2名(大川、土屋祐子)は新幹線で。
 車組は高速代を節約するべく、災害派遣等従事車両証明書の手続きに大嶽君が行ったら、某市役所の窓口危機管理課の担当者は、初めての問い合わせで、手続きをインターネットで調べた上で、何と、文書番号0001番のものを出してくれた。
 真備町は奈良時代の遣唐使、吉備真備の出た地で、今は倉敷市、総社市のベッドタウンで戸建ての住宅が並ぶ。家は整然と立っていて遠くから普通の街並みに見えるが、一面、2階まで浸水し人影が見えない。皆、市内各所の避難所へそっくり移っており、テレビ報道では体育館に段ボールの仕切りでお年寄りも子供たちも、ひしめき合って暮らしている。街の鉄道沿い、道路沿い、空き地には被災した家財、流木などが積み上がり、電気がないので信号も消えている。
 4日の活動は、2階まで浸水した住宅に隣接する倉庫回りの流木、ごみなどを回収しやすいよう道路沿いに移す作業。5人一組のチーム、3チーム合同、計15名で活動。男性は丸太などの重量物、女性は細かい木切れなどを土嚢袋に詰めるなどの分担。丸太を運び出す手順、壊れた倉庫の戸を開ける作業など、大嶽君の仕事のノウハウが役立った。作業はタイムキーパーを大川さんが勤め15分作業、10分休みのセッションの繰り返し。35度あまりの炎天下で、車による夜行組は睡眠不足で辛かったが、前泊した新幹線組は余裕。10時から13時までに何とか倉庫回りは片づけたが、倉庫内は残ってしまった。立ち会った依頼者は喜んでおられたが、まだまだこれから。また、途中大嶽君が、隣家でひとり片づけをされてるおばあさんを見つけたが、ひとりでは途方もない作業だ。一月が経過したが、まだまだボランティアを待っているお宅は多い。
 夜行の車組も、宿で熟睡した2日目は問題なく活動。なお、ボランティアセンターには、スポーツドリンクから経口保水剤、防塵マスクなど作業の安全、健康維持のための資材もふんだんにあり、医師も常駐していた。
 5日の活動は、3名が新幹線で帰還し、2名で。2チーム10名で、解体を決めた2階屋のゴミ出し。80代の高齢の夫婦は、瞬く間に増す水位に避難もできず、2階で肩まで水に浸かり、ボートで救助されたと、ひとり片づけをしておられた娘さんが話してくれた。さぞや怖かっただろう。軽トラを直下に寄せ、2階からごみを荷台に投げおろし、集積場に運びだすなどの作業の効率化により、短い時間であったが、一部屋を残して終了。今回は、真備町出身者もいて、また、岡山市から来た親子もいて地元色の強いチーム。群馬県から、乗り鉄も兼ねて訪れたという学校の先生もいた。
 真備町の中心、箭田(やた)の市役所支所前にあるボランティアセンターは、現地の把握、資機材の準備、ボランティアの移送などまだまだの感はあるが、普段は福祉サービスに携わられている社会福祉協議会の方々はよくやられている方だと思う。作業後には、かき氷をふるまってくれるなど、ボランティアを歓待する気持ちも強い。 
 2日目、街道を現場に向かう道すがら、作業をしている町の人たちも感謝の言葉をかけてくれた。
 朝作業前、5名で倉敷の美観地区を探訪。倉敷は、江戸時代、天領の年貢米の集積地として栄えた商人の町、倉敷紡績の創始者大原総一郎氏が街並みを保存して、今も運河の周りに美しい白壁が残る。残った2名は、商店街で土曜日に開催される夜市で買い食いし、町家を改造したゲストハウス、有隣庵に宿泊し、多種多様な宿泊客、スタッフとも交流した。美観地区の街並みは被災は全くしていないが、風評被害なのかお客が減っているとのことで、観光をするだけでも、地域の復興に協力することになる。

 今回参加メンバーの中には、再度、倉敷遠征を企画している者もおります。ご関心があれば、お問い合わせください。